忘れないうちに、『魍魎戦記MADARA』シリーズについて語っておきたい
なので、「オススメだよ!」みたいなことを書きたいワケじゃないです。
このシリーズを知っている人とは「そんなんあったねー」と語りたいし、知らない人には「こんなんあったんだよ」と知らせたいだけの記事です。なので、堂々とネタバレも書いていきます。
『魍魎戦記MADARA』は1980年代末~1990年代に、漫画・小説・ゲーム・OVA・ラジオドラマなどが展開されたメディアミックスプロジェクトです。軸としては「漫画」が中心で、それを補足する形で様々なメディアで展開されたというカンジかな。
最初の『魍魎戦記MADARA』(後に『摩陀羅壱』と呼ばれる)は、1987年からゲーム雑誌「マル勝ファミコン(角川書店)」で連載開始となった漫画です。1985年に「ファミリーコンピュータMagazine(徳間書店)」が創刊された後、1986年に「ファミコン必勝本(JICC出版局)」、「マル勝ファミコン(角川書店)」、「ファミコン通信(アスキー)」と次々と現れたファミコン雑誌の一つですね。
この「ゲーム雑誌に連載された漫画」というところが初期は重要で、当時大ブームだったRPGのようにキャラクターのパラメータが数値化されるなど―――「ゲーム」の表現をいち早く「漫画」に取り入れた作品だったんですね(ちなみに『ドラゴンボール』で「戦闘力」が出てくるのは翌年の1988年みたい)。

<画像はドラゴンコミックス版『魍魎戦記MADARA』1巻より引用>
ストーリー的にも、主人公の摩陀羅(マダラ)は赤ん坊の時に体の8つのパーツを「魍鬼八大将軍」に奪われて機械の体になったため、各地を冒険して「魍鬼八大将軍」を倒して自分の体を取り戻していくという―――手塚治虫の『どろろ』に、RPG的な「各地に散らばった○○を集める」要素を組み合わせたような話でした(『ドラクエII』の紋章を5つ集めるみたいなカンジ)。
ストーリーの序盤は、如何にもモンスターな風体の「魍鬼八大将軍」を退治していく話なのだけど……中盤からは夏凰翔(カオス)、聖神邪(セイシンジャ)、影王(カゲオウ)といった人間キャラのライバル・仲間が登場し、そうしたキャラ達による群像劇となっていきます。『MADARA』シリーズの人気とは、要はこの辺りのキャラ人気に支えられたものだったのだと思います。
1990年にはコナミからファミコンのRPGが発売(BGMがむっちゃ評価高いのでやったことがない人も名前は知っているかも)、1991年にはOVAが全2巻で発売、1993年にはPC98でアドベンチャーゲームが発売(発売が工画堂スタジオ!)されました。この辺は全部『摩陀羅壱』のストーリーをベースにしていますね。
原作漫画の『魍魎戦記MADARA』は、ファミコン版の発売に合わせて1990年に一応の完結をします。原作の大塚英志さんは「ゲーム雑誌で連載されていたため、ファミコン版の発売に合わせて完結する必要があって、エピソードが大幅カットになってしまった」と後に言っていますが、“完結する必要”って大事なんだなぁと後の『MADARA』シリーズを知っているファンとしては思ってしまいますね。
しかし、このラスト―――最後の最後で大ボスのミロクが別の次元に逃げ出してしまい、主人公のマダラ、ヒロインのキリン、あと何か老人の白沢の3人でそれを追いかける、カオスや聖神邪はそれを遠巻きに見ているしかないという結末なんですね。要は、この次元では決着が付かなかったという決着。ここまでが『摩陀羅壱』です。
そして、同じ1990年にすぐに新章『摩陀羅弐』がスタートします。後の復刊では主人公の名前を取ってタイトルは『BASARA』に変わっているそうな。登場人物が一新されて、耶倭土(ヤワト)という和風の世界が舞台になりました。
『壱』の終わり方から、なるほどマダラやキリンがミロクを追って転生した「新しい次元」での冒険が仕切り直されるのだな―――と思っていました。伐叉羅(バサラ)=マダラ、芙蓉(フヨウ)=キリン、甲賀三郎=ミロクっぽいしと読んでいたら、全然ちがっていました。
物語の終盤にようやく「前世」という概念が登場し、バサラが前作の影王のような存在、今まで登場してきたキャラが「魍鬼八大将軍」の生まれ変わりと―――前作の敵キャラ達の生まれ変わりがメインとなる話だったのだと明らかになります。なので、『弐』にはマダラもカオスも聖神邪も出てこないという。
