感想まとめを始める前に、ちょっと紹介したい記事があります。
「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」特集 長井龍雪監督×シリーズ構成・岡田麿里 対談 (1/4) - コミックナタリー 特集・インタビュー これは2期(3クール目)が始まる前に公開されたらしい、監督の長井さんとシリーズ構成の岡田さんのインタビュー記事です。
これは何度も書いていることですが、私はアニメを観る際にスタッフのインタビューやコメンタリーはなるべく読まないように・聴かないようにしています。“答え”を提示されるのがイヤだからです。
例えばこのインタビューでもラストで長井監督が
「(この作品は)テーマ性を深く考えている話ではない」と言っていて、私達が
1クール目からずっと語ってきた「この作品のテーマは……」みたいな話が全部“ただの考えすぎ”だったことが証明されてしまってね……何だったのだという話になっちゃいますからね……
しかし、今回は「どうして『鉄血のオルフェンズ』の終盤はこんな話になったのか」がなかなか納得できなかったので、このインタビューを敢えて読んで、ようやく「スタッフがやりたかったこと」が分かったような気がしました。
<以下、引用>
──「オルフェンズ」は鉄華団たち少年兵の姿を中心に描いていますが、少年兵やテロなどといった現実世界にもある問題を、物語を作るうえではどう意識されているのでしょうか。
長井「企画の段階では、そういった部分も考慮して物語の要素として入れたんですけど、そこに対する答えは決めないで始めたんです。もちろん「よい」「悪い」で言えばよくない問題だっていうのはわかっているんですけど、でも本人たちはそれを悪いことだと思ってないよね、というところがこの物語の出発点で。やってる行為がいいことでも悪いことでも、彼らにとってはそうするしか方法がないので。」
──少年たちは「間違ってる」とか「正しい」とかではないところで動いている。ただ、そんな鉄華団を前にしたメリビットさんが、第24話で「こんなの間違ってる」と顔を覆うシーンは、ハッとさせられましたし、胸が苦しくなりました。
長井「そう感じていただけたならよかったです。俺らもあそこはメリビットさんがいてくれてよかったと思いました。」
岡田「どう考えても鉄華団は間違ってることしかしていない。でもオルガたちは自分を信じているから、シナリオとしては間違ってることを正しいことのように言わせなくちゃいけなくて。だけど彼らの行為を否定してくれる人がいないと、鉄華団側からの視点しか映し出せない……と模索していたんですけど、メリビットさんがいてくれて助かりました。」
──メリビットさんのあの言葉があったおかげで、現実に戻された感覚がありました。オルガたちは幼い命を犠牲にしてでも戦うことしか知らないから、それが正義かのように見えてしまうけど、それが本当に正しいことなのか、と。
岡田「アニメの恐ろしいところは、映っていることだけが正しいかのように、作ってる人たちもそれを信じてるかのように見えてしまうんですよね。セリフだけに注目すると、鉄華団もそこまで聞こえの悪いことを言っていないので。」
長井「とは言えどちらが正解というわけでもないので、そのあたりの話は提示するだけなんですけど。」</ここまで>
※ 改行・強調など、一部引用者が手を加えました 私も感覚がマヒしてしまったのか、鉄華団のやってきたことは「間違っていた」とは思っていなかったんです。CGSの大人達を殺したことも、クランク二尉やカルタを殺したことも、「あの状況ならば仕方がない」と思っていたんです。だから、彼らに罪と罰を背負わせる必要なんてないと思っていました。
しかし、スタッフとしては「彼らにとってはそうするしか方法がなかった」し「それも彼らの生き方」としつつも、
