魔王はいつから「ラスボスの代名詞」になったのか
・どうして『ドラクエ』と言えば「勇者と魔王」なのか
・『ドラクエ』以前の海外作品には「魔王」は出てこないのか
・『ドラクエ』以前の日本のゲームに「魔王」は存在していたのか?
・ゲーム以外では、「ラスボスとしての魔王」はそれ以前からいたのだろうか?
・まとめ
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◇ どうして『ドラクエ』と言えば「勇者と魔王」なのか
『ドラクエ』と言えば「勇者と魔王」みたいなイメージがあるけど、実は『ドラクエ』に「魔王」が出てくるのはIIIからですよね―――というのが、話のきっかけでした。この場合の「魔王」とは、魔王的ポジションという意味ではなく、「魔王」もしくは「大魔王」という肩書を実際に名乗っているかどうか or 呼ばれているかどうかです。
『ドラクエI』の敵の親玉は「竜王」ですし。
『ドラクエII』の敵の親玉は「大神官」です。
『ドラクエIII』は「勇者」である主人公が「魔王バラモス」を倒すストーリーなのだけど、以後のシリーズ作を考えてみると『ドラクエIV』は敵の親玉の再定義の物語で(デスピサロは“魔王”ではなく“魔族の王”となっているみたい)、『ドラクエV』は「勇者」の再定義の物語で、『ドラクエVI』『ドラクエVII』になると「勇者」は職業の一つになるので……
実は、少なくとも初期『ドラクエ』シリーズにおいて「主人公である勇者が魔王を倒すストーリー」って『III』しかないんですね。なのに、『ドラクエ』を始めとした和製RPGに「勇者と魔王」のイメージが出来上がっていて、『まおゆう』とか『えんどろ~』とか「勇者と魔王」の構図をパロディ的に扱った作品がたくさん出ている状況は不思議かも知れません。
では、何故『ドラクエ』シリーズに「勇者と魔王」のイメージがあるのか―――
これは割と簡単に説明できると思います。
一つには、「ロト伝説」があります。
先ほど私は「ドラクエIの敵の親玉は魔王ではなく竜王」と書きました。しかし、『ドラクエI』に「魔王」が出てこないワケではありません。『ドラクエI』の説明書を読むと、ストーリー欄に「かつて伝説の勇者ロトが魔王を倒して平和が訪れた、しかし竜王によって再び闇の時代が訪れ、勇者ロトの血を引くあなたが竜王を倒す冒険の旅に出るのです」と書かれています(意訳)。つまり、『ドラクエI』の説明書の時点で過去に「勇者と魔王」の話があったと書かれているんですね。
『ドラクエIII』の開発時に堀井さんが初めて「魔王」という言葉を使ったのではなく、『I』の時点で「ラスボスとしての魔王」の構想はしてあって、それを『III』で満を持して使うことが出来た―――と言えるのかも知れません。
そして、もう一つ―――
世間のイメージ的にはこちらの方が大きいと思います。「勇者と魔王」を描いた作品が『ドラクエIII』1作しかなかったと言っても、当時この『ドラクエIII』をベースにした漫画やアニメがあったので、「ドラクエと言えば勇者と魔王が戦うドラクエIII」のイメージを持つ人も多くなったと私は考えています。
『ドラクエIII』の発売は1988年2月。
少年ジャンプで『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』の連載が始まるのは1989年。
テレビアニメで『勇者アベル伝説』と後に呼ばれるアニメが始まったのも1989年。
少年ガンガンで『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』の連載が始まるのは1991年。
これらの作品は『III』の職業システムをベースにしていることが多く、主人公はどの作品も「勇者」で、「魔王」と戦う話となっていました。「ドラクエと言えば勇者と魔王のイメージ」が出来たのは、ゲーム本編だけでなく、こうした関連作の影響も大きいのかなと思います。
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◇ 『ドラクエ』以前の海外作品には「魔王」は出てこないのか
さて、では『ドラクエ』以前のRPGではどうだったのでしょうか?
言うまでもなく、『ドラゴンクエスト』は海外のRPG『ウィザードリィ』と『ウルティマ』に影響を受けていると公言されていて、それらの海外RPGも『ダンジョン&ドラゴンズ』のようなTRPGから生まれたもので、そのTRPGもトールキンの『指輪物語』などのファンタジー作品があったからこそ生まれたと言われています。
では、これらの海外作品に「魔王」は出てくるのでしょうか?