故に、あんまり人気がないなんて言われていますが、「『壱』ではほぼ出番のなかったヒョウブの生まれ変わり:獅子丸が後半の主人公になる」ところとか私は結構好きでした。ヒロインの芙蓉もかわいいし。
んで、いつ頃から言われたのか分かりませんが、『MADARA』シリーズは108の話で出来ている壮大な話だ―――と言われるようになりました。
その内の8つが「本編」で、『壱』『弐』のように田島昭宇先生が作画する漫画がそれに当たり。残りの100コは小説だったり、他の漫画家による漫画だったりする……という話で、こどもながらに「絶対に完結しねえだろ」と思ったら実際に完結しませんでした。
ただ、今になって思うのは……この108の大風呂敷って、もちろん「108コの話を実際に考えていた」のではなくて、『MADARA』のキャラを使っていろんな漫画家さんに作品を描いて欲しかったのかなと思うんですね。
同人作家による二次創作を集めた『公式海賊本』という、今で言うアンソロジーコミックを3冊発売したり。パロディ作品とも言える『幼稚園戦記まだら』(1994年~)の義見依久先生や、後述する『ギルガメシュ・サーガ』(1995年~)の花津美子先生など、シリーズの後半は田島昭宇先生以外の漫画家さんによる展開が増えていきましたからね。
転生のシステムも、スターシステム的なものなので……目指していたのは、後の『舞-HiME』プロジェクトとかに近かったのかも。
閑話休題。
では、田島昭宇先生による本編はどうなったのかというと……『弐』の完結後、じきに3作目にあたる『魍魎戦記MADARA赤(ラサ)』が1992年から連載開始になります。
非常に難解かつ、『壱』の人気キャラであったマダラもカオスも聖神邪も出てこなかった『弐』の不人気っぷりを反省したのか、3作目は『壱』のその後を描いた正統続編となりました。マダラが別次元に転生していくのを眺めるしかなかったカオスと聖神邪は、「次元を超えられる門」を求めてカオスは西へ、聖神邪は東へと旅立ちます。この『赤』は、そうして東の大陸に旅立った聖神邪の物語です。
『壱』の人気キャラ聖神邪がメインキャラだったこと、マダラに似たこども:ムー(実は霊的にはマダラのイトコにあたる)を助ける話、勧善懲悪の物語―――と非常に分かりやすい話になっていました。「前作の人気キャラが新作の主人公を助ける」構図は『Zガンダム』みたいで熱かったです。
ただ、1992年の秋―――「角川お家騒動」と呼ばれるゴタゴタがあって「マル勝スーパーファミコン」の編集者は大量に退社、設立されたメディアワークスによる「電撃スーパーファミコン」が創刊されて『MADARA赤』の連載も途中から「電撃スーパーファミコン」に移籍されることになります。
“非常に分かりやすい話”とは言え、途中で雑誌が変わるトラブル、また作画の田島昭宇先生の画力が上がりきった一方で「こども向け漫画」から逸脱していく方向になり……1994年に『MADARA赤』が完結したのを最後に、田島昭宇先生による『MADARA』本編は描かれなくなってしまいます(1996年から『多重人格探偵サイコ』の連載が始まったのも大きかった)。
時間軸は前後しますが……
この108つの物語のラストに、このキャラクター達が現代の東京に転生した『転生編』という作品が予定されていて、1990年に最初の2話だけ描かれていました。
『壱』のヒロインであるキリンが転生した伏姫輝燐が、女子高生でありながら前世の記憶を頼りに「マダラの生まれ変わり」を探す物語で―――2話の段階で、聖神邪の生まれ変わりである犬彦綬陀矢、沙門の生まれ変わりである兵頭沙門と出会い、仲間になったところまで描かれていました。
『MADARA』シリーズ、「こんな話を予定していますよ」と断片的なシーンだけ描くことが結構あるんですよね。『死海のギルガメシュ』なんか「最後に聖神邪とカオスが心中する」というラストシーンだけ見せられて、「ラストを先に知らせるの!?」と思ったものです。
ただ、1990年の時点で『転生編』の冒頭を見せたのは、108つある壮大な『MADARA』シリーズのグランドフィナーレとしてとっておきがあるぞと旗印にする必要があったからなのかと思います。ことあるごとに「転生編の続きは描きます」「必ず描きます」とあとがきとかに書かれてましたし。
