『DARK EDGE』全15巻紹介/男女6人の学園青春群像劇!ただし、放課後はゾンビとか出るよ!
・学園ホラー?バトル?いや、やっぱりこれは青春群像劇なんだ
・誰にとっても謎に満ちた「夜の学校」は、想像以上に謎でいっぱいだった!
・ガンガン人が死ぬシリアスな話なのに、明るさを失わないのが高校生らしい
【キンドル本】





【苦手な人もいそうなNG項目の有無】
※ この記事に書いたNG項目があるかないかを、リスト化しています。ネタバレ防止のため、それぞれ気になるところを読みたい人だけ反転させて読んでください。
※ 記号は「◎」が一番「その要素がある」で、「○」「△」と続いて、「×」が「その要素はない」です。
・シリアス展開:○(「それを乗り越える明るさがある」とは言え、人が死ぬシーンも多い)
・恥をかく&嘲笑シーン:×
・寝取られ:○(誰に感情移入するかにもよるけど、継子の話はやるせないかも)
・極端な男性蔑視・女性蔑視:△(雄シードと雌シードのちがいみたいな差異はある)
・動物が死ぬ:△(ネズミとか鳥とかは死んでたはず)
・人体欠損などのグロ描写:○(グロくはないけど、ゾンビの腕がもげたりはしょっちゅう)
・人が食われるグロ描写:○(直接的な描写はないけど、臓物を食うヤツがいるので…)
・グロ表現としての虫:×
・百合要素:×
・BL要素:×
・ラッキースケベ:△(園部先生の存在そのものがラッキースケベ感ある)
・セックスシーン:△(エロイシーンではないが、子作りをするシーンはある)
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◇ 学園ホラー?バトル?いや、やっぱりこれは青春群像劇なんだ
この漫画は、相川有先生が1998年から2006年まで電撃コミックガオにて連載されていた作品です。同名のセガの格闘ゲームがありますが関係はありません。相川有先生は、最近だとアニメ化もされた『人外さんの嫁』の原作の人と説明したら分かりやすいですかね。
元々私はこの漫画がすごく大好きで、自炊したチェックがてら最近また読み返したら「やっぱり面白いな」と思い返しました。全15巻という長い作品はなかなか人に薦めづらいかなーと思ったら、なんと現在は幻冬舎から文庫版が全5巻にまとめられていて、キンドルなどでも買えるそうな。
全5巻なら勧めやすい!ということで、紹介記事を書くことにしました。全15巻のものをムリヤリ全5巻にまとめているので、全5巻とは言え「1冊580ページくらいある」んですけどね(笑)。逆に言うと、ストーリーが削られたりはしていないみたいです(カラーイラストは削られているっぽい)。
しかし、この作品……大好きだという私からしても「どう説明して良いのか分からない作品」なのです。ネタバレを避けようとしたらなおさら。Wikipediaのページに書かれているジャンル名は「学園ホラー」ですが、「ホラー要素ある?」と思ってしまいますし。幻冬舎のジャンル分けだと「SF/ファンタジー」となっていて、「いやまぁファンタジーと言えばファンタジーだけどさ……」としっくりきません。
『学園が舞台なのだから、学園モノでイイのでは?』
「いや、でもゾンビとか化け物とか出てくるし……」
『じゃあ、やっぱり学園ホラー?』
「でも、ゾンビが怖いのは最初だけで、対抗手段ができたら『ゼルダ』の雑草みたいになるし」
『ということは、化け物を退治するバトルものか』
「退治もしていないような……戦闘シーンはあまり重視されていなくて、人の動きが重視されていると思う」
『なら、人間ドラマ?』
「そこまで重厚ではないな。基本的にはコミカルなノリで、ギャグも多いし」
『学園ホラーバトルヒューマンコメディ?』
「なんだよそのキメラ」
とまぁ、2019年にもなって対談形式で説明したくなるくらい「ジャンルの説明が難しい」作品なんですけど、じゃあこの様々な要素の中で一番重要なのはどれなのかを自分が考えてみた結果―――主人公が一人ではない群像劇、なのかなと思いました。
いや、主人公は「四辻学園に転校してきた高木九郎くん」なんですけど。

<画像は『DARK EDGE』第1巻1話「閉じられた教室」より引用>
同じように放課後にたまたま居残ってしまったクラスメイト5人――――「赤坂未紀」「吉国紘一」「清水朗実」「西脇類」「伊勢鉄三」もまた事件に巻き込まれて、一人一人が別々の考えを持って行動する群像劇になっているのです。要は「主人公が6人いる」と言っても過言ではないのだけど、この他にも「先生」だったり、「謎のジイ」だったり、色んなキャラがそれぞれの意思と目的を持って行動するのが最大の魅力かなと思います。