『指輪物語』には「アングマールの魔王」というキャラがいて、魔の国の支配者だったそうですが……今日の我々がイメージする「ラスボスとしての魔王」とはちょっとちがっていて、「冥王サウロン」の配下の一人らしいんですね。「魔王」というのも「魔の国の王」ですもんね。
『ウィザードリィ』1作目のラスボスは「魔術師」で、『ウルティマ』1作目のラスボスは「魔導士」―――「ラスボスとしての魔王」という概念はこの時点ではまだなかったみたいです。
そもそも「魔王」という言葉は、元々は仏教用語らしいんですね。
仏教の修行を妨げる「魔」という概念があって、第六天魔王はそこから「仏教の敵となる存在」のような意味を持っていくのだとか。織田信長(1534年-1582年)が自らを第六天魔王と名乗ったと言われるのは、比叡山を焼き討ちにするなど仏教の敵とみなされていたからで、信長以外にも比叡山を焼き討ちにした人は第六天魔王と呼ばれることが結構あったらしいです。
もっと遡ると、『太平記』(成立は1300年代?)の中で南北朝時代の後醍醐天皇を第六天魔王と呼んでいたり、『太平記』を始めとしてこの時期の書物には「第六天魔王と天照大神」を描いた神話が多数残っているそうです。
信長の時代になると『太平記』は戦国武将にマストで読まれていたなんて話もありますし、信長が第六天魔王を名乗ったのもそのイメージが広く知れ渡っていたからかも知れませんね。今風に解釈すると「俺がキリトだ!」みたいなこと?
軽はずみに「魔王=悪の親玉=ラスボス」のイメージのルーツがどこにあるのかを考えていったら、600年以上前にまでたどり着いてしまいました(笑)。
要は、「魔王=悪の親玉=ラスボス」のイメージは信長なり『太平記』なりの頃から脈々と日本に受け継がれていたもので、日本独自のイメージなのかも知れないということです。
え? でも、海外にも「魔王」っているでしょ。シューベルトのとか……と思った人もいるかも知れません。音楽の授業で習ってやたら印象に残るとよく言われる「魔王」という曲のことです。あの元ネタはゲーテの詩で、更に元ネタを遡るとデンマークの民話になるそうなんですが、あの詩に出てくる「魔王」って死を招く存在・死を象徴する存在なんで、現代の我々の感覚だと「魔王」というより「死神」のイメージなんですよね。
そもそもが海外の言葉を日本語に訳すとき、その言葉がその時代の人にどう受け止められたかが重要なので、ゲーテの詩を日本語に訳した時代には少なくとも『ドラクエ』は存在しなかったでしょうから「魔王」という言葉の受け止められ方も現代とは違ったんじゃないかなぁと思います。
逆に、『指輪物語』の冥王だって今だったら「魔王」と訳されていたかもって思うんですね。海外に「魔王」がいなかったというよりかは、「魔王」のイメ-ジが今とちがったので「魔王」という訳語が使われなかったのだろうと。
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◇ 『ドラクエ』以前の日本のゲームに「魔王」は存在していたのか?
さて、じゃあ『ドラクエ』以前の和製RPGに「魔王」はいたのでしょうか。『太平記』の頃から「魔王=悪の親玉=ラスボス」のイメージがあった日本でなら、魔王をラスボスにしている作品は『ドラクエ』以前からありそうじゃないですか。
日本初のRPGと謳われていたらしい光栄の『ドラゴン&プリンセス』(1982年)は、奪われた王の財宝を手に入れるためにダンジョンに潜るという粗筋だったらしいです。少なくとも「魔王を倒しに旅に行く」という話ではないみたい。
1984年になると日本産のRPGもかなり出てきます。『ザ・ブラックオニキス』は「宝石・ブラックオニキスを求めて迷宮に向かう話」だそうで、『夢幻の心臓』は夢幻界に落とされた主人公が「期限内に夢幻の心臓を探す話」で、『ハイドライド』は「3つの宝石によって平和が保たれていた王国から、宝石の1つが盗まれて悪魔が目覚めてしまった話」で、日本ファルコムの『ドラゴンスレイヤー』は「3つ首のドラゴンを倒して4つの宝冠を持ち帰る話」だったそう。
この時期のRPGのストーリーを見ると「悪の親玉をやっつける!」みたいな話はほとんどなくて、「○○を見つけるための冒険に出る」という話が多いみたい。「ドラクエ以前からRPGはあったんだよ」的なことはPCゲーマーの人達からよく言われたことなんですが、『ドラクエI』の「竜王の軍団に滅ぼされかけている世界で立ち上がって悪を倒す」みたいなストーリーって『ドラクエ』以外にほとんどなかったんじゃないかって思いますね。
