2005年~2009年あたりの『脳トレ』ブーム・Wiiブームは何だったのか
『アソビ大全』シリーズの1作目:『だれでもアソビ大全』は、『脳トレ』『もっと脳トレ』と同年の2005年11月にニンテンドーDS用ソフトとして発売されました。
昔ながらのボードゲームやカードゲームを収録したゲーム集ですが、ニンテンドーDSのタッチパネルだけで操作が出来て、ニンテンドーDSのダウンロードプレイにも対応しているため1本のソフトと人数分のDS本体があればみんなで遊べるなど、ニンテンドーDSの機能を活かしたソフトとなっていました。
ただ、この時期は、ニンテンドーDSをインターネットにつなげるサービス:ニンテンドーWi-Fiコネクションが始まる直前だったため、オンライン対戦は出来ませんでした。
その1年後の2006年、一部の収録ゲームを変更して海外で発売された『42 ALL-TIME CLASSICS』『CLUBHOUSE GAMES』は、既にニンテンドーWi-Fiコネクションが始まっていたためオンライン対戦にも対応していたことから―――それを逆輸入する形で、更に1年後の2007年に日本でもオンライン対戦が可能な『Wi-Fi対応 世界のだれでもアソビ大全』が発売されました。
このDS版の『アソビ大全』2作が発売された2005年~2007年頃というのは、『脳トレ』ブームで「ゲームらしくないゲーム」が大ヒットしていた特殊な時期です。あの時代のことをゲーマーが振り返ると「一過性のブームだった」「どうでもいいゲームが山ほど発売されてウザかった」みたいに済まされがちなのですが、私は「脳トレブームとは何だったのか」をもうちょっと考えたいと常日頃思っていました。
そこに来ての『アソビ大全』の復活―――
「脳トレブームとは何だったのか」を語るには今しかないと思ったので、ここに記していこうと思います。
◇ 「大作志向」と「アンチ大作志向」と
時代は更に遡って、1990年代後半~2000年代前半あたり。
ゲーム業界は「大作主義」による「開発費の高騰」が深刻になっていました。『ファイナルファンタジーVII』のようなお金をかけたムービーを収録したゲームが主流になったり、NINTENDO64でのソフト開発がとにかく難しくかったり、が分かりやすい例ですね。そのため、大手のソフトメーカーも倒産したり、合併したり、吸収されたりも多かった時期です。
『大乱闘スマッシュブラザーズ』の1作目を発売した直後(1999年4月)、当時HAL研究所の社長だった岩田さんのインタビューがほぼ日刊イトイ新聞に残っています。
<以下、引用>
最近は1本のソフトを作るのに、本当にたくさんの人手と時間がかかるようになっています。
ハードの性能が上がっているので当然ですし、ソフトのクオリティを高めるうえでも、ある程度はそれは必要なことだとも思っていますが、今までの文法をなぞりつつ、より複雑で、より大規模で、より豪華になっていくいっぽうのソフト群が作り出す未来が明るいとは誰も言えませんよね。
大作であるために作業量は膨大で、スタート時に見込んだ開発期間よりも遅れて完成するのは半ば慣例化していて、企画が生まれたときの、新鮮なアイディアや特長を鮮度の良いうちにお客さんに届けることが非常に難しくなっているんです。
また、ゲームにおける、あらゆるジャンルの開拓はすでにし尽くされたかのように言われているほどの現在の状況のもとで、まだ誰も手がけていない土地を発見し、開拓するのは一筋縄ではいきません。
大作志向の延長に、これからのゲーム作りの答えがあるとは私は思っていないんです。
この閉塞しつつある循環をどうにか変えるためにも、物量に頼らずともお客さんに満足していただけるものを志向したい、という強い気持ちが、私にはあります。「スマッシュブラザーズ」を作るうえでも、次に紹介する「ポケモンスナップ」を作るうえでも、そのことはとても強く意識していました。
ただ、物量ではない部分で満足していただくためには、その代わりになるもので勝負できなくてはいけません。
もちろん商品ごとに違う方法で構わないから「他人と違う角度でアプローチする」ということをこれからもますます大事にしたいと思っています。だからこそ、チャレンジのしがいがあるのだと思いますし、言い換えれば、「他人がしないことをする」、「他人がしないやりかたをする」ということかも 知れません。