1993年、漫画ではなく、文化放送のラジオドラマで『転生編』の続きが描かれます。
マダラを探して転校を続けていた伏姫輝燐が、「マダラと影王」を思わせる光河兄弟と出会う―――というストーリーで、前半部分だけが田島昭宇先生ではない漫画家さんによって後に『MADARA影』というタイトルで漫画化されています。「続きを読みたいという声が大きければ後半も漫画化するかも知れない」とあとがきに書かれていましたが、後半は漫画化されませんでした。
1993年にラジオドラマが展開されて、1994年に『MADARA赤』が完結したところで、「次はとうとう『転生編』が描かれるのかな!」と多くのMADARAファンは期待していたと思うのですが……同1994年から「電撃アドベンチャーズ」というTRPGなどを取り上げる雑誌にて、小説『摩陀羅 天使篇』の連載が開始されていました。
これはなんと、未だ本編が描かれていない『転生編』の後日譚で、最後の戦いとなる『転生編』で敗れた伏姫輝燐や犬彦綬陀矢たちが、前世の記憶も力も失って、1999年の東京で大人になっている姿を描く小説です。「ラストシーンを先に描く」どころか、「後日譚を先に描く」という、しかももう「主人公達が負けた」ことが先に明らかになるという!
当時は「なんでこんなことをするんだろう……転生編を楽しみにしてるファン達に対する嫌がらせ?」と思ったのですが、大人になって読み返してみると、この小説「いつまでオマエらマダラマダラ言ってるんだよ。いい加減に卒業しろよ」と言わんばかりの話になっているんですね。
『壱』の頃から転生していったキャラ達は結局マダラに会うことが出来ず、記憶も力も失い、「マダラなんて追いかけてたこともあったなー」とウソの思い出になっていて、それでいて彼らはみんなとてつもなく悲惨な末路を迎えます。
キリンは胎児を引きずり出される形で殺されるし、聖神邪は周りにいた人間が次々と死んで孤独になるし、沙門は狂いに狂って最後は人間じゃなくなるし、カオスも狂った挙句に「私が神だ」と言い始めるし、ロキはキリン殺害犯に仕立てられて最後には死体として海に浮かんでたし、ヒミカは満州国の皇帝みたいな人と結婚させられるし(この中じゃまだマシな方だ)、白沢はついでのように殺されるし、ジャミラはここでも男に見捨てられるし。
恐らく、メインとなって物語を動かしていくのは「『壱』から転生してきたキャラ」ではない人達で、世代交代をして『MADARA』シリーズを終わらせたかったのかなぁと思うんですね。
ただ、その『天使篇』も未完のまま3巻で刊行が止まってしまいました。
3巻の途中から「電撃アドベンチャーズ」の連載ではなく単行本の書き下ろしとなっていて、あとがきで「4巻は全部書き下ろしだよー」と愚痴っていたのだけど、どうやら出版社と意向が合わなくて続きが書かれなかったようです。角川からメディアワークスへと大々的に移籍してきた『MADARA』シリーズだけど、最終的にはメディアワークスと喧嘩別れになる形で完結しなかったとは、皮肉なものだ……
この反省からなのか、大塚英志さんは1999年に『MADARA MILLENNIUM 転生編』という小説を角川文庫から出されます。このあとがきで、「メディアミックスに翻弄されて終わらせられなかったMADARAシリーズ」「10年前(89年?)に終わらせておかなくちゃならなかったものを、1999年に終わらせよう」と書かれています。
舞台は1990年代中盤の日本で、登場人物の名前こそ『転生編』~『天使篇』のキャラと同じですが、設定は大きく変わっていました。「魍鬼八大将軍」の生まれ変わりを殺してチャクラを喰らうカオスと、それを追う犬彦綬陀矢たちの話で――――なんと、これも1巻が出ただけで未完のまま終わります。ここまで来ると様式美かと言いたくなるのですが。
最近まで私は知らなかったのですが、角川書店から徳間書店に出版社を変えて2003年に『僕は天使の羽根を踏まない』というタイトルで、前半は『MADARA MILLENNIUM 転生編』の1巻をそのまま収録、後半は新作という形で完結していたのです。
タイトルが変わっていたどころか、最終的にはタイトルから「MADARA」の文字が外れるだと!?
