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「恋愛」も「性欲」もない、「男」と「女」がフラットな世界

 2週間前の『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』(以下『プロセカ』)の紹介記事にもチラッと書いたことなんですけど……恐らくあの記事は、ゲームに興味がない人や、『プロセカ』に興味がない人は読んでいないことでしょう。

 でも、今日の話は2010年代~2020年代の一つのトレンドを象徴する話だと思うので、『プロセカ』に興味がない人にも読んでもらいたいと、改めてこの部分だけを切り取って記事に書きます。


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<画像はiOS版『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』より引用>

 『プロセカ』は2020年にサービス開始したスマホ用ゲームで、「初音ミク」の名前がタイトルに入ってはいますが、本作オリジナルキャラクターの「渋谷に住む20人の高校生の男女」が主人公の青春群像劇です。
 詳しい経緯は省略しますが、このゲームの開発は私の大好きな『バンドリ』ゲーム版と同じところで、『バンドリ』が「新宿に住む25人の女子高生」が主人公の青春群像劇だったことを踏襲しているんですね。

 ただ、『バンドリ』と大きくちがうのは、「男子高校生」が加わっているところです。
 元々ボーカロイドのキャラにはKAITOと鏡音レンという男性キャラがいるため、ストーリー的にも楽曲的にも、オリジナルキャラクターの方にも男性キャラを入れることはマストだったそうなんですね。



 しかし、この作品では「恋愛」が描かれません。
 男女のキャラクターが共存していて、普通のフィクション作品なら「いい雰囲気」になってしまいそうなところでも、徹底して公式には「恋愛関係」と思わせないように描いているんです。

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<画像はiOS版『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』より引用>

 男女のキャラクターの間にも「関係性」はあるのだけど、「仲間同士の信頼関係」だったり「兄妹・姉弟の家族愛」だったりで、絶妙に「恋愛関係」とは思わせないようにしてあるんですね。

 少なくともメインキャラクター達には「恋愛」の概念がないのか、「恋愛」なんてものに興味がないのか……例えば、「女子校に通っていて男子に慣れていないから男の人と喋るのが怖い」とか、「男女2人っきりで話したり出かけたりすることに照れを感じる」みたいな描写もないんです。本当に、いい意味で「男」と「女」がフラットな関係性なんですね。

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<画像はiOS版『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』より引用>

 それが顕著に感じられたのは、今年のホワイトデーイベントです。
 チョコ作りのイベントに「2人で行こう」と瑞希が彰人を誘うシーンがあって、2人っきりで出かけてチョコ作りのイベントに参加することも、その場で別の知り合いに出会ってしまったことにも、「恥ずかしい」みたいな描写が一切ないんですね。一般的には「デートじゃん」と思うんですが、本人達にはそんな意識がないんですね。

 いや、まぁ……瑞希が気にしないのは分かるんですが、彰人がまったく気にしていないの意外だったんですよ。外で姉貴に会うこともものすごく嫌がる「等身大の高校1年生」なので。



 んで、こんな風にいい意味で「男」と「女」がフラットな世界なので―――
 「恋愛」どころか「性欲」の概念もないのか、「性に対する危機感」みたいなものもなくて、女の子1人で結構遅い時間帯の夜道を歩くシーンもありますし、なんなら男女4人で泊まりに出かけるシーンまであります。

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<画像はiOS版『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』より引用>

 こはねちゃんのお父さんは、最初は娘がライブハウスに出入りしていることにショックを受けてしまったくらいの過保護な父親だったのに……男2人・女2人でキャンプに行くことをあっさり許すの、流石に「性に対する危機感」が甘すぎません?
 実際、男女別々のテントだったし、当然そういうことなんて起こりませんでしたし、こはねちゃんに手を出そうとする男が現れたら横にいる杏ちゃんが全員撃退するんでしょうけど。


 「恋愛」という概念がない世界なので、当然「彼女がいない」こととか「彼氏がいない」ことを気にする人もいませんし、「モテない」とか「モテたい」みたいなことを気にする人もいません。オシャレに気を遣ったり、女子の場合はメイクに気を遣ったりするシーンも多いですが、それは「異性からモテる」ことが目的ではなく、「より良い自分になる」ことが目的の自己実現のためなんですね。
 絵名の自撮り→SNSにアップ→「いいね」が付くことによって自己承認欲を満たすのはグレーゾーンな気がしますが、アレは『バンドリ』における彩ちゃんやひまりちゃんがやっていることの延長線上にあると考えると、「女子同士で、如何にSNS映えするものをアップできるのかを見せ合っている」ように思えなくもない……この辺、男の私には踏み込めない領域なのでよく分かりませんが。