鉄華団のやってきたことを「間違ったこと」として描いていたんですね。だから、メリビットさんが正論を言うし、例えば4クール目でクッキーとクラッカーが「アイツら人を殺したお金で学校に通ってるんだぜ」と後ろ指をさされたワケです。私はあそこでようやく「あ、そうだ。人殺しっていけないことだったっけ」と思いましたもの(笑)。
この作品に対して「1期は面白かったのに、どうして2期はこうなった」とか「典型的な2期やるべきじゃなかった作品」と言っている人もたくさん見かけたのですが……分割4クールというのは恐らく最初から決まっていたのでしょうし、
「2期で贖罪させられることが決まっていたからこその、“間違ったこと”で勝利を得てしまった1期」だったのだと思うのです。2期ありきの1期というかね。
そもそも私、1期のラストも「マクギリスが策謀の末にカルタとアインとガエリオを罠にハメて得たハッピーエンド」だと思うので、あれもあれで後味が悪かったと思いますしね……
なので、恐らく
「三日月もオルガも死ぬ」「マクギリスも死ぬ」「鉄華団は壊滅する」という結末が先に決まっていて、それでも視聴者に希望を見せるストーリーにするためには……という2期だったんじゃないかと思うのです。「死ぬことが贖罪なのか」というのはアレなんですけど、少なくとも彼らにハッピーエンドは許されなかったのだろうと。
では、「どうせ死ぬ」ことが決まっている物語で何を描くのか―――
【第39話 助言】 アトラが子作りと言い出した時から、「最後は三日月が死んで、その子どもをアトラとクーデリアで育てるのかな」という最終回は予想していました。具体的な作品名はネタバレになるので言いませんが、主人公は死ぬけどその想いは嫁さんと子どもに引き継がれていく―――って作品は、少年漫画とかにでもありますからね。
ただまぁ、私はずっと「三日月は死ぬけどオルガは生き残る」「三日月を失ったオルガがそれでも前に進もうとする」みたいな前向きな着地点を想像していました。現実はそんな甘っちょろくなかったですね。
【第40話 燃ゆる太陽に照らされて】 これも上述のインタビュー記事で語られてハッとしたことなんですけど、
「長井監督ってキャラクターを成長させるのがあんまり好きじゃないんです。」という岡田さんの評は私がこの作品(と今までの長井監督のオリジナル作品全部)に抱いていた違和感の理由を説明してくれるなと思いました。
クーデリアとか、タカキとか、流石に成長したキャラが誰もいなかったとは言いませんけど、
『鉄血のオルフェンズ』って基本的にキャラクターが成長しない話だったなーと思うんですね。その代表がイオク様とジュリエッタちゃんです。
イオク様は最初から最後まで余計なことばかりしていて、何度も反省を促されているのに成長せず、最終的に「相変わらず」なことをしたせいで昭弘に殺されます。
ジュリエッタちゃんもガエリオへの態度とか鉄華団への理解みたいなのは多少は変わったのかも知れませんが、徹頭徹尾「ラスタル様が言うことは正しい」から先を考えることなく、強くなることもなく、ダインスレイブによってボロボロになったバルバトスを討ち取って棚ぼた的に英雄になってしまいました。
そこに私は消化不良感を覚えていたのですが、
「人はそんな急激には変わらない」という監督の哲学のようなものがあるならば仕方ないし、そういうものなのかなと思います。言っちゃえば、三日月もオルガもマクギリスも最初から最後まで大して成長しなかったと言えますしね。
しかし、そんなこの作品の中で明確に「成長・変化」が描かれたキャラがいて―――実は『鉄血のオルフェンズ』という作品は、彼らを主人公にした「成長・変化」の物語だったのかもと、最後まで観て思いました。
それは、「タカキ」と「ライド」です。 『鉄血のオルフェンズ』という作品の真の主人公は、この二人だったのかなぁと。
【第41話 人として当たり前の】 ある意味で当たっていました(笑)>クーデリアがウルトラC
“この作品は「選択すること」が重要だったはず”と書いたんですけど、これはちょっと不適格で……