後半の新作部分は今回初めて読んだのですが、「いつまでオマエらマダラマダラ言ってるんだよ。いい加減に卒業しろよ」という『天使篇』を踏襲していて、夢を終わらせることに終始しているような物語で……特に面白くはないのだけど、これが大塚英志さんなりのケジメなのかなとは思いました。
逆に言うと、『多重人格探偵サイコ』の連載が終わったら描くと言っていた『MADARA転生編』はやっぱり描かないのか……と思っちゃいましたが。
総括をすると、メディアミックスプロジェクトが予想以上のヒットをして、大風呂敷を広げたら、誰も責任を取らなくて、誰も収拾を付けられなくなってしまった―――それが『MADARA』シリーズだったと思うのですが。
実は、田島昭宇先生の作画ではありませんが、花津美子先生作画の『ギルガメッシュ・サーガ』(1995年~1997年、後に『MADARA 青』に改題されるけどそれ以前にも『MADARA 青』という読み切り漫画があったので超ややこしい)は、MADARA完結編と呼ぶのにふさわしい漫画だったんですね。
『MADARA 赤』のラストで門をくぐった後の聖神邪とカオスが再会した後の話で、結局漫画としては最初の1話しか描かれなかった『死海のギルガメッシュ』(小説版があったらしいがAmazonですら売っていない)の前日譚となっています。
「カオスと聖神邪のその後」「マダラの生まれ変わりであるデュー」「体が機械だから転生もせずにずっと生きていたという超絶後付け設定で登場した沙門」「ロキとヒミカの子孫」「レラの娘」「八大将軍」「かわいそうなジャミラ」「ミロク化する○○」と、『壱』『弐』『赤』の人気キャラがいろんな形で登場し、みんなが見たい『MADARA』の新作をちゃんと描いててくれたんですね。
少女漫画のような絵なのでバトルシーンの迫力は劣るかも知れませんが、ロリロリなヒロイン達はみんな可愛いし。私にとっては『MADRA』シリーズの中で一番好きな作品かも。
そして、『天使篇』や『僕は天使の羽根を踏まない』と同様の「いつまでオマエらマダラマダラ言ってるんだよ。いい加減に卒業しろよ」というメッセージを、説教くさくなく、読者に納得いく形のエンターテイメントとして描いてくれていたのです。ぶっちゃけこれが『MADARA』最終章で良かったのに―――と思うのですが。
1990年の時点で、『MADARA』の最終章は田島昭宇先生による現代東京を舞台にした『転生編』と掲げてしまったため、ファンのみんなは『転生編』を読まないと終わった気にならなくなってしまったのかなーと。マジで、畳めない風呂敷は広げるもんじゃないと、他人事じゃないと胃が痛くなる所存でございます。
ちなみに、『MADARA』を描くのをやめた田島昭宇先生と大塚英志先生による『多重人格探偵サイコ』は2016年に完結したそうで、2017年以降『MADARA』シリーズの復刻というか電子書籍化などが進められていたんですね。私が『MADARA』最終章と言ってもイイと思うと言った『ギルガメッシュ・サーガ』も『MADARA 青』というタイトルで2020年秋に電子書籍化されたそうです。
「もう二度と読むことがないだろうから今の内に語っておこう」と今回の記事を書いたけど、ひょっとしてシリーズ再起動して『転生編』か『天使篇』の続きが書かれたりするのだろうか? でも、そうやって「次こそは完結するのでは」と期待して裏切られて、を1990年代からずっと続けていたMADARAファンはもうみんな忘れちゃっているので、再起動されたところで追いかけられないような気もする……それこそ記憶を奪われた『天使篇』の伏姫輝燐や犬彦綬陀矢のように。
| 漫画読み雑記 | 21:00 | comments:25 | trackbacks:0 | TOP↑
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