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「恋愛」も「性欲」もない、「男」と「女」がフラットな世界

 2週間前の『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』(以下『プロセカ』)の紹介記事にもチラッと書いたことなんですけど……恐らくあの記事は、ゲームに興味がない人や、『プロセカ』に興味がない人は読んでいないことでしょう。

 でも、今日の話は2010年代~2020年代の一つのトレンドを象徴する話だと思うので、『プロセカ』に興味がない人にも読んでもらいたいと、改めてこの部分だけを切り取って記事に書きます。


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<画像はiOS版『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』より引用>

 『プロセカ』は2020年にサービス開始したスマホ用ゲームで、「初音ミク」の名前がタイトルに入ってはいますが、本作オリジナルキャラクターの「渋谷に住む20人の高校生の男女」が主人公の青春群像劇です。
 詳しい経緯は省略しますが、このゲームの開発は私の大好きな『バンドリ』ゲーム版と同じところで、『バンドリ』が「新宿に住む25人の女子高生」が主人公の青春群像劇だったことを踏襲しているんですね。

 ただ、『バンドリ』と大きくちがうのは、「男子高校生」が加わっているところです。
 元々ボーカロイドのキャラにはKAITOと鏡音レンという男性キャラがいるため、ストーリー的にも楽曲的にも、オリジナルキャラクターの方にも男性キャラを入れることはマストだったそうなんですね。



 しかし、この作品では「恋愛」が描かれません。
 男女のキャラクターが共存していて、普通のフィクション作品なら「いい雰囲気」になってしまいそうなところでも、徹底して公式には「恋愛関係」と思わせないように描いているんです。

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<画像はiOS版『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』より引用>

 男女のキャラクターの間にも「関係性」はあるのだけど、「仲間同士の信頼関係」だったり「兄妹・姉弟の家族愛」だったりで、絶妙に「恋愛関係」とは思わせないようにしてあるんですね。

 少なくともメインキャラクター達には「恋愛」の概念がないのか、「恋愛」なんてものに興味がないのか……例えば、「女子校に通っていて男子に慣れていないから男の人と喋るのが怖い」とか、「男女2人っきりで話したり出かけたりすることに照れを感じる」みたいな描写もないんです。本当に、いい意味で「男」と「女」がフラットな関係性なんですね。

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<画像はiOS版『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』より引用>

 それが顕著に感じられたのは、今年のホワイトデーイベントです。
 チョコ作りのイベントに「2人で行こう」と瑞希が彰人を誘うシーンがあって、2人っきりで出かけてチョコ作りのイベントに参加することも、その場で別の知り合いに出会ってしまったことにも、「恥ずかしい」みたいな描写が一切ないんですね。一般的には「デートじゃん」と思うんですが、本人達にはそんな意識がないんですね。

 いや、まぁ……瑞希が気にしないのは分かるんですが、彰人がまったく気にしていないの意外だったんですよ。外で姉貴に会うこともものすごく嫌がる「等身大の高校1年生」なので。



 んで、こんな風にいい意味で「男」と「女」がフラットな世界なので―――
 「恋愛」どころか「性欲」の概念もないのか、「性に対する危機感」みたいなものもなくて、女の子1人で結構遅い時間帯の夜道を歩くシーンもありますし、なんなら男女4人で泊まりに出かけるシーンまであります。

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<画像はiOS版『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』より引用>

 こはねちゃんのお父さんは、最初は娘がライブハウスに出入りしていることにショックを受けてしまったくらいの過保護な父親だったのに……男2人・女2人でキャンプに行くことをあっさり許すの、流石に「性に対する危機感」が甘すぎません?
 実際、男女別々のテントだったし、当然そういうことなんて起こりませんでしたし、こはねちゃんに手を出そうとする男が現れたら横にいる杏ちゃんが全員撃退するんでしょうけど。


 「恋愛」という概念がない世界なので、当然「彼女がいない」こととか「彼氏がいない」ことを気にする人もいませんし、「モテない」とか「モテたい」みたいなことを気にする人もいません。オシャレに気を遣ったり、女子の場合はメイクに気を遣ったりするシーンも多いですが、それは「異性からモテる」ことが目的ではなく、「より良い自分になる」ことが目的の自己実現のためなんですね。
 絵名の自撮り→SNSにアップ→「いいね」が付くことによって自己承認欲を満たすのはグレーゾーンな気がしますが、アレは『バンドリ』における彩ちゃんやひまりちゃんがやっていることの延長線上にあると考えると、「女子同士で、如何にSNS映えするものをアップできるのかを見せ合っている」ように思えなくもない……この辺、男の私には踏み込めない領域なのでよく分かりませんが。



 現実でも、フィクションの中でも、「男」と「女」が同空間に存在したらどうしても「恋愛関係」か「性的な関係」になるかならないかがポイントになってしまいがちじゃないですか。
 「男女の友情は存在するのか」みたいなことが今も昔も語られる永遠のテーマで、もちろん「恋愛関係にならない男女」も存在しますが、でも「彼氏がいる女の子が別の男子と2人っきりで一晩中プレステで遊んでいました」とかは多くの人が「それはダメでは」と言うと思うんですよ。

 「男」と「女」というカテゴリーは、ある種“枷”として私達の社会を束縛してきたと思うんですけど……『プロセカ』は、そこを完全に取っ払っていて、「男」も「女」も「1人の人間」としてフラットな関係を描いているんですね。


 それが私にはムチャクチャ心地が良くて、私はそこで気付いてしまったんです。


 私は「恋愛」が嫌いだったんだ―――と。



◇ 私が「恋愛」描写にハマれない理由

 幼児でも観るようなアニメ―――例えば、『ドラえもん』でも「のび太くんはしずかちゃんが好き」と描かれるように、「男子」と「女子」が登場するフィクションの多くは「恋愛」要素を多かれ少なかれ含んできたと思うのです(そもそも『ドラえもん』はのび太の結婚相手を改変するというスタートだし)。

 そうして「どんな人でも恋愛をするのが当たり前」だと私達は思いこんで年を重ねて、中高生くらいになると現実でも「恋人を作る」ようになって、逆に「恋人ができない」人を非モテだとバカにしたり、コンプレックスに感じたりするようになっていきます。

 もうずいぶんと昔の話ですが、このブログを始めた初期の頃―――「そういうのはもうやめようよ、恋人がいなくたってコンプレックスに思う必要はないよ」という記事を書いたことがありました。賛同してくれた人もいましたが、「そんなのオマエが僻んでるだけだろ」みたいにもたくさんたくさん言われました。「恋人がいないことをコンプレックスに思わないと怒る」人達がこんなにいるのかと当時は思ったものです。

(関連記事:「彼女はいません」が恥ずかしくない社会へ


 でも、私……本当に「恋愛」に興味が持てないんですね。
 また「どうせ僻んでるだけだろ」って言われそうだから、じゃあ「私の恋愛」のことは置いときましょう。「他人の恋愛」なんて心底どうでもイイと思っちゃうんですよ。

 例えば、芸能人の誰と誰がくっついて熱愛発覚!みたいなのはニュースにするようなことじゃないと思っちゃうし、フィクションのラブコメも恋愛ものも「誰と誰がくっつこうがどうでもイイ」と思っちゃうからノレないんですね。私の中で「恋愛描写で誰と誰がくっつくか」は、「紅白歌合戦でどっちが勝ったか」くらいの優先順位なんですよ。そこ、そんな気にする人いるの!?くらいのヤツ。

 だってさ、「誰と誰がくっついた」なんて言われても、「恋愛」なんて1週間後に別れてたり、その翌日には別の人と付き合い始めたりするもんじゃないですか。「くっついた」ところをゴール地点にして一喜一憂しても、ゴールテープを切った直後に「付き合い続けられるかどうか」という2本目のレースが始まるのが「恋愛」じゃないですか。
 片想いをしている相手と付き合えるか、付き合い始めたら別れずに関係を続けられるか、それがずっと続いたら今度は結婚できるか、結婚しても別れずに夫婦関係を継続できるか、こどもが出来るか、子育てができるか、こどもが育った後は熟年離婚せずに済むか、どちらが先に死別するか―――死ぬまでゴールが来ないレースじゃないですか。

 平穏無事に付き合い続けられていると思っても、知らないところで浮気されているかも知れないし、ある日NTRビデオレターが届くかも知れないし。ラブコメで主人公とヒロインが無事にくっついて最終回を迎えたとしても、芸能人が結婚したというニュースを見ても、私は「この1年後に突然NTRビデオレターが届くかも」とか考えちゃってちっとも「めでたしめでたし」と思えないんですよ!