</ここまで>
※ 改行や強調など、一部引用者が手を加えました
岩田さんがここで語っている危機感は、後に彼が任天堂の社長になってDSやWiiを展開していく時や、WiiウェアやDSiウェアなどのダウンロード専用ソフトを展開していく時にも語られていることです。“物量に頼らずともお客さんに満足していただけるものを志向したい”からこそ、他社がXbox360やPS3を作っている間、任天堂はDSやWiiを作ることになるんですね。
ただ、当時こうした危機感を抱いていたのは岩田さんや任天堂だけではありません。
アンチ「大作主義」、「開発費の高騰」が問題になっているからこその逆転の発想と言えば―――1998年10月に始まったSIMPLEシリーズを忘れてはいけないでしょう。機能を詰め込んだり版権キャラを載せたりするのではなく、「麻雀が遊べるだけ!」「将棋が遊べるだけ!」と削り落とすことで開発期間と開発費を抑え、その結果1500円という低価格の定価でこれらのソフトは売られました。
特に最初の『THE 麻雀』はプレステを持っている人がついでに買う定番ソフトとして100万本を超える大ヒットをしましたから、ユーザーの方にもそういう需要があったことが証明されたとも言えます。
この時期のプレステは「再販価格維持」や「中古品売買禁止」を小売に強制していたため、安くゲームを買うためには廉価版や低価格ソフトが重宝したという側面もありますね。
セガも、ドリームキャストの時代は開発期間を短くして定価を抑えるアイディア勝負のゲーム(『チューチューロケット』とか)を出していたり――――1990年代後半~2000年代前半は「大作主義による開発費の高騰」が深刻化する一方で、各社がそのアンチテーゼとして「アイディア主義の低価格路線」「物量ではない方法でユーザーを楽しませる方法」を模索していた時期だと言えるのです。
さて、任天堂はというと……
この時期の任天堂は、セガやSCEとちがって「据置ゲーム機」と「携帯ゲーム機」の2つのハードがあったため、「据置ゲーム機」の方で大作を作っていても、「携帯ゲーム機」の方でアイディア優先の低価格路線を展開しやすかったんですね。元々、任天堂の「携帯ゲーム機」の路線は横井軍平さんのアイディア主義が根付いていたのでしょうし(そのため、ゲームボーイは長く白黒だったのだけど……その話は、まぁイイか)。
ということで、ようやくこのゲームが出てきます。

<画像はWii Uバーチャルコンソール版『メイド イン ワリオ』より引用>
2003年『メイド イン ワリオ』です。
ゲームボーイアドバンス用ソフトとして発売されたこのゲームは、1つ1つは数秒で終わるプチゲームを連続でクリアしていく「ゲーム集」なのですが、テンポの良さや演出の上手さで大人気シリーズとなりました。
もちろん「ミニゲームを連続で遊んでいくゲーム」は以前からありました。

<画像はメガドライブミニ版『タントアール』より引用>
例えばセガの『タントアール』はアーケード版が1993年に稼働しているので、ちょうど『メイド イン ワリオ』の10年前ですし、スーファミの時代は「ミニゲームで対戦するパーティゲーム」がそこそこ出ていました。64の時代になると任天堂も『マリオパーティ』シリーズを展開しますしね。
『メイド イン ワリオ』の絶妙だったところは「組み立て方」だと思うんですね。1つ1つのプチゲームはぶっちゃけそれを1つずつ延々と遊んでいたら1分で飽きるようなものですが、それが次々とランダムで出てくることで全体的にはハチャメチャなゲームとして仕上がっていました。
ミニゲーム集で大事なのは、「1つ1つのミニゲーム」だけでなく「どう仕上げるのか」―――「どうプレイヤーに遊ばせるのか」のパッケージングなんだと『メイド イン ワリオ』が決定づけたことで、これ以降の任天堂はいくつかのゲームがたくさん収録されたミニゲーム集をキラーソフトとして展開していきます。
2005年 『脳を鍛える大人のDSトレーニング』。
DSのタッチペンを「数字を書かせるペン」として使い、簡単な計算やミニゲームを毎日遊ばせることによって、スコアが上がっていくことを「脳が鍛えられている」と置き換えたゲーム集です。全世界で大ヒットしました。