元々この作品は「選択肢を与えられなかった子ども達」の話なんですよね。人を殺すことでしか生きられなかった三日月や、子どもの頃から「力」を切望するしかなかったマクギリスや、ラスタル様の言うことは全部正しいと思うしかなかったジュリエッタもそうですし。
鉄華団の物語もそうですし、ラフタの物語もそうです。
最初から彼らに「選択肢」など与えられてなくて、ただただ破滅するしかなかった……
最終話がああいう形で終わった今振り返っても、「オルガがあの時こうしておけば鉄華団はこんなことにならなかったのに」という分岐点が見当たらないんですね。「火星の王になる」というマクギリスの誘いを断ったとしても、ジャスレイから目を付けられていて、ラスタル陣営とは既に衝突していたワケですしね。
タカキが抜けたタイミングというのは、もうあの瞬間しかなくて。色んなものが重なって、タカキにだけは「鉄華団を抜ける」という選択肢が与えられただけだったのですが……
彼があそこで鉄華団を抜けられたのは、間違いなくオルガやクーデリアのおかげだったので。その彼が最終話で「このまま議員に」という話が出てきたように、
鉄華団が遺した希望の一つだったのだと思います。
【第42話 落とし前】 ここの時点でテイワズとラスタルが手打ちにしているのは、最終話でクーデリアがラスタルと手を取ったように、「アイツ気に食わねえけどそれでも上手いこと折り合い付けて共存していかなきゃな」と清濁を併せ呑める大人が世界を変えられると見せられているみたいですね……
初期のCGSの大人達以降、ずっと敵対する者に「落とし前」を付けてきた鉄華団や。
自分を保つためにガエリオやカルタを否定するしかなかったマクギリスは、そういう意味では子どもでしかなくて。
最終話で「ラスタルによって築かれた平和」の中で生きている元・鉄華団はみんなそういう意味では大人になったのだけど、
唯一「鉄華団の子どもの部分」を受け継いでしまったのがライドだったのだろうと。
【第43話 たどりついた真意】 「マクギリスとガエリオ」と「三日月とオルガ」の対比は、分かりやすく描かれたワケではありませんが、49話の「ようやくマクギリスという男を理解したガエリオ」と「オルガがいなくてもオルガの言いたかったことを代わりに言った三日月」で描かれたと思います。
ジュリエッタちゃんはどうでしょうね……
先ほど「全く成長しないまま終わった」と書いたように、私には答えにもたどり着かなかったし、強くもならずに終わったように思えました。
彼女のポジションとしては「人が人のままで悪魔を討ち取る」という阿頼耶識への否定を成し遂げる役だったと思うのですが、三日月を倒したのは彼女というよりかはダインスレイブが倒したようなものでしたし。
正直なところ、ジュリエッタちゃんがもっと主人公らしくラスボス三日月を倒す物語にしておけば、ラストの印象も変わったんじゃないかと思うんですけどね。最終話までの50話を観た感想が「ダインスレイブ強かったなー」ですからね……(笑)
【第44話 魂を手にした男】 元々『ガンダム』というシリーズは「勧善懲悪ではない」シリーズではありますが、ギレンとかジャミトフとか「分かりやすい敵」がいて、それに立ち向かう主人公達という「分かりやすい構図」にはなっていたと思います。
そもそもこの『鉄血のオルフェンズ』という作品も1クール目の頃は本当に分かりやすい話でしたからね。「ギャラルホルン=敵、悪いやつ!クーデリアをソイツらから守って地球まで届ける、俺達英雄!」みたいな。2クール目からはどうやらそうでもないっぽいぞとなっていくのですが。
ということで、『鉄血のオルフェンズ』は「分かりやすい敵」も「分かりやすい正義」もなくて、何を信じればイイのか分からない権力闘争に巻き込まれてそこに苦悩していく話でした。だから、マクギリスの言い分もラスタルやガエリオの言い分も、どっちも納得がいかなくて当然なんですよね。
