『うちのクラスの女子がヤバい』全3巻紹介/クラスメイト一人一人が主役の群像劇!
・「超能力」とは呼べない、心底しょーもない「無用力」のおかしさ
・主役が毎回変わることで、多角的に見えてくる「うちのクラス」
・「うちのクラス」と一緒にすごした1年間の果てに……
【紙の本】



【キンドル本】



【苦手な人もいそうなNG項目の有無】
※ この記事に書いたNG項目があるかないかを、リスト化しています。ネタバレ防止のため、それぞれ気になるところを読みたい人だけ反転させて読んでください。
※ 記号は「◎」が一番「その要素がある」で、「○」「△」と続いて、「×」が「その要素はない」です。
・シリアス展開:×
・恥をかく&嘲笑シーン:△(教室が舞台なので多少は…)
・寝取られ:×
・極端な男性蔑視・女性蔑視:×
・動物が死ぬ:×
・人体欠損などのグロ描写:×
・人が食われるグロ描写:×
・グロ表現としての虫:△(グロくはないけど昆虫が出てくる回はある)
・百合要素:×
・BL要素:○(BLというよりトランスジェンダーの話がある)
・ラッキースケベ:×
・セックスシーン:×
◇ 「超能力」とは呼べない、心底しょーもない「無用力」のおかしさ
この漫画は、2015年~2017年に月刊少年マガジンエッジで連載されていた学園漫画です。とある高校の1年1組を、毎回主人公を変えながら描くオムニバス作品なのですが……この1年1組が変わっているのが、

<画像は『うちのクラスの女子がヤバい』2巻8話「ふたば+れもん」より引用>

<画像は『うちのクラスの女子がヤバい』3巻12話「リュウとランタンの灯り」より引用>
女子だけ、「無用力」という特殊能力を持つ人が集められているという。
正式名称を「思春期性女子突発型多様可塑的無用念力」と呼ぶもので、言ってしまえば「超能力」なのだけど、「無害」で「役に立たない」もので「感情が昂るなどといったコントロールしにくい発動条件」で「思春期が終わると失われてしまう」というしょーーーーもない能力なのです。
「面白いことがあると下半身が光る」、「熱視線を向けると室温が真夏くらいに上がる」、「混乱するとモスキート音を発する」、「悪だくみをするとお好み焼きのにおいを発する」……もしこの漫画が『ハンター×ハンター』だったら「こんな能力でどうやって戦えばええねん」と言いたくなるものばかりなのだけど、だからこそこの作品ではこうした能力が「無用力」と言われ、大して問題視もされずに「個性」として尊重されているのです。
この「非日常」が溶け込んだ「日常」の描かれ方は、『亜人ちゃんは語りたい』とかに近いかも知れませんし。
人それぞれちがう「能力」を持っていると描かれるのは『とある科学の超電磁砲』とかにも近いかも知れません。あちらも能力者が全国から学園都市に集められている設定ですし、「たいやきの温度が下がらない能力」なんかは「無用力」っぽいですし(笑)。
読者からすれば「次はどんなヘンテコ能力が来るのだろう」と毎回楽しみに出来ますし。
でも、当人にとっては「無用力」も一つの「思春期の悩み」ですから、1話完結の「青春の1ページ」の話として面白いのです。「無用力」という設定はファンタジーではあるんですけど、思春期特有の「自分には何か特別な力があるはずだ」という万能感と「自分の力は世界の広さの中ではちっぽけなものだ」という無力感をメタファーのように表現しているのかなと思うのです。
私達には「無用力」なんてないけれど、誰もが「無用力」のような何かは持っていたよね――――と。
◇ 主役が毎回変わることで、多角的に見えてくる「うちのクラス」
しかしながら、私がこの作品を大好きな最大の要因は、何といってもこの作品が「1年1組」を舞台にした群像劇になっているところです。毎回主人公が変わるオムニバス作品というのは、一つの場所を舞台にすると群像劇になるのです。「1年1組」という狭い空間の中なら、なおのこと。

