えっと……「ネタバレ」に関してはもうイイですよね?
というか、こういう記事の書き方が二度目なこともあって、第1話の時の記事を読んでくれた人にとっては
「こういう記事の書き方」自体がネタバレという気もするんですよね。完璧にネタバレを防ぐのは本当に難しい……
とりあえず今回も、この記事を読んだ後に「『がっこうぐらし!』のアニメ第6話を観たけど、面白くなかったなー」なんて言われても知りませんからね。私は
「第6話を観てからこの記事を読むことをオススメします。」と書きましたよ!
ネタバレを読んでから観て面白くなかったなんて言われても、それは作品のせいじゃなくアナタのせいですからね! さて、じゃあ本題に入りましょうか。
今日の記事タイトルは嘘っぱちです。「ネタバレしないようなギリギリの記事タイトル」を考えてつけただけの仮タイトルです。冒頭に書いた“折り返し地点まで来たところの私の感想を書いておこうと思います”なんてのも嘘です。そんな使命感で記事を書いたことなんて一度もありません。
私が今日の記事で書きたい話題は、コレです。
みんな、「“めぐねえ”が人間じゃない」っていつから気付いてた? 第1話に続く、「叙述トリック」第2弾です。
第1話は「実は視聴者が見てきた世界は“ゆきが見ている世界”でしかなくて、本当の世界は既に崩壊している」という叙述トリックでした。ゆきという主人公は、本人は自覚していないけど「信頼できない語り手」だったのです。
んで、今回はそんな種明かしをした上で、
「このキャラは生きているキャラだよ」と見せていた“めぐねえ”も既に死んでいて、実はゆき以外の3人にはずっと見えていなかった―――という叙述トリックだったのです。どうやってそう誤解させていたかは後で説明します。
恐らく視聴者の中には「最初から気付いていた」という人もいたことでしょう。
叙述トリックというのは「奇襲」ですからね。 1発目は意表を突いて成功しても、2発目は警戒されていてバレバレだということもよくあることです。
叙述トリックが得意なとある小説家さんのファンは、毎回叙述トリックであることを疑って読んでいるので最初から気付いちゃって楽しめないし、叙述トリックに気付かずに読んでいた人を「そんなことにも気付かなかったの~」なんて馬鹿にしているのを見て、なんだかなーと思ったことがあります。叙述トリックは上手く騙された方が読者にとっては幸せなんですけどね。
一方、「2話~6話の間の、途中で気付いた」という人もいたと思います。
私はそうでした。 詳しくは後述しますが、「このキャラは生きているキャラだよ」という騙し方の上手さに自分はすっかり引っかかってしまい、しかしところどころの“違和感”がヒントになって「いやいやいや!流石におかしいだろ!」→「ということは……」と途中で気付きました。
もちろん、第6話のAパートラストの「みーくんのセリフで初めて気付いた」という人もいたでしょう。
作り手としてはここで気付いてもらえればベストだという作り方をしていて、
「めぐねえはもういないんだ……」という喪失感の中でEDの絵に繋げたかったのだと思います。『がっこうぐらし!』の第6話を最も楽しめた人はこういう人だったのでしょう。叙述トリックは、ひっくり返せるオセロの数が多ければ多いほどカタルシスも大きくなりますからね。
「最初から気付いてた人」「途中で気付いた人」「最後まで気付かなかった人」と様々な人がいたと思いますが、それは人それぞれ違って当然だと思いますし、どの人も「『がっこうぐらし!』のアニメ第6話を楽しめた人」だったと言えます。
この三種類の人は、いずれの人も「あぁ!そういうことか!」という瞬間を味わえているワケですからね。第1話の時の記事に書いた通り、叙述トリックはこの瞬間の気持ちよさこそが肝なのです。
しかし、そうでもない人もいますよね。
『がっこうぐらし!』は原作漫画がありますし、先ほど書いたように気付くタイミングは人それぞれ違っていたことでしょう。つまり、
自分で気付くorみーくんのセリフで気付く前に、誰かから「“めぐねえ”は既に死んでいる」と教えてもらっちゃった人が結構な数いたんじゃないかと思います。そういう人は叙述トリックが解ける瞬間の気持ちよさを味わえませんでしたし、「『がっこうぐらし!』アニメ第6話を楽しめなかった人」になってしまったんじゃないかと思うのです。
なので、私は「“めぐねえ”は既に死んでいる」と気付いてからも、それをTwitterやブログには書かないようにしました。