 現実でも、フィクションの中でも、「男」と「女」が同空間に存在したらどうしても「恋愛関係」か「性的な関係」になるかならないかがポイントになってしまいがちじゃないですか。
 「男女の友情は存在するのか」みたいなことが今も昔も語られる永遠のテーマで、もちろん「恋愛関係にならない男女」も存在しますが、でも「彼氏がいる女の子が別の男子と2人っきりで一晩中プレステで遊んでいました」とかは多くの人が「それはダメでは」と言うと思うんですよ。

 「男」と「女」というカテゴリーは、ある種“枷”として私達の社会を束縛してきたと思うんですけど……『プロセカ』は、そこを完全に取っ払っていて、「男」も「女」も「1人の人間」としてフラットな関係を描いているんですね。


 それが私にはムチャクチャ心地が良くて、私はそこで気付いてしまったんです。


 私は「恋愛」が嫌いだったんだ―――と。



◇ 私が「恋愛」描写にハマれない理由

 幼児でも観るようなアニメ―――例えば、『ドラえもん』でも「のび太くんはしずかちゃんが好き」と描かれるように、「男子」と「女子」が登場するフィクションの多くは「恋愛」要素を多かれ少なかれ含んできたと思うのです(そもそも『ドラえもん』はのび太の結婚相手を改変するというスタートだし)。

 そうして「どんな人でも恋愛をするのが当たり前」だと私達は思いこんで年を重ねて、中高生くらいになると現実でも「恋人を作る」ようになって、逆に「恋人ができない」人を非モテだとバカにしたり、コンプレックスに感じたりするようになっていきます。

 もうずいぶんと昔の話ですが、このブログを始めた初期の頃―――「そういうのはもうやめようよ、恋人がいなくたってコンプレックスに思う必要はないよ」という記事を書いたことがありました。賛同してくれた人もいましたが、「そんなのオマエが僻んでるだけだろ」みたいにもたくさんたくさん言われました。「恋人がいないことをコンプレックスに思わないと怒る」人達がこんなにいるのかと当時は思ったものです。

(関連記事:「彼女はいません」が恥ずかしくない社会へ


 でも、私……本当に「恋愛」に興味が持てないんですね。
 また「どうせ僻んでるだけだろ」って言われそうだから、じゃあ「私の恋愛」のことは置いときましょう。「他人の恋愛」なんて心底どうでもイイと思っちゃうんですよ。

 例えば、芸能人の誰と誰がくっついて熱愛発覚!みたいなのはニュースにするようなことじゃないと思っちゃうし、フィクションのラブコメも恋愛ものも「誰と誰がくっつこうがどうでもイイ」と思っちゃうからノレないんですね。私の中で「恋愛描写で誰と誰がくっつくか」は、「紅白歌合戦でどっちが勝ったか」くらいの優先順位なんですよ。そこ、そんな気にする人いるの!?くらいのヤツ。

 だってさ、「誰と誰がくっついた」なんて言われても、「恋愛」なんて1週間後に別れてたり、その翌日には別の人と付き合い始めたりするもんじゃないですか。「くっついた」ところをゴール地点にして一喜一憂しても、ゴールテープを切った直後に「付き合い続けられるかどうか」という2本目のレースが始まるのが「恋愛」じゃないですか。
 片想いをしている相手と付き合えるか、付き合い始めたら別れずに関係を続けられるか、それがずっと続いたら今度は結婚できるか、結婚しても別れずに夫婦関係を継続できるか、こどもが出来るか、子育てができるか、こどもが育った後は熟年離婚せずに済むか、どちらが先に死別するか―――死ぬまでゴールが来ないレースじゃないですか。

 平穏無事に付き合い続けられていると思っても、知らないところで浮気されているかも知れないし、ある日NTRビデオレターが届くかも知れないし。ラブコメで主人公とヒロインが無事にくっついて最終回を迎えたとしても、芸能人が結婚したというニュースを見ても、私は「この1年後に突然NTRビデオレターが届くかも」とか考えちゃってちっとも「めでたしめでたし」と思えないんですよ!


