いじめは「善悪の価値観」が狂うことで生まれるんだと思う
広い海へ出てみよう(東京海洋大客員助教授・さかなクン)
自分はこのコラムに感動して、勇気をもらい、こういうことを伝えられるような人間になりたいと奮い立たされました。
「さかなクン」なんて馴れ馴れしく呼べません。私にとって彼は「さかな様」です。しかし、「さかな様」と呼ぶとものすごくバカにしているみたいなので、やっぱり「さかなクン」と呼ぶことにします。
「広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。」
いじめ問題について、これほど的確に事態を表現した言葉があるかって思います。
いじめは“閉鎖された狭い社会”の中で生まれます。学校の教室も、部活も、“せまい水槽”もそうです。つまりね、いじめというのは「いじめ加害者」にも「いじめ被害者」にも最大の原因はなく、「その環境」にこそ最大の原因があるんだと思うのです。
○ 悪人が「いじめ加害者」になるのではない、と思うべき
今日の記事は落ち着いて読んで欲しいです。
私は「いじめをした加害者」を擁護する気はありませんし、ちゃんとした形で罰せられるべきだと思っていますし、「いじめ加害者になると社会的な罰を負うことになる」という認識がちゃんと広まらなければならないと思っています。罰がなければ罪を食い止められないというのは寂しい話ですけど。
それを前提にして。
「いじめ加害者」は“生まれながらの悪人”がなるワケではなく、“普通の人”がいつの間にかなってしまうんだ―――と書かなきゃならんと思うのです。この記事を読んでいる貴方も、貴方の親しい人も、いつ加害者になるか分かりませんし、既になっているかも知れません。
「いじめというのは滅多に起こらない特別なことで、いじめ加害者は極悪人で、まさか自分の身の回りの人が加害者になんかなるワケがない―――」という認識は間違っています。
今回の辛い事件を受けてTwitterに流れてきた話で興味深かったPOSTがあって、
学生時代に自分をいじめていたヤツに同窓会で会ったら、ソイツが「ウチらの時代にはイジメなんかなかったのに最近の子どもは酷いね!」と言っていた――――という話でした。
いじめをしている人は自分のしている行為が「いじめ」だと認識していなかったり、
いじめをしている人は自分のしている行為が「悪いこと」だと認識していなかったりするんです。
世の中で起こっている「いじめ」の多くは、「むしろクラスのため」とか「むしろ部のため」とか「むしろ水槽のため」みたいなカンジに、「悪いこと」と認識していないどころか「良いこと」だと思って行われていることが往々にしてあると思うのです。
まぁ……流石に今回ニュースになった件は度が過ぎていると思いますけど、
いじめの入り口としてよく起こる「みんなで無視する」行為も、やっている当人達は「悪いこと」とも「いじめ」とも思っていなくて、「これでクラスのみんなが幸せになるだろう」くらいの認識じゃないかと思うのです。
もちろんおかしい。
外から見ると「クラスのみんながソイツを無視している」状況なんて異常だし、絶対に良くないし、「悪いこと」だと分かります。でも、中にいるとそれが分からなくなってくるんです。
いじめがニュースとして取り上げられた際に、後から教師に話を聞くとよく出てくる「生徒同士でじゃれあっているだけだと思っていた」なんてのもまさにソレですよね。
さかなクン言うところの「せまい水槽」の中では、独自の「善悪の価値観」が生まれ、徐々にそれが暴走していってしまうんです。広い世間の中では「悪いこと」として当然のように認知されている行為も、狭い閉鎖された社会の中では「悪いことではない」とみんなが認識してしまうことが起こるんです。善悪の価値観が狂ってしまうんです。
いじめの例だと「いや、そんな酷いことは起こらない」と思う人も多いでしょうから、もっと誰にでも起こる軽い例で書きます。
いつも遊んでいる友達グループだけど、今日はその中の一人が来なかった。そうすると残りの全員でソイツの陰口を言うんだけど、次にみんなで会った時にはわざわざそんな話はしない――――
自分の身に置き換えて考えれば「それくらい別に悪いことじゃないよ」と思うでしょう。
でも、貴方がファミレスに行って、後ろの席に座っている女子高生グループがこんな陰口大会をしていたら「女子高生怖い……(´・ω・`)」って思うでしょう。閉鎖された人間社会の中では「善悪の価値観」が独自の方向に狂っていき、悪いことが悪いこととして認識出来なくなることがあるんです。
加えて言うならば、「いじめ」は中学生や高校生の間でだけ起こることではありません。
「いじめ加害者は人間的に未熟な子どもだからいじめを引き起こしてしまうんだ」とは必ずしも言えないんです。
職場にもいじめがあるところがあります、世界中の軍隊とか自衛隊なんかでもいじめはあると聞きます。日本古来の「村社会」にも独自の価値観でいじめと呼べるようなこともしていました。
