『バクマン』と『G戦場ヘヴンズドア』の違い
しかし、筆者は『バクマン』をコミックスでしか読んでいないので、1巻に収録されていない話(8話目以降)のネタバレをコメント欄等には書かないで下さい。マジで。ナイフは人間の体を殺すけれど、ネタバレは人間の心を殺します。
さて、『バクマン』の話です。
『ダブルアーツ』の時とは違って、連載開始の頃から「『DEATH NOTE』コンビが漫画家の話をジャンプで描くみたいだぞ」という情報をネットで見ていたので、ジャンプ本誌は読んでいない僕ですが存在は知っていました。
本当ならばその状態でコミックスの発売を待ちたかったのですが、唐突に「作画家と原作者の二人が主人公で漫画賞を目指す」ということを知ってしまったので「ネタバレしたから死のう」と二日くらい落ち込みました。まぁ、その程度は“設定”なのでイイじゃないかと三日目には立ち直りましたが。
『G戦場ヘヴンズドア』を思い出したのは僕だけじゃないはず―――
『G戦場ヘヴンズドア』とは日本橋ヨヲコ先生の全3巻の漫画で。絵は描けないけど話は作れる堺田町蔵と、話は作れないけど絵は描ける長谷川鉄男の二人が漫画賞を目指すという大傑作です。『バクマン』の設定だけを聞けば、『G戦』のことを思い出すのは僕だけじゃないはず。
注意して欲しいのは、別に「パクリだ」とかそういうことではなくてね。
主人公の少年が漫画家を目指す話ならば、一人よりも二人の方が話が面白くなるのは当然ですし、その二人が作画家と原作者になるというのは普通のことです。問題はそれをどう描いているのかという話であって、青年誌で描かれた『G戦』と、少年誌の王道であるジャンプで描かれた『バクマン』では、素材が一緒でも調理方法は異なるだろうなと期待していました。
そして、実際に1巻を読んでみて。
その期待に応えて、『バクマン』は非常に少年誌らしい漫画となっていたことに安心したのです。
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『バクマン』と『G戦場ヘヴンズドア』では、連載されている雑誌が違う
凄く象徴的だなと思ったのが、漫画を描き始めるきっかけです。
『バクマン』は第1話から「漫画家で食べていけるのか」や「宝くじよりは可能性が高い」という議論から始まって、端的に言えば「儲けるために漫画を描き始める」という。
こんな理由で漫画を描き始める人なんて、ごく稀ですよ。大多数の漫画描きは「漫画を描きたい」「描きたい漫画がある」というところから始まるので、「漫画家は食えるのか?」なんてところは後回しにします。14~15歳ならば尚更。「あわよくばプロになれたらイイなぁ」くらい。
しかし、少年漫画である『バクマン』は「描きたい漫画がある」なんてスタートラインには出来ないんですよね。
「俺、漫画にしたい話があるんだ!絵を描いてくれ!」「よし分かった!漫画を描くぞ!」→「完成した!」「やった!ありがとう!ありがとう!」完。
全1巻で終わってしまいます。
少年漫画、特に少年ジャンプの場合―――「目標を持つ」「競争をする」「細かい結果を出す」という3つの鉄則があります。もちろんギャグ漫画のように例外もありますけど、『DEATH NOTE』も『バクマン』もこの3つの鉄則に忠実な作品なんですよね。
目標:Lを倒し新世界の神になる、18歳までにアニメ化する漫画を描いて美少女と結婚
競争:月=キラを証明しようとする刺客が次々と登場する、目標とするライバル漫画家の登場(?)
結果:刺客を次々と退ける、漫画家としてステップアップしていく(?)