 それはそれで「心配性すぎる」という病気な気がする……(笑)


 しかも、「恋愛」の厄介なところは「努力」みたいな積み重ねも関係ないところです。
 スポ根漫画だったら「努力なし」で甲子園優勝なんて出来ないだろうし、RPGだったら「レベル1」で魔王は倒せないだろうから、そこに向かうまでの「努力」の積み重ねに説得力があるし、仮に魔王を倒した後にNTRビデオレター的なものが届いたとしても「レベル99」まで上がった勇者なら大丈夫だろうと安心できるのですが。

 「恋愛」って、特に大した理由もなく「突然この人のことが好きになった」でくっ付いちゃったりするワケじゃないですか。冴えない主人公が、学園のアイドルに特に理由もなく惚れられちゃう展開が普通に許されるのがラブコメですからね。
 NTRビデオレターは極端な例だとしても、「努力」の積み重ねの安心感もないので、特に理由もなく主人公を好きになったヒロインが最終回で特に理由もなく「たまたま昨日出会った別の人を好きになったから別れよう」と言ってくるとか―――フィクションだったら非難轟轟でしょうが、現実では別によくあることじゃないですか。よくあることじゃないですか!(遠い目)


 だから、私は「恋愛描写」というものにハマれないのですが……
 こういう話を書くと、芸能人の熱愛情報とか、ラブコメ漫画とか恋愛ものの映画とかが大好きな人が、「私の大好きなものを貶しやがって!」と怒りそうだったので今までなるべく言わないようにしてきました。

 一応言っておきますが、世間的には「恋愛描写が大好きな人」が大多数で、だからこそそういう作品と情報が世に溢れている―――というのを大前提に、その“世間一般”とは相容れない私の素直な気持ちを、私が書かなかったら誰も書かないので書いた次第です。「私は好きじゃない」と言うことは、別に「アナタの大好き」を否定するワケじゃないですからね。

 そこで「いやいや、世間が大好きなものは、オマエも大好きになれよ!」と言われるんだったら、もうこの国は「恋愛至上主義」どころか「恋愛全体主義」ですよ。まだこの国はそこまで愚かになっていないことを願いますよ。



 ただ、そう感じているのは「この国で私だけ」ではないとも思っていて―――
 実は「恋愛描写」が苦手だという人がそれなりの数いたからこそ『プロセカ』は生まれたのだと思いますし、それ以前の2010年代の作品達がつなげてきたバトンが結集された形だと思うんですね。



◇ 「恋愛」を伴わない物語の隆盛

 『プロセカ』(2020年~)の開発会社は、『バンドリ』ゲーム版(2017年~)と同じところという話を冒頭に書きました。立ち上げ時のプロデューサーも同じですし、『プロセカ』の源流をたどると『バンドリ』にあたるのは間違いないと思います。
 では、その『バンドリ』の源流はどこにあるかというと、こちらはIP元のブシロードが「ラブライブのゲーム版(2013年~)」を配信していたことがきっかけだと言われています。両作品を見比べても、『バンドリ』は様々なところを『ラブライブ!』から学んで踏襲していると感じます。

 じゃあ、その『ラブライブ!』の源流はどこにあるのかと言うと……
 『ラブライブ!』は電撃G's magazineという雑誌の読者参加企画から始まっているメディアミックスプロジェクトです(2010年~)。この雑誌は元々「電撃PCエンジン」から始まり、『卒業 ~Graduation~』や『ときめきメモリアル』などの美少女ゲームの人気に支えられつつも、PCエンジンの後継機PC-FXがシェアを伸ばせなかったことで、ハードを問わない男性向けの美少女ゲーム情報誌のようになっていきました。

 1999年からは読者参加企画で『シスター・プリンセス』が大ヒットします。元々は「読者=兄」で、「その兄と離れて暮らすたった一人の妹」とメールなどを送ってやりとりをするという形でしたが……様々なメディアミックスが展開されていくとその媒体に合わせて設定も変わっていき、アニメ版は「兄と12人の妹の共同生活」だったりしました。

 その後も、電撃G's magazineからは様々な読者参加企画のメディアミックスプロジェクトが多数生まれるのですが、個人的に言及せざるを得ないのが2003年から始まった『Strawberry Panic』です。
 電撃G's magazineの読者参加企画は、「男性読者=男性主人公」に当てはめて、その「俺とヒロイン」との絡みを描いていくものが多かったのですが、この作品は『マリア様がみてる』が大ヒットしてアニメ化も控えていた「百合」というジャンルに切りこんだ作品なんですね。「俺」抜きで、「ヒロインとヒロイン」が絡む作品。
 そのため、最初は「お嬢様学校の寄宿舎に離れて生活する妹に、お兄ちゃんである男性読者がアドバイスを送り、“その妹”と“配置された他の女性キャラ”との百合カップル成立へ導く」という……文章にするとワケが分からない作品だったのですが。次第に「お兄ちゃん」の存在は消えていき、シンプルに「このコと、このコの百合カップルがイイと思います!」と66通りのカップリングの人気投票をしていく作品になっていったそうです。