 それはそれで「心配性すぎる」という病気な気がする……(笑)


 しかも、「恋愛」の厄介なところは「努力」みたいな積み重ねも関係ないところです。
 スポ根漫画だったら「努力なし」で甲子園優勝なんて出来ないだろうし、RPGだったら「レベル1」で魔王は倒せないだろうから、そこに向かうまでの「努力」の積み重ねに説得力があるし、仮に魔王を倒した後にNTRビデオレター的なものが届いたとしても「レベル99」まで上がった勇者なら大丈夫だろうと安心できるのですが。

 「恋愛」って、特に大した理由もなく「突然この人のことが好きになった」でくっ付いちゃったりするワケじゃないですか。冴えない主人公が、学園のアイドルに特に理由もなく惚れられちゃう展開が普通に許されるのがラブコメですからね。
 NTRビデオレターは極端な例だとしても、「努力」の積み重ねの安心感もないので、特に理由もなく主人公を好きになったヒロインが最終回で特に理由もなく「たまたま昨日出会った別の人を好きになったから別れよう」と言ってくるとか―――フィクションだったら非難轟轟でしょうが、現実では別によくあることじゃないですか。よくあることじゃないですか!(遠い目)


 だから、私は「恋愛描写」というものにハマれないのですが……
 こういう話を書くと、芸能人の熱愛情報とか、ラブコメ漫画とか恋愛ものの映画とかが大好きな人が、「私の大好きなものを貶しやがって!」と怒りそうだったので今までなるべく言わないようにしてきました。

 一応言っておきますが、世間的には「恋愛描写が大好きな人」が大多数で、だからこそそういう作品と情報が世に溢れている―――というのを大前提に、その“世間一般”とは相容れない私の素直な気持ちを、私が書かなかったら誰も書かないので書いた次第です。「私は好きじゃない」と言うことは、別に「アナタの大好き」を否定するワケじゃないですからね。

 そこで「いやいや、世間が大好きなものは、オマエも大好きになれよ!」と言われるんだったら、もうこの国は「恋愛至上主義」どころか「恋愛全体主義」ですよ。まだこの国はそこまで愚かになっていないことを願いますよ。



 ただ、そう感じているのは「この国で私だけ」ではないとも思っていて―――
 実は「恋愛描写」が苦手だという人がそれなりの数いたからこそ『プロセカ』は生まれたのだと思いますし、それ以前の2010年代の作品達がつなげてきたバトンが結集された形だと思うんですね。



◇ 「恋愛」を伴わない物語の隆盛

 『プロセカ』(2020年~)の開発会社は、『バンドリ』ゲーム版(2017年~)と同じところという話を冒頭に書きました。立ち上げ時のプロデューサーも同じですし、『プロセカ』の源流をたどると『バンドリ』にあたるのは間違いないと思います。
 では、その『バンドリ』の源流はどこにあるかというと、こちらはIP元のブシロードが「ラブライブのゲーム版(2013年~)」を配信していたことがきっかけだと言われています。両作品を見比べても、『バンドリ』は様々なところを『ラブライブ!』から学んで踏襲していると感じます。

 じゃあ、その『ラブライブ!』の源流はどこにあるのかと言うと……
 『ラブライブ!』は電撃G's magazineという雑誌の読者参加企画から始まっているメディアミックスプロジェクトです(2010年~)。この雑誌は元々「電撃PCエンジン」から始まり、『卒業 ~Graduation~』や『ときめきメモリアル』などの美少女ゲームの人気に支えられつつも、PCエンジンの後継機PC-FXがシェアを伸ばせなかったことで、ハードを問わない男性向けの美少女ゲーム情報誌のようになっていきました。

 1999年からは読者参加企画で『シスター・プリンセス』が大ヒットします。元々は「読者=兄」で、「その兄と離れて暮らすたった一人の妹」とメールなどを送ってやりとりをするという形でしたが……様々なメディアミックスが展開されていくとその媒体に合わせて設定も変わっていき、アニメ版は「兄と12人の妹の共同生活」だったりしました。

 その後も、電撃G's magazineからは様々な読者参加企画のメディアミックスプロジェクトが多数生まれるのですが、個人的に言及せざるを得ないのが2003年から始まった『Strawberry Panic』です。
 電撃G's magazineの読者参加企画は、「男性読者=男性主人公」に当てはめて、その「俺とヒロイン」との絡みを描いていくものが多かったのですが、この作品は『マリア様がみてる』が大ヒットしてアニメ化も控えていた「百合」というジャンルに切りこんだ作品なんですね。「俺」抜きで、「ヒロインとヒロイン」が絡む作品。
 そのため、最初は「お嬢様学校の寄宿舎に離れて生活する妹に、お兄ちゃんである男性読者がアドバイスを送り、“その妹”と“配置された他の女性キャラ”との百合カップル成立へ導く」という……文章にするとワケが分からない作品だったのですが。次第に「お兄ちゃん」の存在は消えていき、シンプルに「このコと、このコの百合カップルがイイと思います!」と66通りのカップリングの人気投票をしていく作品になっていったそうです。

 キャラ設定なんかは大きく変わったみたいですが、2006年のテレビアニメも「お兄ちゃん」の存在は影も形もなくなっていましたね……読者視点の「男性キャラクター」がかろうじて存在していたのが、それすらももう要らないでしょと消滅した例なんです。


 2000年代前半は、(男性向けの深夜アニメであっても)女の子が主人公で、美少女がたくさん登場するアニメも増えてきた時代でしたが……それでも、その女の子主人公に好きな男子がいるみたいな作品が多かったと思います。パッと思いついたのは『舞-HiME』とか『かみちゅ』とか、男性向けでも深夜アニメでもありませんが初代の『プリキュア』もそうですよね。

 それが、2000年代中盤あたりから、「女の子が主人公」「美少女がたくさん登場する」「男子のメインキャラはいない」作品も多くなってきます。『ひだまりスケッチ』(2007年~)、『らき☆すた』(2007年~)、『けいおん!』(2009年~)などなどで……『けいおん!』には男性キャラクターはいましたが(楽器屋の店員とか)、恋愛対象とかではなく、「恋愛」よりも優先される青春を描く作品が多くなっていき―――2010年代以降の「日常アニメ」ブームに繋がっていくのだと思うんですね。


 まさにそのタイミングの2010年に読者参加企画が始まった『ラブライブ!』は、「男性読者とヒロインとの疑似恋愛はもう飽きられているのでは」と「恋愛要素」を廃したアイドルものとなっていました。実際のグループアイドルなどで行われているようなことを「読者=ファン」に見立てて行い、「みんなで叶える物語」でグループ名を公募で決めたり、センターを人気投票で決めたりしたんですね。

 2013年にアニメとゲームが始まって『ラブライブ!』は超大ヒットをするのですが、このアニメの中でも男性キャラクターは「後姿だけの父親」とか「小学生以下の男児」くらいしか登場しません。スクールアイドルのファン達も、男性ファンも存在はしているみたいですが、画面には女性しか映っていなかったと思います。この路線はシリーズが続いて現在放送している『虹ヶ咲学園』でも続いています(強化されていると言ってイイかも)。

 徹底して「男性」を描かないことで、「恋愛要素」の可能性を潰し、女性キャラ達が夢に向かって突き進むスポ根モノとして描いた結果―――「男性視聴者」だけでなく、「女性視聴者」にも受けたのはすごい事例だと思うんですね。
 一般的に「女性」は恋愛要素を好むため、「女性視聴者」に受けるためには「恋愛要素」を入れようみたいに言われることが多かったのですが……「女性」の中にも恋愛要素が好きじゃなくて、「女性視聴者」の目で「女性キャラクター」が夢に向かって努力をする姿を見たいという人がたくさんいたってことだと思うのです。

(関連記事:どうして自分は「女のコばかりのアニメ」が好きなのか。



 2017年にアニメとゲームが始まった『バンドリ』もこの流れを踏襲していて、父親の顔が映るようになったこと以外はほぼ『ラブライブ』と同じで、「父親・もしくは父親くらいの年齢のオジサン」か「第二次性徴前の小学生以下の男児」しか男性キャラクターは登場しません。
 良い意味で彼女達は「男の目」を気にしないで、自分達がやりたいことを全力でやっていて、「彼氏がいない」とか「おっぱいが小さい」みたいなことを気にしたりもしません。
 『プロセカ』同様に「性欲」も「性に対する危機感」もないのか、女子だけで天体観測のツアーにも行くし、女子だけで旅行にも行くし、夜道を一人で歩いたりもします。女子同士でも、ひまりちゃんやりみりんが薫さんにキャーキャー言ったりもしますが、あれは本気で付き合いたいと思っているのではなくスクールアイドルの女性ファンみたいなものでしょうからね。

(関連記事:おっぱいのない世界


 「男性」も「恋愛」も「性欲」もないから描けるものがあって、例えば『ゆるキャン△』とか『スローループ』とかのアニメのメインキャラの中に1人男子が混じっていたとしたら、気軽にみんなでキャンプになんか行けないと思うんですね。
 誰と誰がくっつくとか、「性に対する危機感」みたいなものも生まれるし、コイツら絶対カメラの映っていないところでSEXしてんだろみたいに思っちゃうワケじゃないですか。




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<画像はiOS版『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』より引用>

 でも、『プロセカ』は行ってるんですよ。

 男2人・女2人でキャンプに!
 正直なことを言うと、もし『プロセカ』をこのイベントだけ読んだ人がいたら「コイツら絶対カメラの映っていないところでSEXしてんだろ」と思うのかも知れないんですけど……ずっと通しで読んでいると、コイツらには「恋愛」も「性欲」も「性に対する危機感」もないし、本当の意味で「男」と「女」がフラットな世界だと分かっているのでそんな風には思わないんですね。


 『けいおん!』や『ラブライブ!』や『バンドリ』が、「男性」を排除した世界を用意することで「女性が、恋愛にも男性の目にも縛られることなく、自分のやりたいことを出来るようになった」――――――それが当たり前だと私達が思えるようになった今の時代なら、『プロセカ』で「男性」が入っても、「恋愛至上主義」に引っ張られることなく、「女性も男性も、恋愛にも異性の目にも縛られることなく、自分のやりたいことを出来る」んですよ!