さて、PCゲームばかり取り上げてきましたが、1984年にはアーケードゲームで『ドルアーガの塔』が出てきます。『ゼビウス』の遠藤雅伸さんによる王道ファンタジーアクションRPGです。恋人のカイがドルアーガによって捕らえられたため、主人公ギルがドルアーガを倒すべく塔を登る―――というストーリーなのですが、このドルアーガも「悪魔」であって「魔王」ではないそうな。
ただ、この『ドルアーガの塔』以降「絶対的なラスボス」「捕らわれのヒロイン」「助けに向かう主人公」という構図のゲームが多くなります。この作品に影響を受けたらしい『デーモンクリスタル』(1985年)なんかも似たような構図で、「悪魔シャルド」によって「王女クリスが捕らえられて」「主人公アレス・ナイザー」が助けに向かう―――となっていました。
ということで、全ての作品ではないのですが……ネット上で調べられる限りの「ドラクエ以前のRPG」のストーリーを調べてみたのですが、「魔王」と戦う作品は一つも見つけられませんでした。
しかし、RPG以外ならありました。
そのゲームの説明書は今もWEBで公開されているため、ストーリー欄をどうぞ。
ということで、『ドラゴンクエスト』1作目が発売された1986年の前年、1985年9月13日に発売された『スーパーマリオブラザーズ』は説明書にしっかりと「大魔王クッパ」と書かれています。
今回調べてみた中では、確認できる限りゲーム内で最も古い「ラスボスとしての魔王」でしたし。ひょっとしたら日本以外の国に「魔王」という概念を広めたのはクッパなのでは?と思わなくもないです。
また、同スタッフが『スーパーマリオブラザーズ』開発終了後に作った次作『ゼルダの伝説』(1986年2月発売)も、説明書に「大魔王ガノン」としっかり書かれています。突然の、任天堂内における大魔王ブームです。この時期の宮本茂さんの身に何があったんでしょうか。
任天堂以外ではどうかというと、実は『スーパーマリオブラザーズ』とほぼ同時期の1985年9月19日に稼働開始したと記録されているアーケード版『魔界村』のラスボスは「大魔王」だったそうです。任天堂内どころか、この時期の日本に大魔王ブームがあったのでしょうか。
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◇ ゲーム以外では、「ラスボスとしての魔王」はそれ以前からいたのだろうか?
1984年の『ドルアーガの塔』について書いた時、私は「絶対的なラスボス」「捕らわれのヒロイン」「助けに向かう主人公」の構図が『ドルアーガの塔』以降に増えたのではないかと書きました。「大魔王」の登場する『スーパーマリオブラザーズ』『ゼルダの伝説』『魔界村』、そして『ドラゴンクエスト』1作目もまたこの構図でしたからね。
しかし、だから『ドルアーガの塔』の影響はすごいって言いきれるワケではなく。
そもそもの宮本茂さんのゲームデザイナーとしてのデビュー作『ドンキーコング』(1981年)が、「ラスボスのドンキーコング」「捕らわれのレディー(後のポリーン)」「主人公ジャンプマン(後のマリオ)」という構図なんですね。そして、この関係性は『ポパイ』が元ネタとなっていると宮本さんは度々仰っています(飯野賢治さんがインタビューした『スーパーヒットゲーム学』など)。
また、「絶対的なラスボス」「捕らわれのヒロイン」「助けに向かう主人公」という構図はゲーム以外ではそれ以前から当然のようにある構図で、例えば『スターウォーズ』の公開1作目(1977年のエピソード4のことね)なんかはこの構図ですよね。これらの元ネタを考え始めたらゲームだけにとどまらず、映画・漫画・アニメ・児童文学なんかも網羅しなくちゃいけないと思うのです。
ということで、ゲーム以外の作品で「ラスボスとしての魔王」はいたのでしょうか。
魔王と名前の付いたキャラクターはもっと昔からいて、例えば1969年のアニメ『ハクション大魔王』みたいなキャラはいました。でも、アレは「ランプの魔神」のパロディ的なもので、私達が今日思い描く「ラスボスとしての魔王」とはちょっと違いますよね。
そんな中、見つけました!
