「説明書を読むのが好き・得意な人」と「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」
んで、未消化のフリートークテーマもちゃんと使い切ろうと、フリートークテーマ一覧に入れておきながら誰にも触れられなかったこの話題を今日は書こうと考えました!
私はゲームを始める際、説明書を読まずにゲームを始めるんですね。
これは別に生まれた頃からそうしていたワケではなくて、昔は説明書を読んでからゲームを始めていたのですが、故あってある時期から「こっちの方が自分はゲームを楽しめる」と確信して意図的にそうするようになりました。
しかし、それをブログで公言したり、実際に説明書を読まずにゲーム実況を始めたりしたことで、「どうして説明書を読まずにゲームを始めるんだ」とか「説明書に書いてあることがどうして出来ないんだ」とか「説明書をちゃんと読まないオマエが悪い」とか、これまでに何十ッッッ回と言われてきました。
それはもう「説明書を読んだ方がイイですよ」みたいなアドバイスじゃないんですよ。あたかもものすごく悪いことをしたかのように、叱責され、人格否定され、正義棒でぶん殴られるのです。たかだか説明書を読まずにゲームを始めただけで。
例えば『Splatoon』でわざと地面を塗らずに煽りイカをずっとしていたなら「そんなことやめろ!」と言われても仕方がないと思います。オンラインゲームでそれやっちゃうと他の7人に迷惑ですからね。
でも、1人用のゲームを「こっちの方が自分はゲームを楽しめる」と説明書を読まずにゲームを始めただけで、どうしてそこまで怒られなきゃいけないのか私にはずっと分からなかったのです。人それぞれ好みがちがう、ではダメなのかと。「多様性が大事」と表の口では言いながら、本質的にはまだまだこの国では「みんなが一緒でなければダメだ」という全体主義なのかと。
でも、最近ようやく分かりました。
世の中には「説明書を読むのが好き・得意な人」がいるんです。
そして、私は「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」なんです。
これは、「ネタバレされたくない人」と「ネタバレされたい人」がいる話とか、「一つのゲームをずっと遊びたい人」と「色んなゲームを浅く広く遊びたい人」がいる話とかと同じで―――要は「好みがちがう」というだけなのですが、そのちがいが明文化されてこなかったため、どちらの人も「自分達が標準」だと思っていて「そうでない人を矯正しようとする」力学が働いてしまうんだと思うのです。
「説明書を読むのが好き・得意な人」からすれば、世界中の全ての人が本当は「説明書を読むのが好き・得意」にちがいないと思っているから、説明書を読まずにゲームを始める私に「どうしてこれだけ言っているのに説明書を先に読んでおかないんだ!」と怒り出すのです。
また、「説明書を読むのが嫌い・苦手」な私からすれば、まさかこの世界に「説明書を読むのが好き・得意な人」がいるだなんて想像していませんでしたから、何十ッッッ回と「ゲームを始める前に説明書を読め!」と言われてきたのも100%善意で言われていたなんて思いもしませんでした。まさか本当に「説明書を読めば解決する」だなんて思っていないだろうなとタカを括っていました。
私は「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」なんで、まずは「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」の言い分から書きましょう。

これは私が木曜日までプレイしていたセガサターンの『ソウルハッカーズ』の説明書です。このゲームが発売されたのは1997年なので、およそ20年前のゲームですね。
とにかく「文字が小さい」上に、「ビッチリと文字が敷き詰められている」ため、読みづらいですし読む気が起きません。

手元にある文庫本と比較しても、文字が更に一回りも二回りも小さいことが分かると思われます。『ソウルハッカーズ』の説明書の場合は、これが64ページもあるのです。一日の中でゲームを遊ぶのに使える時間なんて限られているというのに、これを読み終えてからじゃないとゲームが始められないというのなら、「さあ始めるか」と思い立ってから実際に始めるのに3~4日くらいかかりそうですよ。
そして、そもそも「何が書いてあるのかが読んでも理解できない」のです。
書かれているのは専門用語ばかりですから、ゲームを始める前に読んでもチンプンカンプンです。『ソウルハッカーズ』の説明書に関しては28日間遊んだ後でも何が書いているのかよく分かっていませんし、『DESIRE』の説明書に関しては何十回読んでも「ディスク1からディスク2の入れ替えのタイミング」が理解できずにアルバート編を4回クリアした私なんで、ゲームを始めた後でも一緒じゃねえかと言われたらぐうの音も出ませんが。
少なくとも「ゲームを始める前」よりかは、「ゲームを始めてから」説明書を読んだ方が理解できるだろうなと思って、ゲームを実際に始めてから「分からないところがあったら説明書でそこを調べる」ことに私はしています。これは家電の説明書とかもそうで、まずは実際に動かしてみて「ああいう機能はないのかな」と後から説明書で調べる方が私には理解しやすいんですね。
最後に、これが私が「説明書を読むのが嫌い・苦手」な最大の理由なんですけど……こんなに小さい文字でビッチリと何十ページにもかけて専門用語連発で書かれた難解な文章を、覚えていられるワケがありません。
「それくらい説明書に書いてあったでしょう!」とか「一度教えたことをどうして忘れてしまうんですか!」とお叱りを受けることが多々々々々々々あるのですが、私からすれば「そんなの覚えられるワケないじゃん」ですよ。
未だに私、プレステのコントローラの□ボタンと△ボタンの位置がどっちがどっちだか覚えていないんですよ?28日間もプレイしていて「タルンダ」と「タルカジャ」のどっちがどっちだか分かっていないんですよ?「さくらいまさひろ」さんと「さくらいたかひろ」さんはどっちがゲームの人でどっちがアニメの人だか、ゲームの方のさくらいさんの本を多分全巻持っているのに未だに間違えるんですよ?