<画像は『DARK EDGE』第6巻34話「NIGHT FEVER」より引用>
私が好きなキャラは、女性陣を差し置いて、何と言っても吉国くんです。
一見するとチャラチャラしたウェーイ系のキャラなんだけど、困っている人を放っておけない「イイヤツ」でありながら、ある感情を抑えられない「危うさ」も持ったキャラで……それがすごく人間臭いんです。人間って、「イイヤツ」なことと「危険人物」なことは矛盾しないよねという。
メインキャラとなるクラスメイト5人は、どのキャラも「こういうキャラです」と一言では言えない複数の側面を持っていて、だからこそ「生きた人間」に見えるのだし。「生きた人間」として感じられるキャラだからこそ、一人一人考えて行動する“群像劇”が成り立つんですね。
私が“群像劇”を殊更に好きなのは、主人公が1人だと物語が「主人公の思惑の通りになったか/ならなかったか」の範囲でしか動かないのに対して、主人公が6人もいるとそれぞれの思惑が交差して「予測不能な展開に進むストーリー」になるからです。『DARK EDGE』はその6人だけじゃなく、その他にも色んなキャラがそれぞれの思惑で動くため、「ハイハイ、今回はこういう展開ね」みたいなものがちっとも読めずに進むのです。
ですが、そういう理屈じゃなくて……「色んな人間がいる」世界を見せてくれることは、「こういう人間でなければいけない」という圧力をかけ続けられる現実に生きていれば生きているほど愛おしく思うし、「色んな人間がいてイイんだ」と描いてくれるこの作品は優しく感じるのです。いや、ガンガン人が死んでいるけど。

<画像は『DARK EDGE』第11巻64話「夜と泡」より引用>
そう考えていくと、この作品に一番しっくり来るジャンル名は「学園を舞台にした群像劇(ただし、ゾンビとか化け物とかも出るよ!)」なのかなぁと思います。結局のところ、長い。
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◇ 誰にとっても謎に満ちた「夜の学校」は、想像以上に謎でいっぱいだった!
“群像劇”というのは下手すれば話があっちに行ったりこっちに行ったりなりがちなので、「登場人物Aのしたことが、まわりまわって登場人物Fに影響を与える」みたいな“キャラ同士の距離感”が大事だと私は思っています。
そのため、「一つの建物」とか「一つの町」といった狭いエリアの中にキャラを集めるのがセオリーで、池袋を舞台にした『デュラララ!!』とか、渋谷を舞台にした『街』『428』とかがイメージしやすいかなと思います。
『DARK EDGE』の場合は、舞台は「四辻学園」という一つの学校です。
もちろん登場人物は学校の外に出ることもあるのですが、話の中心は「四辻学園」にあるので、その学校に通える範囲内で話は収まっています。学校という狭い空間の中でたくさんのキャラが動くので、それぞれのキャラが相互作用していくのです。

<画像は『DARK EDGE』第1巻1話「閉じられた教室」より引用>
この学校には妙な校則があります。
「日没後は学校に残ってはいけない」し、巨大な門が閉じてしまうので「もし残ってしまったら夜明けまで出ることは出来ない」という。
「高木九郎」「赤坂未紀」「吉国紘一」「清水朗実」「西脇類」「伊勢鉄三」の6人は、元々はそれほど仲のイイ関係でもない“ただのクラスメイト”でしたが(吉国と西脇は入学時からつるんでいたみたいだけど)……たまたまこの6人で放課後の学校に取り残されたことで、この学園の謎に近づいてしまうのです。
つまり、この作品……小学生くらいの時なら、誰もが妄想したことがあるであろう「この学校は夜はどうなっているんだろう?」「先生達は実は何かの組織の一員で、子供達を何かの実験材料にしているんじゃないのか?」みたいなものを真剣に描いている作品だと思うんですね。
誰にとっても謎の存在だった「学校の本当の姿」「先生の本当の姿」を暴いたら、「流石にそこまでのものは妄想してなかったぞ!」というものが出てきた作品というか。