明確に正しい方があったら、「そっちに付いていけばイイんじゃ……」となってしまいますから。 ただ、鉄華団は既にこれ以前からラスタル側と何度も衝突していますから、「マクギリスを選んだ」というよりかは「マクギリスしか選択肢が残っていなかった」んですよね。「あの時ちがう方を選んでいたら……」とすら言えないのが、この作品のやるせないところなのですが。
【第45話 これが最後なら】 シノの特攻の回。
シノについてあまり言及していないのは、シノは死体を回収されなかったので「ひょっとしてガエリオみたいに死んでいないのでは?」と思っていたからなんですが、そんなこともなかった。
私は「○○が死んだと思ってました?思ってました?実は、ぱんぱかぱ~ん!生きていたんですよー!良かったですねー」という展開が大嫌いなんですけど、それを1回やってしまうとこういう
本当に死んだキャラですら「ハイハイ、そうは言っても本当は生きてるんでしょ?」と疑心暗鬼になってしまってストーリーに乗れなくなってしまうからなんです。
ということで……私がこの作品にノれなくなった最初の原因は「実は生きてたガエリオ」だったのかなぁと思います。
実際、マクギリスの計画が頓挫したのも「実は生きてたガエリオ」のせいだと言えるのに、なんで生きていたのか(マクギリスがトドメを刺してなかったのか)がよく分からず、ストーリーがハッピーエンドに行くかバッドエンドに行くかの分岐点が「よく分からないけど実は生きていたから」で説明されちゃうのも納得感を削いでいたなぁと。
【第46話 誰が為】 「大切な人が死んだ後どう生きるのか」という視点で考えると、シノにはヤマギが、三日月にはアトラとクーデリアが、昭弘にはデルマが、ハッシュには恐らくデインとザックが、そしてオルガにはライドが―――と、
死んだキャラに対応する「生き残ったキャラ」がその後どう生きたかの姿が最終話で描かれているんですね。
そう考えると、マクギリスが死んだ後のアルミリアも描いて欲しかったのと。
ハッシュの描き方はやっぱり中途半端だったんじゃないかと思っちゃいます……ハッシュは「タカキ」「ライド」に次ぐ、三番目の「鉄華団がなくなった後のキャラ」として重要なポジションに使えたと思うんですけどね。仮に障害を持ったとしても色んな可能性があるんだと描けるキャラだったのに、まさかデルマにその役が奪われるとは。
【第47話 生け贄】 この期に及んでまだ「マクギリスに何か切り札があるはず」と期待している当時の自分が笑えますね。笑えません!
「モビルアーマーは何だったのか」「あの辺ばっさりカットしても良かったんじゃ」という意見もよく見かけたのですが、最強のモビルアーマーを三日月が倒すことで
“三日月とバルバトスがラスボス化する”→ それを最後ジュリエッタちゃんが倒して、「人が悪魔(阿頼耶識)に勝つ」というストーリーだったため絶対必要なイベントだったと私は思います。
ただ、あんまりその対比が上手くいっていなかったようにも思えて……
三日月とジュリエッタちゃんは「元々は孤児」「オルガorラスタルに拾われた」「何考えてるんだか分からない天才肌」と境遇がほとんど一緒なんですね。ちがうのは、三日月は阿頼耶識によってガンダム(悪魔)と契約して人間の機能を失っていったのと、ジュリエッタちゃんはあくまで人間として戦っていたところなんですが。
実際の三日月はモビルアーマー戦後も人間らしく生きていましたし。
ジュリエッタちゃんの方がむしろ「ラスタルの駒」としてしか生きられなかったし、その後もラスタルの下で生きているのを見ると……
どっちが人間らしかったんだろうとは思うんですね。三日月と何度も戦ったことで、ラスタルの駒だったジュリエッタちゃんも人間らしく自分で考えるようになって戦後ラスタルの下から去っていった―――みたいなラストだったら分かりやすくなったと思うんですが。上述したように「長井監督はキャラクターを成長させたがらない」のが全てだったなーと