 「恋愛」に興味が持てず、だからこそ『けいおん!』とか『ラブライブ!』とか『バンドリ』みたいな「女のコだらけのアニメ」を観続けてきた私としては、いよいよここまで来たかと感慨深いです。「男」と「女」が同空間にいても必ずしも「恋愛関係」にならなくてイイし、「男」と「女」が本当の意味でフラットな関係でいられる世界―――これが2020年代の「当たり前」になっていくのかなぁと思っています。



◇ 余談

 という話を読んでいて、恐らくみなさん「ラブライブに恋愛要素がないだって!? 歩夢ちゃんと侑ちゃんの話はどうなの!?」とか、「え? バンドリの彩ちゃんと千聖ちゃんは付き合ってないの!?」とか、「プロセカで男2人・女2人でキャンプ行ったって言っても、こはねちゃんのこと一番そういう目で見ているのは男どもよりも杏ちゃんでしょ!?」とか、色々言いたいことはあったでしょう。


 でも、みなさん落ち着いてください。
 『ラブライブ!』の歩夢ちゃんと侑ちゃんは別にまだ付き合っていないし。
 『バンドリ』の彩ちゃんと千聖ちゃんもまだ付き合ってないし。
 『プロセカ』の杏ちゃんとこはねちゃんもまだ付き合っていないんですよ。


 とっくの昔に付き合い始めていたはずでは……と思ったアナタ、それはアナタの妄想ですよ!


 「恋愛要素」を廃したことで、これらの作品は「恋愛要素」が好きじゃない人にも受け入れられてヒットした―――みたいに語りましたけど、逆に「恋愛要素」が大好きだからこそこれらの作品にハマった人も多いと思うんですね。少なくとも『バンドリ』は意図的にそういうキャラ配置にしてありましたし。

 公式では「恋愛要素」を一切描かないことで、ファンが二次創作で自由にカップリングして楽しめるようにしてあるんですね。そのため、『バンドリ』も『プロセカ』もキャラ同士の様々な関係性をあらかじめ仕込んであるんです。『Strawberry Panic』の「66通りの百合カップルの中から好きな百合を選ぼう!」みたいなことを、自由に二次創作できる“余地”として残しているのです。


 だから、『プロセカ』は「女×女」のカップリングも、「男×女」のカップリングも、「男×男」のカップリングも妄想できるようにしてあって、それのどれが人気かみたいなことを言い始めると戦争が始まるので深入りはしませんが―――その受け入れられる妄想の幅が、「女×女」しかいなかった『ラブライブ!』や『バンドリ』とちがって、「男×女」や「男×男」にも広がったのが人気の要因の一つだろうと思います。もちろん「俺×女」や「私×男」みたいに妄想する人もいるでしょうし。

 キャラクターもファンも多様な時代の作品というか。



 でね、すごく個人的な話をここに書いておくのですが……
 「やまなしさんって百合が好きでしょ?」と思われていそうで、実際に私は平均の人よりかは百合作品を読んでいるんだろうと思いますが、「恋愛」に興味が持てないため「この2人が無事に結ばれましたー」みたいな展開にも「1年後にNTRビデオレターが届くかもしれない」と思ってしまって感動できないんですね。

 日常系アニメとか、『バンドリ』とか、『プロセカ』とかの、公式では絶対に「くっつかない」と分かっているコ達がイチャイチャしているのを見るのが好きなだけなので―――「果たして、それは百合か?」と言われると困っちゃうんですね。広義では百合だけど、狭義では百合じゃないというか。

 だから、「やまなしさんって百合が好きでしょ?」って言われると、それを聞いた「狭義の意味での百合好きな方々」から怒られるんじゃないかと思って、「いえ、まぁ……そこそこは……」みたいな奥歯にモノが挟まったみたいな言い方になってしまうという。

| 彼女はいません | 18:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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本当はモテている人が、モテナイと嘘をついて笑いを取ろうとする罪

 もはやすっかり懐かしい話になりつつありますが、ちょっと前にテレビに出演しているコメンテーターの人が学歴を詐称しているということが話題になっていました。
 私はそのコメンテーターの人を知らなかったので、そのことについてはとやかく言う気はありません。私がそこで思ったのは「学歴を詐称して問題になるのなら、モテナイ歴を詐称して笑いを取っている芸人やタレントもいなくならないかなぁ」ということでした。



 男女ともに「僕(私)モテナイんですー」「彼女(彼氏)できないんですー」という話でテレビで笑いを取っていた人が、実は結構モテていたとか、その間もずっと彼女(彼氏)がいた―――みたいなことが度々あります。
 本当のことなのか都市伝説なのか分かりませんが、テレビに限らずインターネット上でも似たような話を聞いたことがあります。「童貞ネタ」で人気だった男に女性がリアルで会ったら、サクッとヤられちゃって「童貞なんてネットで面白おかしく書いて人気を得るための嘘。そんなこと信じてたの?」と言われた―――という話が拡散されているのを見たことがあります。


 リアルにガチで本気で重度にモテナイ自分からすると、殺意を抱くレベルで許せません。
 いや、殺意では済まされないな。痛覚を失わない程度に痛め続ける拷問を2~3年ほどかけて「もう殺してください殺してください」と懇願するようになったら、「じゃあ拷問から解放させてあげよう」と希望を少し見せた瞬間に「やっぱ殺すわー」と再び絶望の底に叩き落してから殺したいくらいに許せません。

 「学歴の詐称をしていたコメンテーター」なんて心底どうでもイイですけど、「モテるくせに面白のためにモテナイと嘘つく人間」だけは絶対に許せません。男女ともに。



 もちろんテレビの世界に「嘘」がないなんて、流石に私も思っていません。
 面白い話をしようとしたら、「先週こんなことがあってね」という話にもある程度の“誇張”とか“捏造”が混じってしまうというのはあるのだと思います。このままじゃオチが弱いから「ハンバーガー10個食べた」を「ハンバーガー30個食べた」に変えようみたいなこともあるでしょう。

 テレビで人気者になるために、自分に「嘘」のキャラ付けをするのも分かります。不思議ちゃんを演じたり、無口なキャラを演じたり、家電に詳しくないのに「家電ヲタク」を名乗ったりもするでしょう。

 同じようにモテナイと嘘をつくのでも、アイドルがファンに夢を与えるために「彼女いません」「彼氏いません」と嘘をつくのは仕方がないことだと思います。「彼氏がいると知られているアイドル」と「彼氏いないと思われているアイドル」でイベントに来てくれるファンの人数が変わるのだったら、「彼氏いません」と嘘をついてイベントを成功させたいでしょう。イベントが成功することによって色んな関係者が笑顔になるのですからね。



 しかし、それらの「嘘」と「面白のためにモテナイと嘘つくこと」は違うのです。
 「嘘をつく罪」が1飜ならば、「面白のためにモテナイと嘘をつく罪」は更に1飜追加です。

 「モテナイネタ」というのは「自虐ネタ」ですからね。
 「自虐ネタ」が「嘘」だったのなら、それはもはや「“自”虐」ではないのです。


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 「自虐ネタ」というのは非常に人気があります。

 例えば、昨年のM-1グランプリを優勝したトレンディエンジェルは自分達の「若ハゲ」を自虐ネタにしている漫才コンビです。ハゲネタを武器にした漫才コンビなんて「ベタ中のベタ」なのですが、お笑い論が複雑になりまくった果てに、こういうベタで分かりやすいところに流行が戻ってきたなんて言われていますね。
 お笑いの世界ではこうした「本来ならコンプレックスになりそうなところ」を自虐して武器にしている人はたくさんいます。背が低い人は背が低いことをネタにして、太っている人は太っていることをネタにして、不細工な人は不細工なことをネタにして笑いにしてきました。「自分で言う」のではなく「相方に言われる」ことも多々ありますが、当然それはコンビ間で決めているネタなので「自虐ネタ」と言えるでしょう。


 しかし、トレンディエンジェルのハゲネタで笑えるのは、彼ら自身がハゲていて、自分達で自分達のハゲをネタにしているからです。もしトレンディエンジェルが髪の毛ふさふさのイケメン2人コンビで、世のハゲている人達を馬鹿にする漫才をしていたらちっとも笑えないでしょう。
 同じ「ハゲをイジる笑い」であっても、「自分のハゲをネタにする」のと「他人のハゲをネタにする」のとでは意味合いが全然違います。「他人のハゲをネタにする漫才」だったら、「そんなに馬鹿にされるなんてハゲている人が可哀想……」「ハゲている人の気持ちを考えろ!」と不快な気持ちになってしまうことでしょう。

 本当にハゲている人だけが、ハゲているということを「自虐ネタ」にする権利があるのです。




 モテナイ「自虐ネタ」だってそうです。
 「僕(私)モテナイんですー」と言ってゲラゲラ笑わせられるのは、言った本人(もしくは相方)がモテナイ場合のみです。もしモテモテのイケメンコンビが、世のモテナイ人達を馬鹿にする漫才をしていたらちっとも笑えないでしょう。
 同じ「モテナイをイジる笑い」であっても、「自分のモテナイをネタにする」のと「他人のモテナイをネタにする」のとでは意味合いが全然違います。「他人のモテナイをネタにする漫才」だったら、「そんなに馬鹿にされるなんてモテナイ人が可哀想……」「モテナイ人の気持ちを考えろ!」と不快な気持ちになってしまうことでしょう。