これは自力で気付かなければ面白くないものだから、まだ気付いていない人に私が教えてしまってはいけないんだ――――と、頑なに書かないように我慢しました。
そしたらみんな、何の配慮もせずにTwitterとかに書いてるのね! 「自分は気付いているぜ!」とアピールしたいのか。
「自分が気付いているということはみんなも気付いているはずだ」と、まだ気付いていない人のことを考慮できないのか。
「まだ気付いていない人には私が教えてあげなければ!」と親切心でネタバレしまくる人なのか。
いずれにせよ……私は既に気付いているタイミングだったから被害はありませんでしたけど、これを「まだ気付いていない人」が読んじゃったら台無しだよなあというツイートをたくさん見かけました。これだと「『がっこうぐらし!』アニメ第6話を楽しめなかった人」がどんどん増えていくなぁ……と、感染するゾンビが増えていくのを眺めるように見ていました。
というか、その頃は気づきませんでしたけど、
アニメ第1話が放送された時点で言っていた原作既読者もいました。 原作の大ファンで、アニメが始まる前から「『がっこうぐらし!』のアニメ楽しみ!みんなも観よう!」と言っていたそこそこ有名なライターさんが、第1話を実況しながらガッツリ「“めぐねえ”は既に死んでいる」ことをネタバレしていました。
私は「やばい!」と思って即行でフォロー外したし、その時点では何を言っているのかがよく分からなかったのだけど……
本人は応援しているつもりで「それ知っちゃったら台無しだよ!」というネタバレをするんだなぁと正直思いました。
(関連記事:
ネタバレは哀しいかな「善意」で行われる)
(関連記事:
世の中には、「ネタバレをして欲しい人」がいるという大切な事実)
あまり言い過ぎると「良かれと思ってネタバレしていた人達」から「俺のことを加害者呼ばわりするのか!」と怒られそうなので、フォローするワケではないのですが……
『がっこうぐらし!』みたいな「謎が解ける瞬間の気持ちよさ」がキーになる作品は、今の時代に向いていないのかもなぁってちょっと思ってしまいました。
今は「情報の共有」が恐ろしいスピードで広がるので、「自分が知っていることを知らない人もいる」なんて意識を持つことが難しいですし。他の人が平然とネタバレを書いているのを見れば「あ、これはみんなが知っていることなんだ」と思っちゃっても仕方がないと思うんです。
私は絶対にネタバレ喰らうだろうから観ていませんけど、ニコニコ動画とかでコメントをみんなで共有しながら観ていたら「自力で気付く」どころの話じゃないし、「みんな知っているでしょ?」という感覚になっちゃうことでしょう。
「ネットでの共有」と「謎解き」って相性が良いのだと昔は思っていました。
以前
『TRINE2』というゲームをオンライン協力プレイで遊んでいた時にも同じようなことを思ったんですね。このゲームは横スクロールアクションでありながら『ゼルダの伝説』のような謎解きパズルの要素もあって、ボイスチャットで見知らぬ人とオンライン協力しながらプレイ出来るので、謎の解き方を相談しながら遊ぶのは非常に面白そうだと思ったのです。しかし、実際にプレイしてみると、
「解き方」を知っている人が一人いて、その人が無言でサクサク解いていっちゃって、その人が開けた道をただ進むだけでちっとも悩まずにあっさり全クリアしてしまったのです。
「謎が解ける瞬間の気持ちよさ」みたいなものはちっとも味わえず、「謎解き」作品って実は「ネットでの共有」との相性がムチャクチャ悪いんだなと私はそこで知りました。
(関連記事:
「ゲームを進められない時間」が「俺って天才!」感を生む)
例えば、同じように「原作未読」組で、同じように「アニメは3話まで観た」という人であっても、「めぐねえが既に死んでいること」に気付いている人も気付いていない人もいて――――それを教えてあげちゃったら面白さが台無しになってしまうというのなら、
ネタバレ問題は「進行状況」を等しくするだけでは防げないんだと今回のことで思い知りました。
謎解き要素のある作品はどれもその危険があるのかも知れませんが、推理モノのアニメなんて特に大変ですよね。頭のいい人が早い段階で「犯人はコイツだ!トリックはこうでこうでこうだからだ!」なんて当てちゃったら、それが一気に拡散されて共有されてみんなが知ることになって、残り話数は消化試合ですよ。
『氷菓』の頃はどうだったっけ。P.A.の『ハルチカ』はどうなるでしょうね。