2006年 『Wii Sports』。
Wiiリモコンを振ることによって、自分が実際にスポーツをしているように体感できるシンプルなスポーツゲームです。収録されているのは「テニス」「ベースボール」「ボウリング」「ボクシング」「ゴルフ」の5つで、全世界で大ヒットしました。
2006年 『はじめてのWii』。
Wiiリモコンの機能を活かし、その特徴を順々につかめるミニゲームを9つ収録していました。Wiiリモコンが1つ付いているので、実質1000円で遊べるミニゲーム集として全世界で大ヒットしました。
2007年 『Wii Fit』。
上に乗った人の体重やバランスを測定するバランスWiiボードが同梱し、「筋トレ」「ヨガ」「有酸素運動」に加えて楽しく体を動かす「バランスゲーム」も収録されていました。全世界で大ヒットし、バランスWiiボードは「世界で一番売れている体重計」としてギネスに認定されました。
これらは全部、言ってしまえば「ミニゲーム集」なんです。
「どうプレイヤーに遊ばせるのか」をしっかり考えてパッケージングされたこれらの作品は、「大作主義」どころか「ゲームなんて難しくて分からない」と言っていた高齢者層や、「最近のゲームにはついていけない」とゲーム離れをしていた人達にも、「これなら遊べそうだ」と受け入れられたのです。
『アソビ大全』の1作目もそうです。
「定番のボードゲームやトランプゲームを収録」していることや、ダウンロードプレイで1本のソフトがあればみんなで遊べることから、「旅先にこれ1本持っていけばみんなで遊べる定番ソフト」とパッケージングされたんですね。
ということで、2005年以降の『脳トレ』ブームやWiiブームとは―――
・1990年代後半からの「大作志向」に対する、「ミニゲーム集」という揺り返し
・新しい操作デバイスを手に入れたDSやWiiとの相性の良さ
・ゲームのダウンロード販売が普及していなかったため、「ミニゲーム集」のパッケージ販売が受け入れられた
これらの要因が重なった時代的な背景が大きかったと思うんですね。
同じことを1990年代でやろうとしても、2010年代でやろうとしても上手くいかず、あの2000年代中盤という「時代の転換点」だからこそ起こったブームなんだと私は思うのです。
◇ 「ゲームのダウンロード販売」と、苦境に立たされた任天堂
『脳トレ』ブームも、Wiiブームも、いつかは終わるものです。
この終わった理由を「スマホが普及したから」と一言で済ませるのは、ある意味ではあっていると思いますが、言葉足らずだと私は思います。私は、ゲームをダウンロードする時代になったことこそがその要因だと思っています。
それは、スマホの普及も一因でしょう。
ですが、例えばSteamのようにPCゲームをダウンロード購入して楽しめるプラットフォームが普及したこともあるでしょうし、任天堂機も含めたゲーム機でも「ダウンロード専用ソフト」がたくさん出るようになったのも大きいんじゃないかと思うのです。
例えば4800円を払って5つのゲームが入っているパッケージソフトを遊ぶのなら、1000円で1つのゲームを遊べるダウンロード専用ソフトで十分じゃないかって思う人もいて。それがスマホだと「広告が付いているから基本無料で遊べる」とか、Steamだったら「セールの時に買えばさらに半額」みたいになっていって――――
「ミニゲーム集」の価値がどんどん下がっていったんですね。
その要因に任天堂だって無関係ではなくて。
2008年に始めたDSiウェアでは、元々パッケージソフトで売っていた「ミニゲーム集」のばら売りも行っていたんです。
『アソビ大全』のパッケージ版は42種類のゲームが収録されていて4000円弱の定価でしたが、DSiウェアというダウンロード専用ソフトで発売された『ちょっとアソビ大全』は「ばばぬき、スピード、7ならべ、神経衰弱、ダウト」の5つ、「ブラックジャック、ページワン、アメリカンページワン、だいふごう、ポーカー」の5つ、「リバーシ、将棋、はさみ将棋、五目並べ、花札」の5つを、それぞれ500円で販売していました。