 本当にモテナイ人だけが、モテナイということを「自虐ネタ」にする権利があるのです。
 それが、言ってしまえば「モテナイ才能」ですよ。



 しかし、この「自虐ネタ」が嘘だったら……?
 本当はモテているのに、「僕(私)はモテナイ」と詐称した方が武器が一つ増えるからモテナイキャラという嘘のキャラ付けをして、「僕(私)ってこんなモテナイんですよー」とゲラゲラ笑いをとっていた場合。それは自虐ではなく、「モテている人が、モテナイ人を馬鹿にして笑いを取っているだけ」ですよ。


 髪の毛ふさふさな人がハゲている人を馬鹿にしている、とか。
 痩せている人が太っている人を馬鹿にしている、とか。
 お金持ちが貧乏な人を馬鹿にしている、とか。
 勉強できる人が勉強できない人を馬鹿にしている、とか。

 そういう次元の話ですし―――それにプラス、自分をそういうキャラに見せることで騙そうという狡猾さも混じっているのだから更にたちが悪いです。





 しかし、こういう話をすると……「いやいや、本人達にモテているという自覚はないんですよ」的な話にすりかえられたりします。
 「芸能人にしてはモテていない」とか「恋人や奥さん(旦那さん)がいたからといってモテているということではない」とか「モテているということは何の努力もしていないのに自分と付き合いたいと思ってくれている人が常に周りに3人以上いることだから自分は当てはまらない」とか詭弁に逃れようとする奴ら!

 お前らは!飢餓で苦しんでいる人の前で、むしゃむしゃとおにぎりを食いながら「もっと豪勢な食事じゃないと食べた気にならねえわー。腹減ったわー」と言っているのと一緒だからな!!!!

 じゃあそのおにぎりをよこせ!と殺されても文句言わせねえからな!!!!



 でも、ホント思うんですけど……「奥さんはいるけど私はモテナイ」と言っている人が「不倫は良くない」とか「6股なんて信じられない」とか言っているの、すげえ矛盾だと思うんですけどね。「奥さんいるけどモテたい」ってのは不倫願望じゃないの?それとも何だろう、不倫は良くないから手は出さないけど「常に自分のことを好きな女性が周囲に3~4人いる状態でいたい」みたいなこと?もっとゲス野郎じゃねえの、それって。






 まぁ、コンプレックスをネタにすると、自分だってれっきとしたコンプレックスを持っているのに「もっと深刻な人」がマウントとってきて「オマエごときがコンプレックス持ってるんじゃねえよ」と殴ってくるので、それじゃ何にもネタに出来ないよと思う気持ちも分からなくもないんですけどね。

 どこからがネタに出来るレベルなのかの線引きが分からない問題。
 例えば私だってチ○コ小さいネタを書いていた頃、「もっと小さい人が傷ついたり怒ったりしていないだろうか……」とクレームに脅えながら生きていましたからね。結局一度もクレーム来ませんでしたが。
 「ゲームが下手」というのも「オマエごときが下手を名乗ってんじゃねえよ!」と憤慨している人がたくさんいるだろうと思っています。そういう人は是非この記事を読んで「ゲームが下手な人が見ている世界」というコミュニティで生配信してください!このコミュニティでは「ゲームが下手な人」を求めています!
 ラジオなどで読まれるお悩み相談で「背が低くてこれではモテナイんじゃないかと悩んでいます」とか言っている人は大抵私より背が高くて「そんくらいで悩んでんじゃねえよ!」と思ったりもするのだけど、背は私よりも低い男性はいるのでネタにもしづらいとかね。中途半端なのが一番ネタに出来なくて困ります。



 ということで、どこかに明確な線引きをつけた方がイイんじゃないかと思うので……
 少なくとも現在進行形で「彼女(彼氏)いる」「奥さん(旦那さん)いる」人は、モテナイを自称するのをやめませんかね?
 「俺、彼女いない歴がもう1ヶ月なっちゃったわー。マジでモテナイわー」と言っている人もまぁアレなんですけど……そこは私には分からない領域なので、誰か別の人が線を引いてくださいな。


 私もモテナイネタを散々ブログに書いていた頃、もし彼女が出来たらサクッとこの話題を書くのをやめようと思っていました。「彼女がいるのにモテナイを自称する人」には絶対になりたくなかったし、「彼女が出来た途端にモテナイ人間を見下す人」にはならないようにしようと心に誓っていました。それがモテナイを自虐ネタにしてきた人間の最低限のマナーだろうと思うのです。

 そして、心に誓ったまま一向に彼女は出来ずに今に至ります。
 なんつーか、今日の記事を読んだだけで「どうして自分がモテナイのか」が分かりますよね。おにぎり食べたい。


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「リア充爆発しろ!」は何故「爆発しろ」なのか

 今日はバレンタインですね!
 Amazonの「ほしい物リスト」を使って、「本命チョコなんてどうせもらえないんだから誰か俺に義理TENGAをくれ!」みたいなことをやろうかとも考えたのですが間に合いませんでした!来年やりますか!?(気が早い)


 さて……せっかくバレンタインなんだからそれに相応しい話題を書きたいなーと思ったので、今日は「リア充爆発しろ!」について考えます。この言葉、最近では一時期ほど見かけなくなった気もしますが、すっごい不思議な言葉だと思うんです。

 どうして「爆発しろ」なのでしょうか?
 充実していない人間が、充実している人間を妬んだ言葉だというのは分かります。しかし、それならば「死ね」とか「殺す」とか「48時間以内に遺体の発見がかなり難しい場所で自殺しろ」とかだって構わないはずです。何故わざわざ「爆発しろ」なんて言葉が選ばれたのでしょうか。『デスマッチラブコメ』をプレイした人なら分かると思いますが、実際にリア充が爆発したら関係ない一般人も大量に巻き込まれて酷い迷惑なんですよ!


 リア充爆発しろ (りあじゅうばくはつしろ)とは【ピクシブ百科事典】

 困ったときのピクシブ百科事典だ!

<以下、引用>
 「リア充爆発しろ」とは、近年、意味が変わりつつあるがリアルが充実しているリア充(主に恋愛方面で)な人に対し嫉妬と羨望を込めて一方的に非難するセリフ。なぜ「爆発しろ」なのかは不明(一説では『爆発』はド直球な『死ね』の言い回しを避けた為とも)。
</ここまで>

 不明なのか……。
 ただ「死ね」という言い回しを避けたというのはかなり有力な説のような気がしますね。2000年代後半、2007年~2008年頃には「ネット上に殺害予告を書き込むと通報され逮捕される」ということが話題になっていました。2008年は秋葉原の事件があった年です。

 例えば、「今○○駅前のイルミネーションを眺めているリア充ども全員死ねよ」みたいな書き込みがあったら殺害予告とも受け取れます。殺害予告と思われないために、現実に起こすのが難しい「爆発しろ」という言葉に置き換えられたと考えられますね。
 「リア充爆発しろ!」という言葉がいつから使われ始めたのかは分かりませんが、2009年には『リア充爆発しろ!』という曲が作られていて、Twitterの普及とともに使われるようになったという説もあるので、あくまで推測ですが「2007年~2008年頃から“死ね”という言葉が避けられるようになり」「Twitterが普及した2008年~2009年頃から“爆発しろ”という言葉に置き換わっていった」と考えるとタイミング的にはピッタリです。

 ただ……爆弾事件とかが頻繁に起こる国だったら、「爆発しろ!」も十分に「犯罪予告っぽい」と思うのですが……



 爆発しろ!/ 同人用語の基礎知識

 そもそも「爆発しろ!」という言葉がいつからあるのか。

<以下、引用>
 こうした表現は パソ通 の時代から存在し、また インターネット の 掲示板 やら チャット の世界でも良く使われる言葉ですが、とりわけ2007年頃から広まったミニブログ Twitter (ツイッター) の 「つぶやき」 で、2009年頃から数多くつぶやかれるようになり、新しい流行語のような形で広がっています。
</ここまで>

 ふむふむ……「爆発しろ」という言葉自体はパソコン通信の時代から存在していたのだけど、こちらもTwitterの時代になって広まっていったと言われているんですね。
 「爆発しろ」という言葉には「爆発オチ」のようなコミカルなイメージがあると書かれていますが、個人的には「そうかなぁ…」と思っています。「リア充爆発しろ!」という言葉を見た時に私が最初にイメージしたのは、今度アニメ化する『ジョジョの奇妙な冒険』第4部に登場する「触れたものを爆弾に変える」敵です。遺体すら残されない徹底的な破壊がされるという印象を私は持っています。

 敵を爆発させて殺すという描写は『ジョジョ』に限った話ではなく、『ドラゴンボール』などにも度々登場しますし、記事で紹介されている1981年の映画『スキャナーズ』の影響で『AKIRA』や『北斗の拳』でも見られたとWikipediaには書かれていますね。『スキャナーズ』という映画は見たことがないのですが、『AKIRA』や『北斗の拳』は「爆発して跡形もなくなくなる」というよりは「人体の内部から破裂して死ぬ」という描写だったと思います。『AKIRA』ももう15年くらい前に読んだきりなので記憶が曖昧ですが……


 そもそも特撮モノでは、相手をやっつけると爆発して消えてなくなる―――というのが定番ですよね。これはいつからなんだろうと検索してみたら、Yahoo知恵袋にて説明してくれている人がいました。