このままネタバレがどうのという話で終わると、『がっこうぐらし』の話が読みたくて読みに来てくださった人がただただ眉をひそめて終わりかねないので(笑)。
“めぐねえ”関連の叙述トリックが如何に上手かったのかも語っておこうかなと思います。
私自身は第1話を観た時は、「ということは……この先生もゆきの妄想なのかな?」と思っていました。クラスメイト達と違って学園生活部の部室に来てはいましたが、くるみ・りーさん・みーくんの3人とは喋っていなかったので、その時点では「生きていない」可能性もあるぞと疑っていました。
しかし、第2話を観たら、めぐねえはくるみ・りーさん・みーくんとも喋っていたし、「ゆきの妄想」では説明がつかない行動もしていたので……「なーんだ、先生はちゃんと生きているんだ」と安心したのでした。
しかししかし、第3話のラストシーンがものすごく不穏でおかしいなと思い。
第4話の車のシーンで「いやいやいやいやいや!流石にムリがあるだろ!」と気付きました。
んで、第1話から観返してみたら、「“めぐねえ”は既に死んでいる」ことが分かった上で観ても全く矛盾していなかったし、ところどころにあった違和感もそれで全て説明が付いたし、それでいて「“めぐねえ”は既に死んでいる」とは思わせないブラフが巧みに仕掛けられていて自分が引っかかった理由もよく分かりました。
何故私がこんなにも「叙述トリック」にこだわるのかというと、自分も「叙述トリック」の漫画を描いたことがあるんですよ。そういう目から見ても
「如何に誤解させるのか」「どこにヒントを散りばめているのか」「何故こんなことが起こっているかの理屈をどうするのか」がよく出来ていたと感心するのです。
なので、久しぶりにやります!
物量作戦です! 『がっこうぐらし!』第6話までの「めぐねえ関連の全シーン」を振り返って、それぞれのシーンが如何に機能していたのかを語ろうと思います!
【第1話 はじまり】 いきなり「めぐねえと関係ない話」で申し訳ないですけど、この第1話のサブタイトルからして叙述トリックですよねー。「はじまり」というタイトルだからどこかで始まるのだろうと身構えていたら、実は「既に始まっていた」という。
◆ 部活を忘れて帰ろうとしたゆきを、めぐねえが止めてくれたというセリフ オープニングの映像を除けば、めぐねえの存在を視聴者が初めて知るシーンはここです。本人は登場していないけど、ゆきとくるみの会話から
「めぐねえはしっかりしている」「くるみもめぐねえを信用している」ことが分かるシーンです。第1話ラストを観た後だとなおさら「めぐねえは、ゆきサイドよりもくるみサイドの人間だ」と視聴者が思い込めるようになっているのです。
実際にはくるみはゆきに話を合わせているだけなんですけど、このシーンに代表されるように「ゆきにしか見えないめぐねえ」は
「ゆき以上にしっかりしている」し「ゆきには分からないことが分かっている」んですよね。「ゆきの脳内が作り上げた妄想の人物」とは思えません―――第1話のラストを見て「ゆきが妄想のクラスメイトと喋っている」と思った人は、なので「めぐねえはクラスメイト達とは別だ」と誤認させられるという。
◆ 廊下を走っているゆきを、めぐねえが呼び止めるシーン 叙述トリックというのは、「どうやって読者・視聴者に間違った認識を植えつけるか」がポイントになります。『がっこうぐらし!』のめぐねえも、初めて姿を見せるこのシーンで「間違った認識を植えつけている」んですね。
それは、
ゆきの「(めぐねえは)影薄いから気付かなかったよー」というセリフ。 これ以降、りーさんやくるみがめぐねえの話を遮って喋るシーンがありますし、テントのシーンなどめぐねえがハブられてしまうシーンがあります。これらのシーンは普通だったら「みんな、めぐねえに対して態度が酷くない?」と思ってしまうシーンなのですが……
それらを全部、この最初の「めぐねえは影が薄いからしょうがない」で誤魔化しちゃっているのです。漫画・アニメでは珍しくない「強引なキャラ付け」を上手く利用しているんですね。
でも、第3話のめぐねえを見る限り、めぐねえって別に影薄い先生ってワケでもなかったっぽいんですよ。彼女は「生徒と親しくしすぎて友達感覚になってしまっている」ことを悩んでいましたし、むしろ生徒からは人気の先生だったみたいなんですよね。
この「影が薄い」というキャラは、恐らく「ゆき以外には無視されるようになった(と、ゆきが認識している)」以後に出来たキャラじゃないかと思われます。