【第48話 約束】 来ました、オルガが死ぬ回です。
メインキャラがモビルスーツ戦ではなく銃弾で死ぬのはどうなんだろうとタイムラインが騒然とした回ですけど、私は
この『鉄血のオルフェンズ』という作品は最初から最後まで「銃弾の重み」を描いていた作品だったと思います。オルガと三日月の始まりからして「誰かを銃で撃ち殺した」ところから始まっていますし、CGSの大人達も、クランク二射も、ラディーチェさんも、アリウム・ギョウジャンも銃で殺していますし、マクギリスもトドメは銃でしたし、最終話のノブリスも言うまでもなく銃で殺されていました。
言ってしまえば、
ここでオルガが撃たれて死ぬのは、それまで三日月に撃たせていた分が自分に返ってきたシーンと言えるので、私はこのシーンは別にイイと思います。撃ったヤツが名前もないチンピラという非情さも、この作品らしいと思います。
ただ、
死に方がラフタと被っているよねぇ……というのは思いました。そのせいで、驚きよりも「あー、やっぱり」が先に来てしまったし、ちょっとは警戒しろよと思っちゃいますよね。
【第49話 マクギリス・ファリド】 今回この記事を書く前に、自分の書いた1クール目からの感想まとめの記事を読み返していたんですが……初期に繰り返し書かれていたのが、「マクギリスを安易な悪者化&小者化させないで欲しい」というものでした。
こういう「主人公達に協力してくれる有能ポジション」のキャラが実は真の黒幕で、それが発覚した途端にすっげ分かりやすい悪者になるというパターンは何度も何度も何度も見てきたので、そういうラストだったらイヤだなーと思っていたんですね。実際マクギリスは最後まで悪者ではなく描かれたので、その点においては満足だったのですが、代わりに「すげえ無能」「大人になっても子どもの頃の夢を追っているガキ」「バエルwwwwゲラゲラwwww」とボロクソにバカにされる小者になっちゃったんですけど(笑)。
ただ……私としては
マクギリスの1期・2期の立ち回りって、シャアの『ガンダム』『Zガンダム』のまんまだったと思うんですね。 『ガンダム』および『Zガンダム』のネタバレになりますが……
<マクギリスが1期でやったこと>
・親友と幼馴染を謀殺
・自分を拾ってくれた父親(仮)を失脚させる
・鉄華団やクーデリアが未来を作ると見込んで協力する
<シャアが『ガンダム』でやったこと>
・親友を謀殺
・自分を拾ってくれた上司を最後の最後で「やっぱ許せねえ」と暗殺
・ニュータイプが未来を作ると信じて、アムロに「同志になれ」とか言い出す
<マクギリスが2期でやったこと>
・ギャラルホルンの変革を狙ってクーデターを画策
・バエルを復活させて演説
・鉄華団と協力体制を築くが、そのせいで鉄華団は壊滅してしまう
・最後は実は生きていた親友に討ち取られ、ラスタルの実質的な勝利で終わる
<シャアが『Zガンダム』でやったこと>
・地球連邦の変革を望んでエゥーゴ(反地球連邦組織)に参加
・なんだかんだあって、エゥーゴのリーダー的なポジションになってしまって演説
・『ガンダム』では敵として戦ったブライトやアムロ、ハヤトなどと協力体制を築く
・しかし、最後は元カノに討ち取られる(が、実は生きたまま数年隠れてる)
・そのせいでエゥーゴは壊滅状態になり、ハマーンの実質的な勝利で終わる
『ガンダム』の頃には「何このシャアって敵、カッコイイじゃん!コイツが味方になってくれれば最強なのに!」と思っていたのに、『Zガンダム』で実際に味方になると「あれ?思ったより強くないし、情けないし、割とロクデナシじゃね?」と幻滅していったのを、マクギリスの1期・2期で再現していたように思えました。
それを「人間らしい」と思えるか、「情けない」と思ってしまうかでガンダムシリーズの評価は変わると思いますし、自分は前者の人間なんでマクギリスのこの顛末は嫌いではありませんでした。どうしてもネタ的にイジりたくなってしまうのと、アルミリアのその後が描かれなかったのはどうかと思うのですけど。