 『ウルトラマン』などの時代ではこちらの必殺技で敵が爆発することもあるけれど、消えてなくなるワケではなく死体は残っていた。『仮面ライダー』の途中から相手をやっつけると爆発して木っ端微塵になるようにした結果、「一瞬で」「派手に」「分かりやすく」「それでいて残虐ではなく」相手をやっつけたことが分かる演出として重宝されるようになった――――ということですか。
 「いつからあるのか」の真偽は分かりませんが、演出の効果としては「なるほど!」と頷けることばかりです。そう言えば、ロボットアニメでも「倒した敵ロボットが爆発する」のは定番ですが、敵が爆発して死んでくれると生々しさがなくなってエンターテイメントになるんですよね。やっているのは人殺しなのに。逆に、爆発させずに相手がコックピットの中で圧死していることの多い『鉄血のオルフェンズ』だと、爽快感というよりも残虐性というか「人殺しをしている」感覚が強まります。

 「リア充爆発しろ!」という言葉に使われる「爆発」のイメージは、特撮やロボットアニメにおける「敵をやっつけた爆発」じゃないのかと私は思います。


 リア充が憎いだけだったら「リア充消滅しろ」とか「リア充いなくなれ」とかだってイイじゃないですか。「リア充爆発しろ」以前は「もげろ」なんて言葉もありましたっけ。私、「もげろ」は割と好きな言葉ですね。「チ●コさえなくなれば許してやるよ」という謎の妥協点を提示しているところが(笑)。

 「リア充爆発しろ」が敢えて「爆発」という言葉を使っているのは、「一瞬で」「派手に」「分かりやすく」「それでいて残虐ではなく」というエンターテイメント性がこめられているように思えますし、何より「悪が成敗される」という価値観がベースにあるように思えます(※1)

(※1:もちろん「リア充爆発しろ」という言葉を使っている人が本気で「リア充=悪、自分達=正義」だなんて思っているということではなく、「僻んでいるだけの自分達が正義を自称することのおかしさ=どんな悪役も自分達を正義だと思っている」という皮肉を自虐しているのでしょう)



 ちなみに「リア充」については既に調べている人がいて、2005年には「リアル充実組」だったものが2006年初頭に「リア充」と縮めて呼ばれるようになって、2007年頃にブログなどで普及、2008年になると一般的な言葉になったと書かれていますね。
 「ネット流行語大賞2007」では「リア充」は21位なことから考えるに、仰られる通り2007年ではまだ今ほど浸透はしていなかったんじゃないかと思います。22位が「購入厨」、23位が「オプーナ」というのが時代を感じますね(笑)。



 Twitter日本語版のスタートと普及が2008年~2009年頃。
 「リア充」という言葉の誕生と普及が2006年~2008年頃。
 「爆発しろ」という言葉は昔からあったけれど、Twitterの普及+「リア充」という言葉との組み合わせで、「リア充爆発しろ」が2009年の時点で流行語化していた――――こんなところですかね。

 思った以上に「最近の言葉」なんですね。
 いや、まぁ2006年を「最近」と呼ぶのは私がオッサンだからなのかも知れませんが、「リア充」という言葉が生まれてまだ10年しか経っていない=10年より前には「リア充」という言葉はなかったというのは意外でしたし、「リア充爆発しろ」が定着したのはTwitter以後というのも意外でした。

 「リア充」にしても「リア充爆発しろ」にしても、こういう概念はもっと昔からあったと思うんですね。しかし、ここ10年の間にそれらの言葉が生まれたことによって概念がイメージしやすくなったし、共有化しやすくなった―――


 そう考えていくと……「リア充爆発しろ!」は何故「爆発しろ」なのかではなくて、「爆発しろ」というイメージのしやすい言葉だったからこそ「リア充爆発しろ!」という言葉は定着したと言えるのかなと思いました。


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| 彼女はいません | 17:56 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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「童貞を蔑む風潮」に思うこと

 数週間前、「童貞を殺す服」というワードがTwitterでトレンドになっていました。

 ほとんどの人は「タイムラインに流れてきたワードを大喜利のように面白おかしくネタにする」くらいの感覚だったのでしょうが、普段仲良くしているフォロワーさんでも嬉々としてのこのワードを使っていることが私はとてもイヤでした。
 しかし、そこで「童貞を殺す服だなんて、童貞を蔑むのもいい加減にしろよ!」と言おうものならば、「うわー、アイツ童貞だよ。みんなが笑っているネタにマジレスしてんよー」と晒し上げにあってしまい、「童貞を蔑むことの是非」どころが「自由に石をぶつけられる童貞が見つかった!殺せー!」という流れになることが想像が出来たのでじっとこらえていました。


 そもそもこの「童貞を殺す服」……
 ピクシブ百科事典によると、「おっぱいが強調される上に白くてフリフリなのが可愛いので童貞がイチコロになってしまう服」という意味ではなく、元々は「見た目は可愛いけれど実物を見たことがない人には構造が分かりづらいので、童貞が想像だけでイラストに描くと、これを描いたヤツは童貞だなとバレてしまう服」という意味だったとのことです。そうだったのか。



 余計に腹が立つじゃねえか!


 童貞で何が悪いんだよ!!
 何だよその「童貞なことがバレてしまうと死ぬ」みたいな死生観は!「告白されたら死ぬゲーム」とか「パンツを見たら死ぬアニメ」とかそんなノリかよ!こちとら何年も前からブログで“日本一モテナイ男”を自称してんだよ!そんな設定のゲームを作ったらスタート地点で俺はゲームオーバーだっ!

 俺達童貞が何をした!
 むしろ、誰にも迷惑をかけずに生きてきた結果の童貞じゃねえかよ!

 それなのに人間どもは「気持ち悪い」「近づくな」「社会不適合者だ」と俺達に石を投げ続け、俺達を森に追いやったんじゃないか!これはこれで漫画にして描いたら面白そうな話だな……




 とまぁ、元々の発言の真意はさておき。
 大喜利場と化したTwitterのタイムラインは「ぼくのかんがえる“童貞を殺す服”」で面白いことを言い合いたい人で溢れていたのですが……そういう状況を「あーあ」と思いながら眺めていて、「童貞じゃない人の考える“童貞”像」ってもはや本物の“童貞”かどうかはどうでもよくて、ステレオタイプの架空の“童貞”イメージなんだなぁと思いました。

 中国人のキャラクターだから、「そうアルね!」と喋らせているような感覚。



 今回のケースに限らず、漫画とかアニメとか映画とかドラマとかで“童貞キャラ”が出てきた場合……そのキャラは「人と喋るのが苦手」とか「女性とマトモに喋れない」とか「いつも二次元の嫁を想像してグヘグヘ言っている」とか、逆に「女の裸を見ることに執着する変態キャラ」とか、すごく定型のキャラクターなことが多いです。そうしたキャラは「童貞であること」がクローズアップされたキャラだからそうなりがちなのかも知れませんが。

 実際には、童貞だって普通に人と喋るし、女友達がいる童貞だっているし、人前でグヘグヘ言ったりしないし、そんなに女に執着してこなかったからこそ童貞なのです。スポーツ漫画とかで「この作者、絶対剣道やったことないのにイメージだけで剣道漫画を描いてるだろ!」と言いたくなる作品があるのと同様に、「この作者、実際の童貞がどういうものなのか知らずにイメージだけで童貞キャラ描いてるだろ!」と言いたくなる漫画とかアニメとか映画とかドラマとかたくさんあります。

 女性作家ならともかく、男性は必ず童貞だった時期があるから「実際の童貞がどういうものなのか」は知っているだろうと思うかも知れませんが……例えば13歳で童貞を卒業した男性作家さんには、「15歳で童貞の人」「20歳で童貞の人」「25歳で童貞の人」「30歳で童貞の人」「35歳で童貞の人」「40歳で童貞の人」それぞれが「童貞をどう捉えているか」が全然違うだなんて分かるワケがないんです。そこをイメージだけで描いてしまうと、「30歳越えても童貞だなんて女とマトモに喋られないに違いない」みたいな偏見でキャラを描いてしまうのでしょう。



 恋愛経験の少ない作家さんが恋愛漫画を描くと「こんなの妄想の塊じゃねえかよ!ちゃんと自分で恋愛経験積んでから描けよ!」とか言われるのに、童貞じゃない作家さんが童貞キャラを描いても「こんなの妄想の塊じゃねえかよ!ちゃんと自分で童貞経験積んでから描けよ!」と言われないのは何なんでしょうね。どっちもイメージだけで描いているのは変わらないのにね。




 「ぼくのかんがえる“童貞を殺す服”」の話題でも思いました。
 「童貞はおっぱいが好きに違いない」「童貞は清楚な服に弱いに違いない」「童貞はフリルに弱いに違いない」―――どっかから拾ってきた貧困なイメージで童貞を語る人が多いこと多いこと。挙句の果てには「童貞は女に飢えているから何着たって喜ぶよ」とか「童貞が一番喜ぶのは全裸だよ」とか。それ、貴方が童貞だった中学二年の頃(例)に好きだったものじゃないの?