1984年3月公開の映画『ドラえもん のび太の魔界大冒険』のラスボスは「大魔王デマオン」で、このデマオンは魔界を牛耳る独裁者でした。現代の我々がイメージする「魔王=悪の親玉=ラスボス」そのまんまですし、私は流石にリアルタイムでは観ていませんがコミックスは何度も読んでいるので「そう言えば」と気付いたんですけど……この大魔王を倒すためには心臓に銀のダーツを打ち込まなくちゃいけないんですね。
ひょっとして、『ゼルダの伝説』でガノンを倒すためには銀の矢じゃなければダメっての、これが元ネタだったりするんでしょうか? いや、元々ヨーロッパでは「銀」には特別な効果があると信じられていて、吸血鬼とかも「銀の弾丸」を撃ち込まなくちゃ倒せないみたいな言い伝えがあるのですが……それが「大魔王」と「銀の矢」に結びつくのだろうか。
ちなみに、『魔界村』の大魔王も「十字架」という武器でなければ倒せず、「大魔王=特定の武器でなければ倒せない」という決め事がこの頃にはあったのかも。その点クッパは自分の置いた斧で橋を壊されるだけで死んでくれる。
後にプレイステーションなどでゲーム化もされる『ポポロクロイス物語』の原作漫画版にも「ガミガミ魔王」というキャラが出てきます。しかし、『ポポロクロイス物語』の原作っていつ始まったのかネットの情報でもよく分からないんですよね。1978年~79年にかけて雑誌『だっくす』にて3話掲載された後、朝日小学生新聞で本連載が始まるのだけど、その年が1981年と書いてあるところもあれば1984年10月と書いてあるところもあるんです。それが『のび太の魔界大冒険』より先か後かはめっちゃ重要じゃない!?
ただ、絶対的な悪の親玉というより「自称魔王」というカンジなので、どっちかというと「魔王」のパロディ的な立ち位置のキャラなのかなと思いますし。この時点で「魔王」というポジションがパロディ的に扱われるほどの認知はあったということなのかなと思います。
先の項目で「海外作品に“魔王”が出てこないのは、“魔王”という訳語が使われていないだけかも知れない」と書きましたが、1985年7月に日本語訳版が出たゲームブック『ソーサリー』には「大魔王」が出てきます。この『ソーサリー』とは、『火吹き山の魔法使い』から始まるファイティング・ファンタジーというゲームブックのシリーズの派生作品で。
『火吹き山の魔法使い』(1982年)にしても、『ウィザードリィ』や『ウルティマ』にしても、この時期の海外作品の悪の親玉は「魔法使い」「魔術師」「魔導士」といったキャラが多いんですよね。この作品も原文は「Archmage」で「第一級の魔法使い」みたいな意味だと思います。1985年の時点でそれを「大魔王」と訳したのはなかなか興味深く、2003年版の新訳では「大魔法使い」に修正されたみたい。
言われてみればクッパだって魔法の力でキノコ王国の人々を岩やレンガに変えた(そして、それを戻せる唯一の存在であるピーチ姫を拉致監禁している)のだし、1980年代前半の「大魔王」は「トンデモない魔法使いの長」というイメージだったのかも知れませんね。
1980年代前後のロボットアニメなんかにも「魔王」を名乗るボスキャラがいそうだなと探したところ、1975年の『勇者ライディーン』のラスボスは「悪魔王バラオ」という名前だったみたい。『ガンダム』のシャアの元ネタと言われるシャーキンの父親ですね。
ライディーンを「勇者」と言い切るのはアレですが、一応これが「勇者が魔王を倒す物語」としては最古にあたるのかな。
ロボットアニメではありませんが、アニメ版『デビルマン』(1972年~1973年)のラスボスは「魔王ゼノン」だったそうです。『デビルマン』は漫画版とアニメ版では全然ちがうストーリーで、漫画版のラスボスは「大魔神サタン」で「ゼノン」はその部下だったみたい。
永井豪先生の作品には(ラスボスじゃないけど)『魔王ダンテ』という作品もあり(1971年)、1980年代前半の「魔法使いの王」というより「悪魔」や「魔界」のイメージからの「魔王」で、永井豪先生がそのイメージを定着させたのか、そのイメージがあったから永井豪先生が採用したのかは分かりませんが、1970年代の「魔王」はこのイメージのことが多いですね。
この翌年の1974年、後にニコニコ動画などで人気になる『チャージマン研!』が放送され、この『チャージマン研!』のラスボスも「魔王」です。『チャージマン研!』はその低予算っぷりにネタ的に扱われることが多く、この魔王についても「地球に侵略してきた宇宙人のボスなのに魔王……?」と言われるのですが。