そんな人間が、一度読んだくらいで説明書の隅から隅までを覚えられると思うんじゃない!
私にとって「説明書を読めば全部解決する」というのは、「教科書を読めば学校のテストは満点を取れる」と同じくらい「なるほど完璧な作戦っスねーーーっ 不可能だという点に目をつぶればよぉ~~~」なんですよ。
1.小さな文字でビッチリと書かれた文を読むのが苦痛ではない
2.専門用語で書かれた文をちゃんと理解できる
3.何十ページにも渡って書かれたことを読んだだけで覚えていられる
それが出来るのは、能力がある人間だけなんですよ。私にはそれがありません。
「出来る人」には「出来ない人」の気持ちが分からないように、「説明書を読むのが好き・得意な人」には「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」の気持ちは分からないのです。
じゃあ、「説明書を読むのが嫌い・苦手」な私には「説明書を読むのが好き・得意な人」の気持ちは分からないと思うのですが、ここで記事を終わりにしたら「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」の言い分を一方的に書いた偏った記事だと叩かれること間違いないので、「説明書を読むのが好き・得意な人」の言い分を精一杯考えてみます。
んで、ふと思い出したことがありました。
「説明書を読まないとコメント欄で怒られる」という話……『ソウルハッカーズ』みたいなゲームソフトの説明書に限った話じゃなくて、Wiiの説明書とか、Wii Uの説明書についても言われたことがあるんですよ。「そんなのは説明書に書いてあるでしょう。ちゃんと読んでください!」と。
ゲーム機の説明書なんて、イチイチ全部読む人いるの……?
と、その当時は驚きました。
だって、ゲーム機の説明書なんてむっちゃブ厚いじゃないですか。しかも、最近のゲーム機は「色んなことができる」ためにその一つ一つをページ数使って説明していて、更にその大半は「説明書を読まなくても実際に操作してみれば分かる」ようなものじゃないですか。
でも、そのブ厚い説明書の「何ページのここの部分にこう書いてあるのに、どうしてそれが分からないんですか」と責められるんですよ。ここは大学受験に向けた予備校か?