 童貞なまま年齢を重ねていった人達は、また別だと思いますよ。



 ぶっちゃけた話をしますとね。
 私くらい“モテナイ”を極めて、“童貞”をこじらせた人間から言わせてもらえば……





 “童貞”はちゃんと年月をかけてこじらすと、どんな服を着ている女性であっても、全ての女性が全裸に見える能力が会得できるんですよ。

 おっぱいを強調する服だろうが、白くて清楚な服だろうが、フリフリな服だろうが、女性が何を着ようが私には全部全裸に見えます。「童貞を殺す服」も何も、童貞には服なんて関係ないんです。街を歩く全ての女性が全裸に見えますからね。むしろ、どこに行っても全裸の女性しか見かけないから、女性の裸なんて見飽きてしまっているくらいです。
 だから、好きな女性芸能人がヌードになっても別に嬉しくないし、エロビデオで全裸になられると「もう見飽きたよ!」という気持ちになってしまうのです。「むしろ服を着てくれよ!」「ブラジャーが観たいんだよ!俺はブラジャーが観たいんだよ!」と思ってしまいます。


 この記事を読んでいる人の中には「そんなワケがない」と思う人もいるかも知れません。
 「俺の知り合いに童貞がいるが、そんな話は聞いたことがないぞ!」と思う人もいることでしょう。その場合、その知り合いの方がまだまだ童貞をこじらせる年月が足りていないのか、もしくは……とっくに女性が全裸に見えているのだけど、それを人には明かしていないだけだと思います。

 当たり前です。
 「俺、なんか女の人が全員全裸に見えるようになったんだけど」と言われたら、アナタはどう思いますか?「頭がおかしくなったんじゃないか」とか思うか、女性の場合は気持ち悪くてその人の傍には行きたくないと思われるかも知れませんね。男性の場合であっても「ズルイ!」「羨ましい!」という思いが、更なる偏見や迫害を生むかも知れません。

 だから、女性が全員全裸に見える能力に目覚めたとしても、それを人に明かしたりはしないのです。私も友人に明かしたことはありませんし、ブログにも初めて書きました。ひっそりと墓まで持っていこうと思っていましたが、「偏見だけで語られる童貞像」がどうしても許せなかったので勇気を出して書きました。



 それくらい「ステレオタイプな定型のイメージ」と「実像」は違うものです。
 これは“童貞”に限らずです。
 「○○だからこうに違いない」「だからきっとこうに違いない」「ならばこうに違いない」と誰かが書いたラベルだけ読んで、瓶に詰め込まれた中身を全部そうだと思い込むのは“偏見”でしかありません。逆に言えば、そういうところどころで、その人が“偏見”でしかものごとを見ていないことがバレてしまうのです。


 アナタが“童貞”をバカにしている時、“童貞”もアナタのことをそう見ているのです。

(関連記事:「彼女はいません」が恥ずかしくない社会へ


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| 彼女はいません | 17:53 | comments:11 | trackbacks:0 | TOP↑

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『トモダチコレクション』から学ぶ「何故オレはモテなかったのか」学

 何度も書いていますが、自分は現在3DSのソフト『トモダチコレクション 新生活』をプレイ中です。
 このゲームはプレイヤーが好きなキャラクター(Mii)を作ってマンションに住まわせるというゲームなんですが―――面白いことに、この「勝手に動くキャラクター達」がしっかりと人間関係を築いていき、現実と同じようなヒエラルキーが生まれていくのです。


 つまり、

 何人もの女性から同時に告白されるような男や、
 女友達はいっぱいいるんだけど異性からはちっとも告白されない女や、
 他のグッチャグチャになった人達とは関係なく夫婦二人でずっと円満な男女や、
 毎日誰かに告白してはフラれて―――を日課としている女や、


 キャラクターを作る際に「モテ度」なんてパラメータを設定したワケでもないのに、確かにゲームの中の社会に「モテヒエラルキー」が生まれるんです。モテる男・モテない男・モテる女・モテない女が現れてしまうんです。


 私はとてつもなくモテない人生を歩んできましたし、このブログを読んでくださっている人の中にも「自分はモテない」と思っている人が男女問わずいることでしょう。
 私達は自分の人生を「主観」でしか見られないから、「何故自分には彼女が出来ないんだ」とか「どうしてあの時自分はフラれてしまったんだ」がなかなか分かりません。だからそこで“分かりやすい”けれど“どうしようもない”原因を考えて、「顔が悪いからだ」とか「おっぱいが小さいからだ」とか「前世の行いが悪かったからだ」といった言い訳を自分にしてしまいがちです。



 でも、それは「天狗の仕業だからしょうがない」と同じようなことじゃないかと思うのです。
 いや、「顔の良し悪し」が全く関係ないワケでもないから「天狗」とはちょっと違うか……要因の一つではありえるんですけど、それが全てではないと言うべきか。

 『トモダチコレクション』の中には、恐らく「顔の良し悪し」は存在しません。
 イケメンかどうかとか美少女かどうかとか、ゲームが判定することは出来ませんからね。

 でも、それでも「モテヒエラルキー」は存在するんです。
 「顔の良し悪し」が存在しない世界であっても「モテない男」はいるんです。



 『トモダチコレクション』の視点は「神の視点」なので、「何故コイツがモテないのか」とか「どうしてこのコにはいつまでも彼氏が出来ないのか」が第三者の目で見て理解できます。

 つまり、『トモダチコレクション』をプレイしていると「“モテる”とは何か?」が学べるんです。もちろんそこから「何故オレはモテなかったのか」「どうしてオレにはいつまでも彼女が出来ないのか」を考えることも出来るのでしょう。


 『どうぶつの森』ではカブや特産物で経済や貿易などの「お金の回り方」を学ばせ、『トモダチコレクション』ではどうしたらモテるのかといった「恋愛の仕組み」を学ばせる――――任天堂め、この国をどうするつもりなんだ!


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1.「友達」にならなければ「好きになるかどうか」の舞台にも上がれない
 「男女の友情なんて存在しない」とか「友達としての好きと恋人としての好きは違う」とか、そんな次元の話ではなく―――『トモダチコレクション』の世界では、基本的に「友達」にならなければ恋愛対象にはなれません。


 現実世界だってそうですよね。
 よほどのイケメンとか美少女のような「飛びぬけて見た目がイイ」場合を除けば、知りもしない相手をいきなり好きになったりはしません。
 その人の性格とか仕草とか表情とかそういうものを知って好きになっていくのですし、告白してOKをもらうためには相手にも自分のそういうものを知ってもらっていなければなりません―――だから、まずは「友達」にならないと始まらないんですよね。



 HNI_0027 (4)
 現実でも『トモダチコレクション』でも、たくさんの異性から告白されて選り取り見取りみたいな人っていますよね。そういう人はシンプルに「異性の友達が多い」んですよ。異性の友達が多いから、「自分を好きになってくれる異性」も多くて、結果的にたくさんの人から告白される――――



 モテるためには、まず「異性の友達」を作らなければならなかったんです!




2.「自分が相手を好きになる時」と「相手が自分を好きになる時」は違う
 これはまさに『トモダチコレクション』で学んだことでした。
 「恋愛が成就するかどうか」で一番重要なのは“タイミング”なんです。


 自分が実際にゲームで見た話を画面写真を使って説明します。
 プライバシーの問題もあるので、登場人物の名前は「A君」「Bさん」のように仮名にさせていただきます。「○君」が男性で「○さん」が女性だと思ってください。





 HNI_0048_20130419170452.jpg
 「A君」はこのマンションに引っ越してきてすぐの時期に「Bさん」に告白をしました。

 HNI_0049_20130419170452.jpg
 「Bさん」にはあっさり断られました。
 「A君」からすると「自分はBさんのことが好きだったけどBさんは自分のことが好きではなかったんだ」と思ったのでしょう。


 HNI_0022 (2)
 翌日、「A君」は別の「Cさん」に告白しました。
 何という変わり身の速さ。女なら誰でもイイのか、「A君」。
 しかし、「A君」が前日「Bさん」に告白していたことも知らない「Cさん」はOKを出して、二人は付き合うことになりました。



 HNI_0054 (3)
 「A君」は声フェチだったらしい。
 この後「A君」と「Cさん」は順風満帆な恋人ライフを送っていて、プロポーズするかどうかまで進んでいたのですが……



 HNI_0063 (3)
 しかし、風雲急を告げる事態が起こります!
 何と、かつて「A君」のことをフった「Bさん」が「A君」のことを好きになってしまったのです。
 「A君」は「Bさん」にフラれた時点で「この人は一生オレのことを好きにならないんだろう」と諦めて「Cさん」と付き合い始めたのですが、「Bさん」は「Bさん」で考えたのです。あの時点では「A君」のことなんてなんとも思っていませんでしたが、やっぱり「A君」のことが好きなんだ―――と。


 HNI_0066 (3)
 時既に遅し、です。
 「A君」にはもう「Cさん」という恋人がいて、結婚も考えているほどです。
 だから、「Bさん」の告白には応えられません。(´;ω;`)


 「A君」が「Bさん」に告白するのがもうちょっと遅かったら……
 「Bさん」が「A君」のことを好きになるがもうちょっと早かったら……何の問題もなく両想いで恋人同士になれた二人だったのに。好きになる“タイミング”が少しズレてしまっただけで、二人は結ばれることがなかったのです。恋愛に一番大事なのは“タイミング”なんだと、このゲームは教えてくれるのです。




 HNI_0061 (4)
 時が経ち……
 順風満帆な恋人同士だと思われた「A君」と「Cさん」が大ゲンカをしていました。

 恋人同士がケンカをすることなんてよくあることだと思っていたら……



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 そのタイミングに合わせて、「Cさん」に告白しようとする「D君」登場。
 いや、しかし……幾らケンカ中とは言え、「A君」という彼氏がいる「Cさん」に告白しても……



 HNI_0065 (4)
 
 OKなのかよ!!