今思うと笑ってしまうようなことかも知れませんが、恐らくニンテンドーDSiは「世界で最も売れている携帯ゲーム機」のポジションを活かして、今でいうスマートフォンの位置を狙っていたんじゃないかと思うんですね。電卓とか時計みたいな実用アプリや、るるぶとかクロスワードとかも低価格で販売していましたし。その流れで『脳トレ』や『アソビ大全』のばら売りをしたんでしょうが……
ニンテンドーDSiはスマートフォンになれなかったし。
「ミニゲーム集」の価値を下げていることに、任天堂自身も気づいていなかったように思えます。
「ミニゲーム集」の凋落の象徴は、Wii Uのスタートダッシュ失敗です。
Wii Uと同時発売の『Nintendo Land』(2012年)は、Wii Uゲームパッドを活かしたミニゲームを12コ収録したもので、『Wii Sports』の夢再びといったゲームでしたが―――売れませんでした。
任天堂は、Wii U1年目に『Nintendo Land』だけでなく『ゲーム&ワリオ』『Wii Party U』『Wii Fit U』『Wii Sports Club』といったミニゲーム集を展開したのですが、どれもまったくもって売れず、任天堂の経営もかなり苦しい局面に入りました。結果論ですが、この時期の任天堂は「時代の変化」を読み取れていなかったと言えます。

<画像はWii U用ソフト『Nintendo Land』より引用>
この時期、任天堂が苦境に立たされたことによって「ゲーム機不要論」「これからのゲームはスマホで遊ぶもの」「任天堂は業績回復のために早くスマホに進出しろ」といった声がムチャクチャ上がっていました。スマホがゲーム機に取って代わるものだと本気で言っている人がムチャクチャたくさんいたんですね。
しかし、スマホが普及して売れなくなったゲーム機用のゲームなんて「ミニゲーム集」くらいです。「大作志向」のアンチテーゼとしてブームになった「ミニゲーム集」は、スマホを始めとしたダウンロード販売のゲームにその役目を奪われるのですが、逆に「大作志向」のゲームはゲーム機で売れ続けました。

<画像はWii U用ソフト『Splatoon』より引用>
1年目の「ミニゲーム集」がまったく売れなかったWii Uですが、2015年に発売した『Splatoon』は大ヒット、『スーパーマリオメーカー』もミリオンセラーを達成するなど、「大作志向」にシフトチェンジした3年目はゲームが売れたんですね。ハードのシェア争いとしては、もう時すでに遅しでしたが。
「スマホがあればゲーム機なんかいらない」なんて言っていた人達はどこに行ってしまったのか、PS4もNintendo Switchも世界中で大ヒットしました。『あつまれ どうぶつの森』が世界中で売れまくっていることを知らない人はいませんよね?
ということで、現在のゲーム業界は―――
「大作」はゲーム機用のパッケージソフトで、「ミニゲーム的な軽いゲーム」はスマホを含めたダウンロード販売で展開していくのが吉(ソシャゲは大作ではないのか?の話もしたいけど、それはまたいつか要望があれば語ります)。イイ感じに棲み分けが出来ましたねー、めでたしめでたし。
と思っていたら、Nintendo Switchのパッケージソフトで『アソビ大全』が復活したという。
「えっ!!!!!!? 今更、ミニゲーム集!!!!!??」と正直思いました。しかし、大ヒットとは言いませんが、定番ソフトとしてゲームソフトの売上ランキングではTOP10に残り続けています。実はNintendo Switchにこういう需要があると見抜いて、このソフトを作っていたとは任天堂おそるべしです。「時代の変化を読み取れていなかった」とか言ってゴメンナサイ。
どうして今更『アソビ大全』が売れているのか―――
は、『世界のアソビ大全51』の紹介記事に書くのでここでは書きません!乞うご期待!
『脳トレ』もそうなんですが、ここに来て任天堂はDS時代の「ミニゲーム集」を復活させているんですね。とすると、この次に復活するのは……『メイド イン ワリオ』か『メイド イン 俺』辺りじゃないかと私は予想しています。
いっそのこと、DS・Wii時代に発売された任天堂の「ミニゲーム集」を集めた「ミニゲーム集集」とか出してくれないかなぁ。Nintendo Switchなら、タッチパネルもモーションセンサーもあるワケだし。
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