人間的に成熟した大人であっても、閉鎖された人間社会の中では「善悪の価値観」が狂ってしまい、いつの間にかいじめをしていた(けど本人はいじめだと認識していなかった)――――なんてことが起こるんです。
「いじめ加害者」になるのは「悪人」だけだなんて思っちゃダメです。
その閉鎖された人間社会の中では、知らず知らずの内に「いじめ加害者」になってしまう可能性が誰にだってあるんです。もちろん私もそうです。いつ加害者になるか分かりませんし、既になっていた時期もあるかも知れません。
新たな加害者を生み出さず、新たな被害者を生み出さないためには、「閉鎖された人間社会」に流動性を与えて、「善悪の価値観」が暴走しないようにすることが大事だと思います。だから、「いじめは悪いことだ」と言うことに意味があるんです。
もちろん「閉鎖された人間社会」の中でもいじめが発生しない例はたくさんあります。
それは「善悪の価値観」を暴走させないストッパーが働いたからで、ストッパーを機能させるためにも「いじめは悪いことだ」という普遍的な価値観を言い続けなきゃならないんです。
○ 「いじめ被害者」は愚かではない
閉鎖された人間社会の中では独自の「善悪の価値観」が生まれてしまい、悪いことが悪いこととして認識されないことでいじめが生じてしまうことがある―――と書きました。
それだけでも悲惨な状態ですが、更に辛いことに「いじめ被害者」の方にも狂いが生じてしまいます。
「いじめ被害者」も“閉鎖された人間社会”の中の一員なので、価値観が狂ってしまい、つい「自分には価値がないんじゃないか」とか「生きてても意味がないんじゃないか」とか思ってしまうこともあるでしょう。
でも、それは“閉鎖された人間社会”の中で暴走した価値観でしかないんです。
いじめに合っていない人は、いじめ被害者の人に「そんな学校(職場)なんか行かなくて良いんだよ」とか「外の世界に出れば貴方にも価値があるって分かるから」と言います。その通りなんです。
“閉鎖された人間社会”の外にいる人からすれば、そんなことは当たり前なんです。「貴方には価値がある」と。でも、中にいてしまうとそれが分からなくなってしまう。「自分には価値がないんじゃないか」と思ってしまう。
中学・高校と酷いいじめに合っていた人も、大学生になって「何百人が一斉に受ける授業」とか「自分の好きに組める時間割」とか「サークルに入るのもバイトをするのも個人の自由」とかの“開放された空間”に驚いて、生きるのが楽しくなった―――なんて話も聞きます。
貴方に価値がない―――なんて決め付けているのは、貴方を悪気もなくいじめているその異常な閉鎖社会だけなんですよ。だからみんな、「そんな学校になんて行かなくていいんだよ」と言うんです。
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○ 日本全体が“閉鎖された人間社会”になりつつある……?
ここからは余談ですが……
どうも最近、「日本全体」が“巨大な閉鎖社会”になりつつあるなぁと思っています。
例えば「特定個人をターゲットにして袋叩きにしている一部のワイドショー」とか、
例えば「イジメ加害者の実名や写真をインターネット上で拡散しようとしている人達」とか
どちらも普通に考えれば「悪いこと」です。
でも、やっている人達は「これは正義だ」と思ってやっているんです。「悪いヤツをこらしめている自分達は正しいんだ」的な。
それ、「いじめ加害者」が「いじめ被害者」を「クラスのみんなのために」いじめをしているのと同じ理屈ですよ。暴走した「善悪の価値観」の中で自己を正当化しているだけです。昔からそうだったのかも知れませんが、最近は特にそれを感じます。
インターネットが世に出てきた時、「世界中の人間と繋がれる!」「色んな価値観の人と仲良く出来る!」という期待がありました。しかし、結果インターネットは「日本全体を狭い閉鎖空間に閉じ込めてしまった」という気もするのです。
日本はどうしても「日本=日本語圏」になってしまうところがありますし(本当はそれはイコールではないのですが)、インターネットの性質上「同じ趣味・同じ思想の人が集まりやすい」ところも大きかったのでしょう。同じ思想の人が集まった閉鎖社会をネット上に形成して、暴走した「善悪の価値観」で特定個人を攻撃する―――みたいなことをしょっちゅう目にして心を痛めてきました。
(関連記事:「漢字が読めない首相(笑)」という嘲笑に自分が思ったこと)
だからもう一度。
もう一度書きます。
「いじめ加害者」になるのは「悪人」だけだなんて思っちゃダメです。
その閉鎖された人間社会の中では、知らず知らずの内に「いじめ加害者」になってしまう可能性が誰にだってあるんです。
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