この時期の「魔王」という言葉は、現代のわたし達が思う「魔王」のイメージとはちがっているのは仕方がないことでしょう。前年の『デビルマン』の影響を受けたからか、この時期の「魔王」という言葉には「異世界からの侵略者」といったイメージがあったのかなと推測されます。
うーん、藤子不二雄、富野由悠季、永井豪と……レジェンド達の名前がズラリと並びますね。この流れだったら手塚治虫も「魔王」を書いているんじゃないかと思って検索してみると……
手塚先生も1948年に『大空魔王』という作品を描いていたそうです。デビュー2年目の初期作品ですが、「脳みそ以外は機械の体」という敵で、日本を南極化しようと企んでいる「悪の親玉」だったみたいです。まぁ、今日の我々が思い描く「魔王」とはちょっとちがう気もしますが。
横山光輝先生も1965年~1966年に『みどりの魔王』という作品を描いていたそうです。『鉄人28号』のように主人公の少年がロボットを動かす漫画で、そのロボットが「みどりの魔王」みたい。
1960年代までは、「魔王」=「機械」=「ロボ」というイメージだったのか……?
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◇ まとめ
・14世紀 『太平記』など…「第六天魔王と天照大神」の神話
―16世紀 比叡山を焼き討ちした織田信長が「第六天魔王」を名乗った(と言われる)―
・1948年 手塚治虫『大空魔王』
―1965年 横山光輝『みどりの魔王』 ※ラスボスではない―
―1969年 アニメ『ハクション大魔王』 ※ラスボスではない―
・1972~73年 アニメ版『デビルマン』…魔王ゼノン
・1974年 アニメ『チャージマン研!』…魔王
・1975~76年 アニメ『勇者ライディーン』…悪魔王バラオ
―1978年? 1981年? 1984年10月? 漫画『ポポロクロイス物語』 ガミガミ魔王 ※ラスボスではない―
・1984年3月 劇場版アニメ『ドラえもん のび太の魔界大冒険』…大魔王デマオン
・1985年7月 ゲームブック『ソーサリー』…マンパン砦の大魔王
・1985年9月 ゲーム『スーパーマリオブラザーズ』…大魔王クッパ
・1985年9月 アーケードゲーム『魔界村』…大魔王
・1986年2月 ゲーム『ゼルダの伝説』…大魔王ガノン
―1986年5月 ゲーム『ドラゴンクエスト』…過去に「勇者と魔王」の戦いがあった―
・1987年 漫画『ドラゴンボール』…ピッコロ大魔王編が始まる
・1988年 ゲーム『ドラゴンクエストIII』…魔王バラモス
これが「元ネタ」なのか「当時の定番のネタ」なのかは判別がつかないのですが……『のび太の魔界大冒険』を読み返してみると、先に書いた「大魔王は銀のダーツを撃ち込まなければ倒せない」は『ゼルダの伝説』のガノン戦に通じるものがありますし、「ヒロインが猫に変えられてしまう」のは『ドラクエII』のとあるシーンっぽいですし、後の作品に影響を与えたと言えそうなんですが。
1984年当時はもうバリバリの社会人だった宮本さんや堀井さんが、劇場版『ドラえもん』を観ているのかというと微妙なラインだと思うんですよね……いや、今だったら大人でも『ドラえもん』や『プリキュア』の映画を観に行きますが、当時はこども連れ以外の大人はなかなか行けなかったろうし。
そう考えると、もっと前の年代の1972~73年の『デビルマン』の方が影響を与えていそうな気がします。Wikipedia情報ですが、『魔界村』を作る際にインスパイアされた作品の一つに『デビルマン』があったそうですし。
そう言えば『勇者ライディーン』は、『マジンガーZ』のアニメ(1972年~74年)への対抗で生まれた企画で、それが創映社(後に色々あってサンライズになる会社……と言ってイイのかな)や富野由悠季監督にとって初めてのロボットアニメで、後の『ガンダム』につながると考えると……その当時の永井豪作品の偉大さってと思いますし。
1970年代に種がまかれた「悪魔」「魔界」「魔王」といったイメージが、1980年代に花開いたってことなのかなぁと今回調べられた情報の範囲では思いました。
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