 「恋愛で一番大事なのは“タイミング”」。
 「A君」にとっては最悪のタイミングで、「D君」にとっては最高のタイミングでの告白をしたおかげで、「Cさん」と「D君」のカップルが誕生です。




 HNI_0068 (4)
 そんなことを知らない「A君」はグースカ寝てた。






 「A君」の主観では「恋愛とはなんて理不尽なんだ!」と思えるかも知れません。
 自分をフッた「Bさん」が後になって自分に告白してきたり、自分の彼女の「Cさん」が寝ている間に別の彼氏を作ったり……思い通りにいかないことに憤慨するかも知れません。でも、「Bさん」だって「Cさん」だって人間なんです。感情があって、気持ちが揺らいだり変わったりするんです。

 『トモダチコレクション』の第三者の目で見ると、それがよく分かるのです。
 「Bさん」も「Cさん」も、ただ“自分が幸せになるために”行動しただけなのです。



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 泣ける……。




 HNI_0029 (5)
 しかしですよ!
 裏を返せば、これで晴れて「A君」はフリーの身なんですよ!

 ということは、今度こそ「Bさん」に告白して「Bさん」と結ばれればイイじゃないですか!




 HNI_0032 (5)
 ダメでした。

 「A君」は知らないんです。
 「Bさん」は「A君」にフラれた後、仲良くしてくれた他の男友達のことを好きになっていたことを――――

 「A君」は「Bさんは今でもずっとオレのことを好きなはずだ!」と思ってしまっていましたが、「Bさん」には「Bさん」の人生があって、「A君」が見ていないところで「Bさん」は他の男を好きになって幸せになろうとしていたんです。


 「A君」はあまりにも自分中心すぎでした。
 相手にも感情があって、人生があって、幸せになろうと頑張っている……ということを想像出来ていないんですね。こりゃ、「A君」はモテなくて当然だと思います。というか、何だか他人に思えなくなってきました。
 いや、別に自分には「Cさん」みたいなコはいなかったですけど、自分に彼女が出来なかったのはあまりに自分中心すぎて、「相手のタイミング」というものを考えもしなかったからだ―――と思春期の頃の自分を省みました。



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 ちなみに「Bさん」が好きな相手の「E君」はこの人。
 「E君」はまた後で出てくるので伏線として覚えておいてください。



3.行き遅れた女
 ここでちょっと話を変えて、違うキャラについて語りましょう。
 彼女はこのマンションにやって来てからしばらく、女友達ばかりを作って女のコ同士で仲良く遊んでいました。しかし、その女友達達は恋人を作って結婚をして子どもを産んで―――と、どんどんリア充になっていきます。彼女も焦って恋人を作ろうとするのですが、男友達が少ないので……


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 告白する相手がみんな、「女友達の旦那」だという。
 仕方がないのです。彼女には男友達がいなくて、数少ない男友達は「女友達が紹介してくれた旦那」しかいないんです。だから、告白をする相手が「女友達の旦那」しかいないんです。「Cさん」を「D君」に寝取られた「A君」の例もありますが、幸せ真っ盛りの新婚さんに告白してもそりゃ上手くいきませんよね。よって、彼女はずーっと恋人が作れていません。流石ぼっち。


 しかし、彼女を鼻で笑うことも出来ないでしょう。
 『トモダチコレクション』には「二股関係」はないので上手くいきませんでしたが、こんなカンジで「友達の旦那」とか「友達の嫁さん」と不倫関係になっている人は世の中に少なくないと思います。不倫まで行かなくても、学生時代に「友達の彼女」とか「友達の彼氏」くらいしか話せる異性がいなかったなんて人だっているでしょう。



 顔が良くても彼女が出来ない男とか、顔が良くても彼氏が出来ない女がいるのなんて―――別に不思議なことではないと、『トモダチコレクション』を遊べば分かります。「恋人のいない異性の友達」がいなければモテようがないのです。

 逆に言うと、「異性の友達」が多い人の場合、本命の人にフラれた直後に別の人から告白されて即OKするとか―――妥協で付き合い始めている恋人も結構いるんだなと分かるのです。みんながみんな燃え上がるような恋をしているワケではなく、何となく「余っている人がこの人しかいないから……」で始まる恋も多いんです。

 そのためには、まず「異性の友達」がいなければ!




4.やっぱり持つべきは「友達」なのである
 このゲームの「友達関係」は実は複雑で、“共通の友達”がいることで起こるイベントがあったりします。大ゲンカをしている二人を、“共通の友達”が仲裁に入るとか。「自分の友達を他の友達に紹介する」とか。


 どうやらこのゲーム……特に自分に恋人がいて順風満帆な時ほど、「自分の友達も幸せにしたい」と思うのか――――「恋人がいない友達に、同じように恋人がいない友達を紹介してデートさせる」というイベントがあるようなんです。つまり、三度のチャンスで結ばれなかった「A君」と「Bさん」だけど、“共通の友達”が二人を繋げてくれるはず、と!



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 ということで、「E君」の出番だ!!
 「Bさん」は「E君」のことが好きなんだけど、そんなこと知ったこっちゃないので、「E君」には別の彼女を作らせ、「E君」に告白しようとする「Bさん」を引きとめ続け、「A君」と「Bさん」をくっつけるために「E君」に紹介させるというイベントを起こしました!あらゆる手を尽くす、それがゲーマーの姿勢だぜ!


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 お、おう……




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 他の“共通の友達”にも、二人をくっつけさせるように仕向ける。



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 オマエら、まだ友達にもなっていなかったのかよ!!




 しかし、こうして周囲から猛プッシュされることで意識し始める二人。
 流石に「他人→恋人」にジャンプアップするケースはそんなにないみたいですが、「他人→友達」や「友達→恋人」になることは結構あるので、意図したカップリングを成立させるためには非常に有効な手段だと思われます。

 裏を返せば、「恋人のいない異性の友達を紹介してくれるような友達」の存在ってすげえなという話ですし。リア充の友達こそが、非リアの俺達を救ってくれたかも知れないのか!と思うのです。持つべきは「異性の友達がたくさんいる友達」だったんです。モテない奴らだけで集まっていたら、そりゃモテない。


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【三行まとめ】
・モテたければ「友達」をたくさん作ろう!
・特に「異性の友達が多い友達」は大事にしよう!
・相手の気持ちは変化するということを、忘れずに



Q.「恋人を作るためにはどうしたらイイんですか?」

 A.「友達をたくさん作ればイイんだよ!!」

Q.「じゃあ、友達を作るためにはどうしたらイイんですか?」

 A.「えーっと………」



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 Wii Uを買って、家に招けばイイんじゃないの!
 ………と、任天堂に媚を売って、この記事を締めくくりたいと思います。




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○ 蛇足


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 この記事の意図した方向とは違って、
 この記事を読み返すと「何故オレはモテなかったのか」がものすごくよく分かる気がする……


(関連記事:『トモダチコレクション 新生活』ファーストインプレッション
(関連記事:『トモダチコレクション』は「面白い」かどうかよく分からない

| 彼女はいません | 18:02 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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「ガチでモテない主人公」でストーリーは描けるか

 バスケットボール経験者がその経験を元に描いたバスケ漫画が大ヒットしたり、元体操選手が原作を描いた体操漫画がヒットしたり、「漫画作品」と「作者独自の体験談」は切っても切り離せない関係と言えます。
 もちろんそうした漫画が全てではありませんが、自分が体験したことなら取材する必要がないから費用ゼロで済ませられる!のは間違いないので、こういう作品は多いですよね。使える予算が少なくて、個人の力で描かれる“漫画”は特にその傾向が強いと思います。


 ならば、「日本一モテない男」を自認している自分は、「モテない男」を主人公にした漫画こそを描くべきではないか―――ずっとそう思ってきました。
 世の中にあふれている「モテない男」を主人公にした漫画など笑止千万!サッカーのルールを知らないヤツが描いたサッカー漫画のように、「妄想でモテない男を描くんじゃねえよ!リアリティの欠片もねえ漫画だな!」と一笑に付してきたではないか。ならば己でそれを具現化するべきではないか、そう自問してきました。


 しかし、これが上手くいきません。
 企画段階で「面白くなりそうにない」んです。モテない男を主人公にして、リアリティ重視の漫画を描こうとしても全然面白くならないんです。
 だってそりゃそうですよ。そういや俺の人生もちっとも面白くなかった、と気付くんです。それを漫画に描いても面白くなるワケがありません。




 そもそも「ストーリーとは何だ?」という話。
 これは特に短編の読みきり漫画を描くようになって考えたことなんですが、極限まで切り詰めていくと「ストーリー」とは「設定」→「出来事」→「結末」の3つで出来ていると思うのです。

 例えば『ももたろう』で言えば、
 「設定」は「桃から生まれたももたろう」とか「鬼によってみんなが苦しめられています」とかの辺り。「出来事」は「ももたろうが旅立ってからなんやかんやあって鬼をやっつけました」という辺り。「結末」は「財宝を持ち帰っておじいさんとおばあさんと幸せに暮らしました」みたいなアレ。


 「出来事」をはさんだ「設定」と「結末」にどれだけの落差(ギャップ)があるかが、ストーリーの“肝”になると言えます。悲惨な設定から幸せな結末に上がれば「カタルシス」が生まれ、その逆ならば「悲劇性」が生まれ―――といったカンジに。


 例えば『シンデレラ』。
 「設定」は見るも無残な状態から始まります。継母や義姉からイジメ抜かれて、自分一人だけがみすぼらしい姿で家に残されてしまいます。その後、なんやかんや「出来事」があって、シンデレラは王子様と幸せな結婚をしましたとさという「結末」になります。「底辺」から「幸せの頂点」に上り詰める、まさにシンデレラストーリー!