しかし、世の中には「説明書を読むのが好き・得意な人」がいるという前提に立って考えてみると、分かるんですね。彼ら・彼女らからすれば、恐らく「説明書を読む」ということ自体が娯楽で、読めば読むほど知識が溜まっていくことに快楽があるんじゃないかと思うのです。
例えとして相応しいかはちょっと分からんのですが、ウチの甥っ子(小4)は『スマブラSP』の超ブ厚い攻略本を読むのが大好きです。調べてみたら832ページもあるらしいですよ。
甥っ子はそんなブ厚い本の隅から隅まで読んで覚えるのが好きなので、「Wii Fitトレーナーの空中後ろ攻撃はどーのこーの」とか「○○と××のキャラはアピールに当たり判定がある」とか「クレイジーハンドがこういう動きをした時は○○に移動して防御」みたいな知識をむっちゃ披露してくるのです。私も同じゲームを遊んでいるはずなのに、何一つ分かりません。だって私、「ダッシュして殴ると強い」くらいの知識で『スマブラ』を戦っているし……
好きなものの知識を蓄えるのは楽しい、小4の甥っ子を見るとそれを実感しますし―――「説明書を読むのが好きな人」達も同じことなのかなと思うのです。
Wii Uの説明書をイチイチ全部読むのも、Wii Uという新しく買ったゲーム機の全部を知り尽くすための情報がココに詰まっているぞ!読まないのはもったいない!と思っていたからで、そういう人からしたら説明書を読まない私は「お寿司のシャリを食べずに捨てている人」並みに「けしからん!」と怒りたくなったのでしょう。そこが一番楽しいのに、それを面倒くさがるなんてトンデモない!的な。
この話、多分……「一つのゲームをとことん遊びつくす天文学者タイプ」と「色んなゲームをちょっとずつ遊びたい宇宙飛行士タイプ」の話とつながっていて。それがイコールなのかは分かりませんが、例えば天文学者タイプならそのゲームのことを知り尽くしたいから説明書や攻略本も読むのが楽しくて、宇宙飛行士タイプなら説明書や攻略本を読む時間を惜しんでその時間で次の星に行きたいと考える―――みたいな推論が立つのかなぁと。
スマホ用のキャラ集めて育成するタイプのゲームとか、『Splatoon』みたいなオンライン対戦ゲームとかだと、「攻略サイトをちゃんと読め」とか「上手い人の動画を見て勉強しろ」とか言われることも多いんですけど……宇宙飛行士タイプの自分からすると、どうして「ゲームを遊ぶ」ために事前に「勉強」しなきゃいけないの?って思うんですよねぇ。それ、もう「遊び」じゃないじゃん。「毎日のつらい生活」から逃げ出して息抜きで「ゲーム」を遊びたいのに、こっちでも「勉強」しなきゃいけないならこっちも「つらい」になっちゃうじゃん。
でも、天文学者タイプの人からすると「勉強も楽しいじゃん」ってなるんですよね多分。大好きなゲームについて研究するのって楽しいじゃんって。小4の甥っ子が832ページもある攻略本を喜んで熟読するように、好きなものについての知識を覚えるのって楽しいじゃんって思うのでしょう。「説明書を読むのが好き」というのは、その一歩目なのかなと。
1.小さな文字でビッチリと書かれた文を読むのが苦痛ではない
→ 大好きなゲームについての情報がたくさん書かれている!
2.専門用語で書かれた文をちゃんと理解できる
→ 難解で読みにくい文章ほど、読み解く歯ごたえが楽しめるぞ!
3.何十ページにも渡って書かれたことを読んだだけで覚えていられる
→ 一回で覚えられなくても、覚えるまで何十回と繰り返し読むから長く楽しめる!
「説明書を読むのが嫌い・苦手」な私からすると苦痛でしかないことが、「説明書を読むのが好き・得意な人」からすれば「楽しくて仕方ない」にひっくり返るのです。だから、100%善意で、こんなに楽しいことをどうしてやらないんですかと怒ってくるのでしょう。
まぁ……学校が大好きな人からすれば、学校に来たがらない人に「学校楽しいよ!」「学校に来てるみんなこんなに楽しそうにしてるよ!」と言いたくなるみたいなもんでしょうよ。学校嫌いな人からすれば、逆効果だけどな!「俺以外の全員が楽しそうにしている学校に、俺だけがつまんない思いをするために行かなくちゃいけないって何だよ!」
さてさて。
こんな風に「説明書を読むのが好き・得意な人」と「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」がいるだなんて話は、過ぎ行く平成の風景とも言えて、そもそも説明書自体がなくなりつつあるのが現在です。

例えば、Nintendo Switchのゲームソフトには説明書は付いていません。
印刷コストのこととかもあるのかもですが、電子説明書すらなくなったのは「ダウンロード版」や「ダウンロードソフト」との兼ね合いも考えてのことかなぁと私は考えています。
例えば、海外のSteamゲームを日本でも発売したいと考えたとき、電子説明書を日本語で作らなきゃいけないとなると海外メーカーにとっては大変ですからね。私、Nintendo Switchにたくさんのインディーゲームが並ぶようになった要因の一つに「電子説明書を撤廃したこと」があると思っています。

そもそもNintendo Switchは、本体にすら説明書が付いていませんからね。
詳しくはサポートサイトを見てねと、WEB上に説明書代わりになるものを載っけているのです。