「味方ほぼ全滅」「敵さん大勝利」というエンディングも、『Zガンダム』を肯定できるようになった自分にとってはそれ自体は別にイイと思うんですけどね……何がイマイチだったかは最終話の項で書きます。
【最終話 彼等の居場所】 私は、この『鉄血のオルフェンズ』という物語は「三日月やオルガの世代から、タカキやライドの世代に引き継がれるもの」を描いた物語だったんだなと思うのです。だから、「タカキ」と「ライド」が真の主人公だったろうと書いたのですが……
この二人って、“主人公補正”と言わざるを得ない生き残り方をしているんですよ。 タカキは1クール目で死にかけて、3クール目でも死にかけたところをアストンに助けられているし。ライドもモビルアーマー戦で死にかけて、アリアンロッド戦でも死にかけたところをシノに助けてもらっていたし、最後ノブリスの部下に撃たれた時もオルガに庇ってもらっていました。
ストーリーとして彼らには生き残って「鉄華団のない未来」を生きてもらわなければならないと決められていたかのように、この二人はすんでのところで生き残っていったのです。
んで、そうまでして生き残った彼らが「鉄華団のない未来」をどう生きたのかというと……
タカキは地球で議員秘書から議員になるかと言われていて、
ライドは三日月からオルガに引き継がれた銃を握って、ノブリスの暗殺ですよ。
同じように鉄華団に入って、同じようなポジションで、同じようにクーデリアに文字を習っていた二人なのに、「鉄華団のない未来」では正反対な人生を歩んでいるんです。 でも、私はこの「ライドのような選択肢を選んだキャラがいる」というのも大事だと思っていて。
三日月やオルガが「間違ったことをしてきた」報いを受けるしかなかったとか、1期のラストが「マクギリスが策謀の末にカルタとアインとガエリオを罠にハメて得たハッピーエンド」だった報いを2期のマクギリスが受けるしかなかったことを考えると……間違ったことをしたノブリスだったりラスタルだったりも報いを受けなければ納得がいかないし、
世界が平和になりましたメデタシメデタシでは済ませなかったのは好感が持てます。
ただ、これはもう個人的な好みの話で申し訳ないんですけど……
その「ライドのシーン」が、当時の感想に書いたように「事前にクーデリア達が話してしまっている」ために威力半減していますし、最後はクーデリアとアトラと暁のシーンで締めくくられたからなんとなく「世界が平和になりましたメデタシメデタシ」という印象になっていると思うんです。
実際それで「最後はキレイにまとまった」と言っている人も見かけたし、「メデタシメデタシ」で満足している人もいるのならそれはそれでイイことだと思うんですが……
私はこの作品を「メデタシメデタシ」で締めくくられたのはすっごい不満ですし、「ライドのシーン」を最後に持ってきて「この世界はちっとも平和になんかなっていない」と思わせて終わって欲しかったです。 マクギリスの目指した「彼の理想とする未来」が、彼が踏みにじったガエリオによって滅ぼされたように。ラスタルの目指した「彼の理想とする未来」は、彼が踏みにじった鉄華団の遺志を継ぐライド達によって滅ぼされるのかもしれないと思わせて欲しかったです。それもまた、
鉄華団が遺した希望の一つでしょうl。
だから私、
『鉄血のオルフェンズ』は1期も2期も「最終話がムリヤリなハッピーエンドってカンジがして好きくない」というのが総括です。これはどうも長井監督のオリジナル作品全般に言えることなので、監督の目指しているものと私の求めているものは合わないんだろうなーと思いました。
ほら、もう……書けば書くほど地獄でしょ、この記事(笑)。
この作品を好きだった人も嫌いだった人も敵に回すような記事になってしまうのです。もう、感想まとめを書くのはやめにしようかな……
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