 逆に『うらしま太郎』。
 「設定」は「イジメられていた亀を助けました」という美談から始まります。その後なんやかんやあって、「結末」は「浦島太郎は老人になってしまいました」という悲惨なもので終わります。この結末には色んな解釈が出来ると思いますが、多くの子どもはショックを受けたことと思います。「何も悪いことしていないのに酷い!」と。

 この結末が「玉手箱を開けたら浦島太郎は足首に全治1週間の捻挫の怪我をしてしまいました」だったら、「設定」と「結末」の落差がそれほどでもないので「その程度で済んでよかったね」くらいにしか思えません。「設定」と「結末」の落差が大きいから、『うらしま太郎』のラストは衝撃的なんです。




 「設定」と「結末」の間に落差をつけること。
 その落差に説得力が持てるくらいの「出来事」を描くこと―――これがドラマ性だと思うので。



 モテない主人公という「設定」で始めて、モテないまま終わる「結末」で終わると、何も起こらんのですよね。「成しあがるストーリー」も「転落していく話」も描けないのです。

 でも、モテない主人公という「設定」で始めて、最後は彼女が出来て幸せになりましたーという「結末」で終わると、「ふっざけんな!どこがモテない主人公なんだよ!彼女できてんじゃねえかよ!全然モテてんじゃねえかよ!こんな生半可な気持ちでモテない男を描くつもりだったら最初からモテない主人公を描くんじゃねえよ!覚悟がっ!この作者には覚悟が足りねえんだよおおおおおおおおおおおおおおお!」と言いたくなってしまいますし、私自身が今まで何百回と言ってきたことなので。それも出来ません。



 つまり、「ガチでモテない主人公で漫画を描こう」と思った時点で、「設定」と「結末」が動かせないという重い制約を背負わされてしまうのです。



 もちろん抜け道はなくはないんですけど。
 例えば『こち亀』の両さんが事業で大もうけをしても最終的には転落して来週も警察官に戻ってる、みたいなカンジで。「モテない男がモテると思ったら結局はモテてなかった!」というオチを付けるとか。

 「モテない主人公」が別の何かで成功する、とか

 「モテない主人公」が更に更に更に悲惨な事態に追い込まれる、とか。

 ストーリーの落差とかどうでもいいから、ただ単に「モテナイあるある」を描くとか。



 あれ……どれも結構面白そうな……
 この中からしれっとアイディア採用していても、見なかったことにしてください(笑)。


 ただやっぱり「王道」からはちょっと外れてしまう印象はありますね。
 そう考えると、「モテない男を主人公にして始まった漫画」が、「彼女が出来て終わる」とか「実は彼のことを好きな幼馴染がいたんだ」とか「最終的には女キャラみんなこの主人公のこと好きになってね?」というモテない読者が1ミリも感情移入できないような展開になってしまいがちなのも、分からなくもないんですよね。

 「モテない」という設定が、「モテる」という結末になれば、そこにはカタルシスが生まれるんですから。
 それで「良かったなー。コイツがモテるようになって本当良かったなー」と思わせられるような主人公だったら問題ないですしね。そうじゃないから問題なんですけどね(笑)。


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| 彼女はいません | 17:57 | comments:18 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「リア充なんて本当は存在しない」、もしくは「この世界にはリア充しかいない」

 ラジオを聴いていたら、とあるラジオパーソナリティが喋っていました。
 そのラジオパーソナリティは20代で結婚をして二人の子どもを授かり、仕事は順調、趣味もたくさんあって友人もたくさんいる人。
 その人にリスナーは言いました、「アナタはリア充じゃないですか」と。
 すると、ラジオパーソナリティは反論をしました。「リア充ってのは中学生の頃に何の努力もしていないのに3人以上の女のコから同時に告白をされるようなヤツのことを言うんだ!俺はリア充じゃない!」




 この一部分だけを切り取ってその人に悪印象を持って欲しくないので、「とあるラジオパーソナリティ」が誰かなのかは語るつもりはありません。御了承ください。

 さて、この話―――皆さんはどう思いましたか?
 私は「何だか、寓話みたいだな」と思いました。
 登場人物を動物か昆虫に置き換えるだけで「こんな昔話があるんだよ」と言い張れそうな。



 傍から見れば「リア充だ」と思われるような人も、「俺はリア充だ!」とは言わないものです。
 このケースを見れば分かるように―――リア充とは多くの場合「自分が憧れているけどなれないもの」のことを指すからです。

 「女のコと喋れるなんてリア充だ」と思われても、女のコと喋っているだけの人は「恋人がいるだなんてリア充だ」と思い、恋人がいるだけの人は「超可愛い恋人がいる人こそがリア充だ」と思い、超可愛い恋人がいる人は「恋人の他にセフレが3人くらいいないとリア充ではない」と思い、超可愛い恋人とセフレが3人いる人は「美女を10人集めたハーレムに住んでいるようなヤツだけがリア充だ」と思い、美女だらけのハーレムを築いた人は「国中の全ての女が命令しただけで股を開くような人こそがリア充だ」と思い、そんな人は「早く不老不死の薬を作るんだ」とか言いだすんです。


 リア充とは「自称」ではなく「他称」なんです。
 傍から見てとても幸せそうに見える人であっても、自分ではない誰かを見て「俺もあんな風なリア充になりたい」とか言うんです。人間の欲望は無限ですから。「オッス!俺、リア充!」「もうこれ以上何も要らない!」とか言っている人は見たことがないですよね?

 天下を統一した人でも、そこに満足せずに外国に攻め込んだりするじゃないですか。
 この世の春を謳歌してた人でも、テレビ局を買収しようとしたりするじゃないですか。



 人間の心が決して「充実する」ことがないのならば―――
 この世界に、本当の意味での「リア充」なんて存在しないんじゃないでしょうか。


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 そもそもの話です。
 「幸せって何でしょうか?」



 冒頭では敢えて「女性からモテる=リア充」みたいな例を集中して挙げましたけど、それだけが幸せではありませんよね。幸せとは横一列に「日本一幸せな人!」「日本で二番目に幸せな人!」「日本で三番目に幸せな人!」と並べられるものではないのです。

 一人の時間が好きな人。
 男友達とワイワイするのが好きな人。
 熱帯魚を眺めるのが好きな人。
 好きな人と一緒に過ごすのが好きな人。
 仕事をしている時間が好きな人。
 電車に乗っている時が一番好きな電車マニアな人。


 人それぞれ「幸せ」が違うから、誰もがみな輝いて見えるし、誰もがみな満たされないのです。
 この私ですら「絵が描けるなんて羨ましい。絵が描ける人は世界が違って見えるんだろうね」と言われたことがあります。
 羨ましいのなら変わってやんよ!そして、私は別に「絵が描ける」ワケではないぞ!!「色々と誤魔化す手段を知っている」だけなのだ!

 「ブログをやっていて読者が付いているということは、アナタはもう非モテではない」と言われたこともありましたっけ。よし、このブログを読んでくれている女性は今すぐ私の前で股を開くんだ。



 隣の芝生は#006600みたいな話で。
 自分の中の満たされない部分を見つけて、それを持っている人を「幸せそうだなあ」と思ってしまうのなら―――誰もがみな「自分こそがリア充だ!」とは思えないと同時に、誰もがみな「俺以外の全員がリア充に見える!」と思っているのかも知れません。

 どこかしらに持っている「小さな幸せ」に、自分自身には気付かなかったとしても、他人はそれを羨ましがっていたりする―――そう考えると、何だ、私達はみんな何らかの形でリア充に既になっていたのかも知れないのです。




 こう考えていくと、「リア充って何なんだろうな?」って気になってきますよね。
 ぼくたちが望んでいることは本当に「モテたい」なのだろうか?という記事もそうだったんですけど、存在の分からない“概念”に憧れて自分が不幸だと思いこむのは人生が勿体ないと思うんですよ。



 自分は十代の頃、「彼女がいない」という一点だけで自分が不幸だと思っていました。
 「あー、自分の人生には何の意味もないんだ」「さっさと死んでしまえば良かったんだ」とずっと思っていました。でも、「彼女がいない」なりに十代を楽しんでいたと思うし、「彼女がいない」ことと「チ●コが超小さい」ことを除けばそこまで不幸ではなかったんじゃないかと今ならば思いますもの。

 「彼女がいない」ならば、一人で色んなことをする自由な時間がたっぷりあったワケで。
 もっとちゃんとそれを利用すれば良かったと後悔しています。本当ならばそんな風にたっぷりあった時間こそが「リア充」だったかも知れないのに、それに気付かなかったのが勿体なかったです。もし十代の自分に手紙を送れるならば、それを言いたいです。








 だからそう!



 バレンタインデーに何ももらえなくたって、別に憂鬱でも何でもないですから!!!


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| 彼女はいません | 17:54 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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