この理由はいくつか考えられて……
一つには「今のゲーム機はバージョンアップで機能が変わる」からだと考えられます。
例えば、私が以前に「Wii Uの説明書を読んでいないで怒られた」という話をさっき書いたのですが、怒られた内容が「バーチャルコンソールについて」だったんです。バーチャルコンソールのその機能はWii Uの説明書に書いてあるのにどうして読んでないんですか!と。
でも、私がWii Uを買った時にはWii Uはバーチャルコンソールがなかったので(ソフトがあまりに少なかったので本体発売2ヶ月後に急遽スタート→正式なスタートはその3ヶ月後)、私の持っている説明書にはバーチャルコンソールの説明が書かれているワケがないんですね。そもそもその説明書をどうやら間違えて捨てちゃったみたいなんで、その確認も出来ないのですが(笑)。
要は、発売後に追加された機能は「紙の説明書」では解説できないのです。
例えば先ほどリンクを貼ったNintendo Switchのサポートサイトでは、つい先日のアップデートで追加された「セーブデータだけを他のSwitch本体に引っ越す機能」についての説明も書かれています。説明書をWEBサイトに載せることで、最新の情報にアップデートが出来るようになったんですね。
これは「ゲームソフトに紙の説明書を付けない」理由の一つでもあるかも知れませんね。特に任天堂タイトルは段階的にバージョンアップさせることで「長く遊んでもらう」ことを狙っているため、『スマブラSP』の「ステージ作り」のようにモード自体が追加されていくことも多いですし。発売時に同梱した「紙の説明書」は、半年後には説明書として役に立たなくなってしまうのです。
それと、Nintendo Switch本体に「説明書」が付いていない理由として考えられるもう一つのものは……今日の記事を踏まえることで意味がようやく分かることだと思うのですが、「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」にとってはブ厚い説明書があるとそれだけで「自分には無理そう」と思っちゃうんですね。
さっき私はWiiの説明書やWii Uの説明書を読んでいないことで怒られたと書きましたが、誰に怒られるまでもなく自分自身で「このブ厚い説明書を全部読まなくちゃいけないんだ」とプレッシャーをかけてしまう人も少なくないと思うんですね。そういう人はちゃんと全部読もうとして、でも説明書を読むのが苦手ですから「自分には難しい」と、せっかく買ったゲーム機をほとんど起動しないでしまっちゃったりするのです。
この例えはオッサンにしか伝わらないでしょうが、20年くらい前にパソコンを買ったら「俺が買ったのはパソコンか?それともパソコンの説明書か?」というくらいにブ厚い説明書が何冊も付いてきて、それでもうギブアップしてしまった人が結構いたんですね。逆に、「説明書なんかどうでもイイからとりあえず電源を入れよう」と、碌に読まずに始めちゃうような人の方がガンガン使いこなしたりしていて。
その時代から考えると、最近のパソコンの説明書は「同人誌かよ」と言いたくなるくらい薄い冊子になっていて、買った人に怖がられないようになったと思います。
世の中には「説明書を読むのが好き・得意な人」と「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」がいるという視点で考えると、昨今のトレンドは間違いなく「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」に向けた商品展開なんですね。説明書はどうせ読まれないし、むしろあることで「読まなくちゃいけないのか」「面倒くさいな」「じゃあもう買うのやめよう」とまで思われるから、思い切ってなくしていこうと。
「説明書を読むのが好き・得意な人」からすると、それは由々しき事態で「どうして説明書をなくしていくんだ!入れて損するものじゃないだろう!」と怒っている人もものすごーーーーーーくたくさん見かけるのですが。でも、アナタ達「説明書を読まずにゲームを始める私」のことを散々罵っておきながら、それは無責任じゃないですか?少なくとも私は「こんなに怒られるくらいなら説明書なんかなくなってしまえばイイ」ってずっと思っていましたよ!
いや、もちろん「説明書を読まないでゲームを始めるヤツはけしからん!」って怒る人がいるから説明書がなくなった―――とは思いませんけど(笑)。説明書という存在が、「ゲーム」という娯楽のハードルを上げていた(=説明書に書かれているような知識がないと楽しめないと思われていた)側面はあるんじゃないのかなぁと思うのです。
ガラケー時代のソーシャルゲームや、スマホのゲームなんかが「気軽に始められる」と思われたのも、説明書がないことで「最初のハードル」が低かったからだと思いますし。まぁ、そちらもそちらでやりこんでいくと「ちゃんと攻略サイトを読んで勉強しろ!」って怒る人が出てくるんですけど……
あれ?結局、説明書があろうがなかろうが、私は息をしているだけで怒られるのでは?
| ゲーム雑記 | 17:53 | comments:16 | trackbacks:0 | TOP↑
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