<画像は『DARK EDGE』第4巻20話「タイトロープ」より引用>
ここまでの説明だと「やっぱりホラーで怖い作品なんじゃないの?」と思われかねないんで、園部先生を置いておきますね。
ストーリー展開としては「謎が謎を呼ぶ」もので、連載リアルタイム時はなかなか真実が見えなくてもどかしい思いもしました。今考えればそれもそれでリアルというか、「末端の先生が学校のことを全部分かっているワケがない」し、「校長先生だって理事長の考えていることは分からない」し、「理事長にはなかなか会えない」し。めっちゃファンタジーな作品だけど、こういうところは現実の学校を暗喩しているように思えなくもない。
ですが、完結している現在なら最後まで一気に読めますからね。
流石にこの設定は後付けだよね?と思うところもなくはないですが、大きな破綻もなく「そういうことかー!」とどんどん真実に近づいていく様は爽快だと思います。個人的に、ラストシーンは本当秀逸だと思うんですよねぇ。

<画像は『DARK EDGE』第9巻53話「一年B組 江田島 滋の一日」より引用>
しかし、それはあくまで「夜の学校」の話です。
「昼の学校」は、ちょっと授業が変わっていたり、体育とか音楽の授業がなかったり、部活もないっぽかったり、変なところもありますが生徒達にとってはちゃんと学校なんですね。壮絶な「夜の学校」の話の後には、平穏な「昼の学校」の話が描かれるし、この回みたいに「事情を全く知らない一般生徒の話」が描かれることもあります。
この「昼」と「夜」の両面を交互に描いていく様は、『ペルソナ』っぽいと言っている人もいました。私は『ペルソナ』シリーズをやっていないので、その喩えがどれくらいピッタリなのかはよく分かりませんが(笑)。
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◇ ガンガン人が死ぬシリアスな話なのに、明るさを失わないのが高校生らしい

<画像は『DARK EDGE』第1巻5話「FIRE MAN」より引用>
レビュー記事というのは、「漫画」だったり「ゲーム」だったり、本来なら深く考えなくても楽しめる作品たちを文章だけでその魅力を説明するという記事なので……どうしても、小難しい説明になってしまいがちです。この作品も、魅力を説明しようとするとどうしても理屈っぽくなってしまうのですが。
この作品の最大の魅力(2度目)は、そういう小難しい説明や理屈を抜きにして、とにかく明るいところだと思うんです。
私は1巻の上のコマを見て、この作品を好きだと直感しました。
重い話もある、ガンガン人も死ぬ、作品が描いているテーマもシリアスなはず―――なのに、この作品は「怖がってる?」「うん、バッチシ!」という明るいノリを失わないんです。

<画像は『DARK EDGE』第12巻69話「暁regeneration」より引用>
ゾンビから隠れるシーンなのに、何だか楽しそう。
清水さんは単なる「明るいキャラ」ではないのだけど、作品全体を明るくしてくれるムードメーカーで見てて楽しいキャラでした。赤坂さんとの女子コンビは良いバランス。

<画像は『DARK EDGE』第7巻38話「SISTER・NOON」より引用>
でも、他のキャラもやっぱり魅力的。
相川先生の作風なのか、シリアスなシーンにもクスリと出来るコミカルさがあるのです。
そのおかげで最終巻まで憂鬱にならずに楽しく読めるというのもありますし、実際「高校生がこういうことに巻き込まれたらこういうカンジになるかもな」とも思うんですよ。
人が死んだからって、その後の人生をずっと暗く生きていくワケにもいかないし、ところどころに笑顔になれるところを見つけて笑って生きていくんじゃないかと思うんですね。特にこの学校の場合、頻繁に人が死ぬから、死人が出ることの感覚も麻痺してくるでしょうし。
もし、この主人公達が大人だったら「こんなことをしている場合ではない」と学園から離れていったと思うんですが、彼らはまだ高校生ですから“モラトリアム期間”というか、「このワケの分からない事態を楽しんでしまおう」という感覚が生まれるのもリアルな感情かなと思います。
◇ 結局、どういう人にオススメ?

<画像は『DARK EDGE』第13巻75話「daytime nightmare」より引用>
「シリアス」と「コミカル」、「昼」と「夜」、「人間」と「化け物」、そして同じ人間であっても「ちがった考え方のクラスメイト」―――異なるものが組み合わさって出来ている作品なので、そのごちゃ混ぜ感を面白そうと思える人には是非オススメです。
ホラー要素はそんなに強くないと思いますよ(ホラーというよりむしろバトル要素の方が強い)。
んで、やっぱり「学校」という舞台は、そういう「色んなものが集まる場所」なんですよね。年が近いという理由だけで振り分けられたクラスメイトには、「頭のイイやつ」も「頭の悪いやつ」も「趣味が合うやつ」も「趣味が合わないやつ」もいるワケで―――「学校」という舞台装置を活かした、オンリーワンな“群像劇”だと言えると思います。“群像劇”が好きな人にももちろんオススメです!
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