<画像は『うちのクラスの女子がヤバい』1巻1話「ギッちゃんの目論見」より引用>
例えば、第1話の主人公として登場する「ギッちゃん」こと擬星くんは……

<画像は『うちのクラスの女子がヤバい』1巻3話「点子ポエティック」より引用>
第3話では、この回の主人公である点子ちゃんにギャルゲーを貸す「チョイ役」として登場するという。1話完結のオムニバス作品ですから1話単体でも楽しめるのですが、両方を読んでいると「確かに第1話の擬星くんの行動は非モテっぽいところがあったけどギャルゲーヲタクだったからなのか!」と合点がいくのです。
前のエピソードで主人公だったキャラが、後のエピソードでは脇役として登場したり。
前のエピソードで脇役だったキャラが、後のエピソードでは主人公として登場したり。
1巻の頃はこういうクロスオーバーがあまりないのですが、2巻・3巻と進んでいくにつれてこういうクロスオーバーが出てきてどんどん面白くなっていくのです。私がこの作品の中でトップ3に入るくらいに好きなエピソードである2巻の「メカブ現像」という回は、これを見事に活かした話なので、是非そこまで読んでほしい!「群像劇の面白さってこういうことかー」と分かってもらえると思いますから!
しかし、こういった「オムニバス」であり「群像劇」にもなる作品って、読者が「このキャラは以前に出てきたあのキャラか!」と分からないとなりません。要は、キャラの描き分けが出来ていないとなりたたないんですね。
名前は出しませんけど、別の作品で「オムニバス」であり「群像劇」にもなっている作品があったのですが……その作品は、すっごく絵が美しくて女のコも可愛かった一方で、どのエピソードの主人公も似たような見た目で「このキャラは以前に出てきたあのキャラか!」となるどころか「このキャラって前にも出てきたっけ……?」と、本来なら超面白いクロスオーバーがイマイチ楽しめませんでした。
そこを行くと、この『うちのクラスの女子がヤバい』という作品は……いわゆる萌え系の可愛らしい絵柄ではないのですが、キャラごとのデフォルメがきっちり効いていて見分けのつかないキャラはほぼいません(雨々と沐念さんは若干厳しいけど……)。「無用力」も含めたキャラクターの個性付けも強烈なので、印象にも残ります。
この絵柄、この設定が、「クラスメイト一人一人が主役の群像劇」を描くのにベストマッチなのです。


<画像は『うちのクラスの女子がヤバい』3巻13話「犬釘ノート」より引用>
全然関係ないけど、犬君のこの台詞すげー好き。
◇ 「うちのクラス」と一緒にすごした1年間の果てに……
「1年間」と書きましたけど第1話から読んでいくと「季節が二巡しているような……」とは思うのですが、まぁそこは置いといて(笑)。いろんなキャラを主役にして一つのクラスを描くと、「主人公を好きになる」というよりかは「このクラス全体を好きになっていく」ものです。
コイツとコイツは仲が悪い、コイツは女子とは会話できない、コイツは誰と話しても相手を困惑させてしまう、コイツはクラスの中で浮いている―――それが全部好きになってくるんですね。
そういう清濁が混在しているのが「クラス」だと思うし、自分が学生の頃はそれがイヤだったのに、大人になると「そこが面白かったんだなー」とその良さが分かるようになって、自分もこのクラスの一員になって1年間を過ごしたような気持ちになれるのです。

<画像は『うちのクラスの女子がヤバい』3巻15話「悩める雨々」より引用>
そして、その1年間の果てに……
毎回主人公が入れ替わり、“神の視点”でクラスを見守ってきた読者にとって最終回は見事としか言えない回でした。1話完結のオムニバス作品ですけど、是非最初から最後まで通して読んでもらいたい!“神の視点”である読者しか気づかない「謎」がつながっていくところがたまらないのです。

<画像は『うちのクラスの女子がヤバい』1巻5話「ミクニさんとおにぎり」より引用>
読者しか存在を知らない謎の仮面の組織。
コイツらの正体と企みとは……
| 漫画紹介 | 17:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑
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