○ 太郎丸を捕獲後、部室で乾パンを食べているシーン このシーン……ゆきはめぐねえのことを目で追っているし、めぐねえのセリフに応答しているし、そのことに関して他の3人も何も言っていないんですが。
他の3人はめぐねえと会話していないんですね。目でも追っていないし、ゆきが出て行った後の部室ではめぐねえの姿は見えていません。
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第1話より引用>めぐねえ「授業時間に追いかけっこって……職員会議ものだわ。また反省文書かないと……」
くるみ「ま、大した被害はなかったんだし、良かったよ」
めぐねえ「ありました!」
ゆき「ごめんなさい……」 くるみのセリフはめぐねえのセリフを受けているようで受けていないんです。これは「実はAというキャラはBというキャラには見えていない」タイプの叙述トリックではよく使われる手です。
会話になっているようで、実は会話じゃなくても成立している“独り言もしくは他のキャラへのセリフ”だという手法。 しかし、めぐねえ側はくるみのセリフに反応しているし、ゆきはめぐねえと会話しているので、初見だとここで疑いようもないのです。が、第1話のラストを観た後ならば「ひょっとしてめぐねえもゆきにしか見えていないんじゃ」と疑えるシーンだったと思います。私も第1話の時点ではそう思っていました。
○ エンディングにはめぐねえの姿がない この手の部活モノのエンディングでは、顧問の先生の姿がないのは珍しくもなんともないので……ヒントというほどではないんですけど。
しかし、学園生活部の4人以外のキャラが後ろからやってきて、ゆきが振り向く→花びらが飛んできて4人がそれを見る→4人が歩き出す(後ろからきたキャラの姿はない)というカットが繋がるので……
「後ろから歩いてきたヤツは誰だよ!」という謎はあったんですよね。あれがめぐねえなのかどうかはまだよく分かりませんが、ゆきだけが認識しているというのはポイントなのかなと。
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第1話より引用> シルエットはそれっぽいけどなぁ……
【第2話 おもいで】◆ 朝からカレーを食べるシーン→ ゆきが補習に行くシーン めぐねえが「朝からカレーなんて太りそう」といったことを言い、それを聞いたゆきが「大丈夫かなぁ」と心配して、みーくんやくるみが「私達は育ち盛りだから大丈夫」と言ってめぐねえが傷つくシーンがあります。第1話のゆきの「めぐねえは影薄いから」発言のおかげで誤魔化せていますが、よくよく考えると割と酷いシーンですよね(笑)。
でも、こういう「先生の前で年齢の話をして先生が傷つく」みたいなシーンって、学園モノだと鉄板ネタなんですよね。『けいおん!』にもありました。
「他のアニメの鉄板ネタ」を上手くブラフに使って視聴者の目を欺いているシーンなのです。
また、この後ゆきとめぐねえが補習に出かけた後、ゆきを心配するみーくんにりーさんが「今ゆきちゃんの傍にはめぐねえも一緒にいてくれてるし」と言っています。視聴者的には、第1話のくるみのセリフと同様に「りーさんはめぐねえを信用している」と誤認させられてしまうセリフなんですね。
また、「めぐねえは既に死んでいる」ことが分かった上で観ると、りーさんの中でめぐねえは単なる「ゆきの妄想」ではないと考えているということで、これが第6話ラストのみーくんの「今は二人がいて良かった気がする……」に繋がるのかなと思います。
「存在しない」、少なくとも3人にとっては「姿が見えない」めぐねえが、りーさんやみーくんには「いてくれて良かった」と思えるものなんだと。
◆ ゆきの補習のシーン 自信満々に間違えているゆきに、ちゃんとツッコミを入れているめぐねえ。
また、無邪気に「夏休みになったらやりたいこと」を語るゆきに、めぐねえが視線を逸らすシーンもあります(実は第1話にもそれに似たカットがあります)。
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第2話より引用> これは「ゆきが見ているのは何だ?」という恐らくこの作品にとって重要なポイントにも関わってくるのだと思いますが、
めぐねえは「ゆきの知らないこと」を知っているんですよね。「ゆきの妄想」では決して説明がつかない存在なんです。