 キャラ設定なんかは大きく変わったみたいですが、2006年のテレビアニメも「お兄ちゃん」の存在は影も形もなくなっていましたね……読者視点の「男性キャラクター」がかろうじて存在していたのが、それすらももう要らないでしょと消滅した例なんです。


 2000年代前半は、(男性向けの深夜アニメであっても)女の子が主人公で、美少女がたくさん登場するアニメも増えてきた時代でしたが……それでも、その女の子主人公に好きな男子がいるみたいな作品が多かったと思います。パッと思いついたのは『舞-HiME』とか『かみちゅ』とか、男性向けでも深夜アニメでもありませんが初代の『プリキュア』もそうですよね。

 それが、2000年代中盤あたりから、「女の子が主人公」「美少女がたくさん登場する」「男子のメインキャラはいない」作品も多くなってきます。『ひだまりスケッチ』(2007年~)、『らき☆すた』(2007年~)、『けいおん!』(2009年~)などなどで……『けいおん!』には男性キャラクターはいましたが(楽器屋の店員とか)、恋愛対象とかではなく、「恋愛」よりも優先される青春を描く作品が多くなっていき―――2010年代以降の「日常アニメ」ブームに繋がっていくのだと思うんですね。


 まさにそのタイミングの2010年に読者参加企画が始まった『ラブライブ!』は、「男性読者とヒロインとの疑似恋愛はもう飽きられているのでは」と「恋愛要素」を廃したアイドルものとなっていました。実際のグループアイドルなどで行われているようなことを「読者=ファン」に見立てて行い、「みんなで叶える物語」でグループ名を公募で決めたり、センターを人気投票で決めたりしたんですね。

 2013年にアニメとゲームが始まって『ラブライブ!』は超大ヒットをするのですが、このアニメの中でも男性キャラクターは「後姿だけの父親」とか「小学生以下の男児」くらいしか登場しません。スクールアイドルのファン達も、男性ファンも存在はしているみたいですが、画面には女性しか映っていなかったと思います。この路線はシリーズが続いて現在放送している『虹ヶ咲学園』でも続いています(強化されていると言ってイイかも)。

 徹底して「男性」を描かないことで、「恋愛要素」の可能性を潰し、女性キャラ達が夢に向かって突き進むスポ根モノとして描いた結果―――「男性視聴者」だけでなく、「女性視聴者」にも受けたのはすごい事例だと思うんですね。
 一般的に「女性」は恋愛要素を好むため、「女性視聴者」に受けるためには「恋愛要素」を入れようみたいに言われることが多かったのですが……「女性」の中にも恋愛要素が好きじゃなくて、「女性視聴者」の目で「女性キャラクター」が夢に向かって努力をする姿を見たいという人がたくさんいたってことだと思うのです。

(関連記事:どうして自分は「女のコばかりのアニメ」が好きなのか。



 2017年にアニメとゲームが始まった『バンドリ』もこの流れを踏襲していて、父親の顔が映るようになったこと以外はほぼ『ラブライブ』と同じで、「父親・もしくは父親くらいの年齢のオジサン」か「第二次性徴前の小学生以下の男児」しか男性キャラクターは登場しません。
 良い意味で彼女達は「男の目」を気にしないで、自分達がやりたいことを全力でやっていて、「彼氏がいない」とか「おっぱいが小さい」みたいなことを気にしたりもしません。
 『プロセカ』同様に「性欲」も「性に対する危機感」もないのか、女子だけで天体観測のツアーにも行くし、女子だけで旅行にも行くし、夜道を一人で歩いたりもします。女子同士でも、ひまりちゃんやりみりんが薫さんにキャーキャー言ったりもしますが、あれは本気で付き合いたいと思っているのではなくスクールアイドルの女性ファンみたいなものでしょうからね。

(関連記事:おっぱいのない世界


 「男性」も「恋愛」も「性欲」もないから描けるものがあって、例えば『ゆるキャン△』とか『スローループ』とかのアニメのメインキャラの中に1人男子が混じっていたとしたら、気軽にみんなでキャンプになんか行けないと思うんですね。
 誰と誰がくっつくとか、「性に対する危機感」みたいなものも生まれるし、コイツら絶対カメラの映っていないところでSEXしてんだろみたいに思っちゃうワケじゃないですか。




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<画像はiOS版『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』より引用>