『バクマン』は1巻の段階だとまだ「目標」の段階しか見えていませんけど、「目標」を見せた時点で「競争」や「結果」も想像出来るようになっています。これはあくまでこの作品が「漫画家で食べていけるか」というスタートラインから始まっているからです。
「描きたい漫画がある」というスタートラインだと競争にはなりませんからね。
対照的に『G戦』の場合―――
入院費を稼ぐという目的はあったものの、あくまで「自分たちが震える作品を描こう」というところから始まっているんですよね。「競争」や「結果」は重要ではなく、「自分たちが震える作品を描こう」とする中で主人公達が成長していく様を描いているのです。
日本橋先生が何かのインタビューで「あの漫画で描きたかったのは、「夢は叶わなくても構わない」ということだった」と仰っていたのを読んだことがありますが、『G戦』は「競争」には否定的なんですよね。「競争」から降りることで見える世界を描いているとも言えます。
漫画を描くことで成長していく主人公の内面を描くのだから、「漫画家になる」ことも「競争に勝つ」ことも「目的」には成りえなかったのです。
同じような素材であっても、スタートラインである「目標」が違うことでこうも違う。
もちろんどちらが優れているという話ではなくて、『G戦』は少年誌には向いていないと思いますし、『バクマン』は青年誌には向いていないというだけの話です。それぞれの雑誌でそれぞれの読者が喜ぶものをそれぞれの形で仕上げた結果、同じ素材であっても出来上がった作品はこうも違うのだということです。
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『バクマン』は作画家が、『G戦場ヘヴンズドア』は原作者が主人公
もう一つ、面白いなと思ったこと。
少年誌と青年誌の違いを考えると、少年誌の方が「読者に近い主人公を設定することで感情移入してもらう」傾向が強いと思います。『バクマン』も、サイコーのピュアピュアな恋愛観は非常に少年誌っぽいと思うのですが(親父の愛人とヤリまくっている『G戦』とは対照的だね!)。
普通に考えたら、「絵が描ける人」よりも「話が作れる人」の方がまだ読者に近いと思うのですよ。
特に僕なんかはずっと「絵が描けない」をコンプレックスに持っていましたから、『G戦』の堺田町蔵が「絵が描けないから小説を書いている」というところから感情移入してしまいましたし。その彼が漫画を通じて成長していき、最終的に自分で絵を描いて戦友を救おうとするところまで辿り着いたのには本当に感動したものなのですが(その後、実際に僕も漫画を描くようになってしまったくらいですし)。
『バクマン』のサイコーは最初からムチャクチャ絵が上手いし、Gペンに対する恐怖感もジェバンニのように一晩徹夜してほぼ克服しているし、5話で「漫画を描くのには覚えなきゃいけないことがこんなにあるのか」と言っておきながら7話ではもう全部マスターしているみたいだし。
『G戦』で町蔵が延々とスピード線の練習をさせられていたのとは対照的だなと。
漫画を描いている人からすると『バクマン』は十段飛ばしくらいにされている印象で、サイコーにはなかなか感情移入が出来ません(むしろ「実は自信なかったんだ」とカミングアウトしたシュージンの方が読者視点には近いような気がする……)。
でも、それもジャンプという雑誌を考えれば当然な話で。
「漫画を描いている人のあるあるネタ」みたいなものを延々と描いても仕方がないので、より「目標」「競争」「結果」に特化した娯楽作品にするために省くところは省く潔さがあるんですよね。野球漫画で主人公に「こんな速い球投げられるワケねえ」とツッコんでも意味がないのと一緒。
『DEATH NOTE』もそうなんですけど、元々「等身大の主人公」ということにこだわる作者ではないんですよね。どっちかというと読者視点は別のところにあって、何でも出来るスーパーマンが悪戦苦闘する様を眺めて楽しむようになっているのです。
読者を作品世界に引きずりこんで心をえぐろうとする『G戦』(というよりもバシ漫画全般)とは、そもそも作者の得意分野が違うという。
そう考えると、よく語られる少年誌と青年誌の違いって、実はかなりあやふやなものなのかもなーと思いました。
まぁ、ともかく。これ以降のネタバレを食わないように2巻を楽しみに待ちます。
それはさておき、今『ラッキーマン』完全版出したらバカ売れすると思うのは僕だけでしょうか?
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| 漫画読み雑記 | 18:04 | comments:9 | trackbacks:0 | TOP↑
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