○ 肝試しの際、バリケードの向こう側に普通にいるめぐねえ ゆき達4人はバリケードの向こう側に行くのに非常に警戒していたのに、ただ一人でバリケードの向こう側にいためぐねえに「え?」と最初は驚きました。
そもそもどうして4人で行動しているのか、この状況だったらめぐねえと一緒に5人で行動するのが普通でしょと。
しかし、その後のくるみの
「なんだ、めぐねえも来てたんだ」の一言でしれっと流されてしまって、疑問を引きずる余裕が私にはありませんでした。くるみがめぐねえに話しかけたことで、くるみ・りーさん・みーくんも、めぐねえを認識しているのだと勘違いさせられてしまったのです。今にして思うと、この時の3人には「めぐねえは見えていないけどゆきに合わせて挨拶している」だけなので、みーくんの挨拶はぎこちないんですよね。
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第2話より引用> 華麗にめぐねえのことをスルーするりーさん。
これも「めぐねえは影が薄いから」というキャラ付けでムリヤリ納得させられましたが、タネ明かしされれば何てことはない、りーさんにはめぐねえが見えていないから無視みたいな形になってしまっただけでした。
◆ 図書室でゆきとりーさんがはぐれるシーン このシーン、めぐねえは慌ててゆきを追いかけるんだけど……
りーさんはゆきに「一人で先に行っちゃ……!」と言っているんですね。りーさんにめぐねえは見えていないので、咄嗟にそう言ってしまっているんです。ここは思いっきり「りーさんにめぐねえは見えていない」というヒントなのだけど、私は気付きませんでした。
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第2話より引用> というのも、この後のシーン。
めぐねえが機転を利かせてゆきを“彼ら”から隠すんですよ。第1話でゆきが話していたクラスメイト達は“彼ら”を認識していなかったけど、めぐねえは“彼ら”を認識して“彼ら”からゆきを守ろうとしました―――
このシーンで、「めぐねえは死んでしまったクラスメイト達とは違うんだ」と私は誤認してしまったのです。 どうしてめぐねえがこんな行動をとったのかの理由は、まだちょっと分からないんですけど……
ゆきにとってめぐねえが特別な存在だったから、ゆきの潜在意識で「めぐねえが常に助けてくれる」形になる行動をゆきが自然に取ってしまうのか。
それとも、第3話で語られた通りめぐねえは「教師」としてゆき達を守ろうとする意志が強かったから、死後のめぐねえも何らかの形で働きかけてゆき達を守ろうとするのか。
“彼ら”の行動は生前の行動に基づいているというりーさん達の推測に基づくと、後者じゃないかなーと私は思っているのですが。この辺は今後の鍵になりそうなんで、楽しみに待とうと思います。
この後、めぐねえはゆきに「みんながいれば大丈夫」と、
“自分以外”がゆきには付いているということを言うんですね。でも、その後みんなと合流したゆきは「めぐねえがいたから大丈夫だった」と言って、みんなもめぐねえに「ありがとう」と礼を言うんです。
これ……めぐねえが「死後もゆき達を守ろうとしている」という仮定で観ているとグッとくるシーンですし、「全部がゆきの妄想」という仮定で観ていると哀しいシーンです(笑)。
あ、そうそう。
ここで「みんながめぐねえに礼を言うシーン」も初見では「あー、めぐねえは死んでなかったんだ」と誤認されるシーンだったんですけど、第1話の時点で
既に死んでいる園芸部にみんなで挨拶するシーンがあるのでヒントはちゃんと出ていたんですよね。
【第3話 あのとき】◆ 遺書を書いているめぐねえ このシーン、アニメを第6話まで観た段階ではまだどっちなのかよく分からないんですよね。
第3話で描かれた「屋上のシーン」―――くるみが先輩を担いでやってきて、その後に凶暴化して、シャベルでってシーンから。
第6話で回想された「めぐねえ一人が外に残って“彼ら”に襲われるシーン」。
この間がどれくらいの期間なのかが分からないので、遺書を書いているめぐねえがこの二つのシーンの間ならば「純粋に生きているめぐねえ」だし、この二つのシーンの後ならば「死んでもまだ意志を持って行動しているめぐねえ(ただし、ゆきにしか見えない)」だし。どっちとも言えるんですよね。
○ 遺書を書いているめぐねえ2 回想シーンは飛ばします。