 でも、『プロセカ』は行ってるんですよ。

 男2人・女2人でキャンプに!
 正直なことを言うと、もし『プロセカ』をこのイベントだけ読んだ人がいたら「コイツら絶対カメラの映っていないところでSEXしてんだろ」と思うのかも知れないんですけど……ずっと通しで読んでいると、コイツらには「恋愛」も「性欲」も「性に対する危機感」もないし、本当の意味で「男」と「女」がフラットな世界だと分かっているのでそんな風には思わないんですね。


 『けいおん!』や『ラブライブ!』や『バンドリ』が、「男性」を排除した世界を用意することで「女性が、恋愛にも男性の目にも縛られることなく、自分のやりたいことを出来るようになった」――――――それが当たり前だと私達が思えるようになった今の時代なら、『プロセカ』で「男性」が入っても、「恋愛至上主義」に引っ張られることなく、「女性も男性も、恋愛にも異性の目にも縛られることなく、自分のやりたいことを出来る」んですよ!


 「恋愛」に興味が持てず、だからこそ『けいおん!』とか『ラブライブ!』とか『バンドリ』みたいな「女のコだらけのアニメ」を観続けてきた私としては、いよいよここまで来たかと感慨深いです。「男」と「女」が同空間にいても必ずしも「恋愛関係」にならなくてイイし、「男」と「女」が本当の意味でフラットな関係でいられる世界―――これが2020年代の「当たり前」になっていくのかなぁと思っています。



◇ 余談

 という話を読んでいて、恐らくみなさん「ラブライブに恋愛要素がないだって!? 歩夢ちゃんと侑ちゃんの話はどうなの!?」とか、「え? バンドリの彩ちゃんと千聖ちゃんは付き合ってないの!?」とか、「プロセカで男2人・女2人でキャンプ行ったって言っても、こはねちゃんのこと一番そういう目で見ているのは男どもよりも杏ちゃんでしょ!?」とか、色々言いたいことはあったでしょう。


 でも、みなさん落ち着いてください。
 『ラブライブ!』の歩夢ちゃんと侑ちゃんは別にまだ付き合っていないし。
 『バンドリ』の彩ちゃんと千聖ちゃんもまだ付き合ってないし。
 『プロセカ』の杏ちゃんとこはねちゃんもまだ付き合っていないんですよ。


 とっくの昔に付き合い始めていたはずでは……と思ったアナタ、それはアナタの妄想ですよ!


 「恋愛要素」を廃したことで、これらの作品は「恋愛要素」が好きじゃない人にも受け入れられてヒットした―――みたいに語りましたけど、逆に「恋愛要素」が大好きだからこそこれらの作品にハマった人も多いと思うんですね。少なくとも『バンドリ』は意図的にそういうキャラ配置にしてありましたし。

 公式では「恋愛要素」を一切描かないことで、ファンが二次創作で自由にカップリングして楽しめるようにしてあるんですね。そのため、『バンドリ』も『プロセカ』もキャラ同士の様々な関係性をあらかじめ仕込んであるんです。『Strawberry Panic』の「66通りの百合カップルの中から好きな百合を選ぼう!」みたいなことを、自由に二次創作できる“余地”として残しているのです。


 だから、『プロセカ』は「女×女」のカップリングも、「男×女」のカップリングも、「男×男」のカップリングも妄想できるようにしてあって、それのどれが人気かみたいなことを言い始めると戦争が始まるので深入りはしませんが―――その受け入れられる妄想の幅が、「女×女」しかいなかった『ラブライブ!』や『バンドリ』とちがって、「男×女」や「男×男」にも広がったのが人気の要因の一つだろうと思います。もちろん「俺×女」や「私×男」みたいに妄想する人もいるでしょうし。

 キャラクターもファンも多様な時代の作品というか。



 でね、すごく個人的な話をここに書いておくのですが……
 「やまなしさんって百合が好きでしょ?」と思われていそうで、実際に私は平均の人よりかは百合作品を読んでいるんだろうと思いますが、「恋愛」に興味が持てないため「この2人が無事に結ばれましたー」みたいな展開にも「1年後にNTRビデオレターが届くかもしれない」と思ってしまって感動できないんですね。

 日常系アニメとか、『バンドリ』とか、『プロセカ』とかの、公式では絶対に「くっつかない」と分かっているコ達がイチャイチャしているのを見るのが好きなだけなので―――「果たして、それは百合か?」と言われると困っちゃうんですね。広義では百合だけど、狭義では百合じゃないというか。

 だから、「やまなしさんって百合が好きでしょ?」って言われると、それを聞いた「狭義の意味での百合好きな方々」から怒られるんじゃないかと思って、「いえ、まぁ……そこそこは……」みたいな奥歯にモノが挟まったみたいな言い方になってしまうという。

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