流石に回想シーンのめぐねえは普通に生きているめぐねえでしょうからね。生前のめぐねえは、くるみにもりーさんにも無視されていないというのはヒントっちゃヒントなのですが。めぐねえ視点の回想が入ることで「めぐねえはまだ生きている」と誤認させる描写とも言えなくもないです。
さて。
その回想シーンの後、引き続き遺書を書いているめぐねえは
「この学校にはもう、あのコ達しか残されていない」と言っているんですね。
つまり、自分はカウントしていないんです。 ということは、このめぐねえは既に自分が死んでいることを知っているし、それでいてゆきの見ていないところでも行動しているから「ゆきの妄想」でもないのか―――
と思ったら、最後に
「生きている限り、みんなを守りたい。私は教師なのだから――――」とも言っていて。あれ?これはまだ「純粋に生きている頃のめぐねえ」なのか?もしくは、めぐねえ自身は自分の死に気付いていない?(みんなに無視されて落ち込むのも、それならば納得)
この辺はこの作品最大のポイントである
「ゆきが見ているのは何か」が関わってくる話だと思うので、真相が明らかになるのを楽しみにしておきましょう。原作では既に判明しているかも知れませんが、コメント欄などに「真相はこうですよー」とか書かないでくださいね。ガチでアクセス禁止にしますからね。
○ キャンプの相談シーン
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第3話より引用> ここは思いっきりヒントだったんですねー。
くるみが「4人なら人数ぴったり」と言う→ めぐねえが「私!私!」と言う→ ゆきがフォローする→ りーさんがハッとしてめぐねえに謝る→ くるみ、みーくんも気付いて謝る。
ここのハッとする表情作画や、ここに限ったことではありませんが「めぐねえへの挨拶がぎこちないみーくん」の演技なんかは、実は3人にはめぐねえは見えていないというヒントだったのだと思います。確かにずっと違和感はあって、真相に気付いた時に「あの違和感の正体はこういうことかー!」というカタルシスが味わえたポイントでした。
○ テントのシーン ここは流石に気付かないですねぇ。
ゆきだけが「めぐねえの足音」が聴こえるので、ゆきの「めぐねえ来た!」の声で他の3人はそれに気づくという。初見では何とも思わなかったシーンが、真相を知ってから見ると各々思っていることが違うことが分かるのが面白いシーンです。
ちなみにこの後、りーさんが「見回りしてくれてるのね」と言っているのですが、りーさんはめぐねえの「見回りもあるから(テントに入れなくてもいい)」というセリフを聞いていないってことなんですよね。後から思えばヒントだったんだなーというところは結構あります。
○ ラストのカット
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第3話より引用> このシーン、何?というか、どこ? 初見時に「えっと……何、この不穏なカットは」と思ったのですが。
回想シーンの前後のめぐねえが職員室で遺書を書いていたことを考えると、場所が違うことに意味がありそうな気もしますが……先生が夜残る場所と言えば宿直室なので、単に宿直室がボロボロってだけの話ですかねぇ。
【第4話 えんそく】◆ ゆきに「卒業アルバム」を手描きで作ったら、と提案しためぐねえ ゆきのセリフから。
そもそも彼女らは「カメラ」は持っていないんですかね。学校の備品ならありそうだし、めぐねえのスマホもあるはずなんだけど……写真に撮るとゆきにも“現実”が見えちゃうから、イラストを描かせたとかかな。
○ 遠足の提案をめぐねえに見てもらおうと言うシーン ここは分かりやすく「違和感」としてヒントになっていたと思います。
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第4話より引用> 何という不穏なカット(笑)。
まるで闇に足を踏み入れるみたいな画面になっています。第3話のラストカットもそうでしたが、
めぐねえにまつわる描写がおかしいことが少しずつ露骨になっているんですね。
○ めぐねえの車をくるみが運転するという件 流石にここは「え!?」と思いました。
この辺で気付いた人も多いんじゃないかなーと思います。会話自体は第1話の職員会議うんぬんの時と一緒で「会話になっているようでなっていない」トリックなのですが、それ以上に違和感があるのは「くるみが車を運転する」という理由付けです。
アニメって、人を殴ったり殺したりみたいなことはする割に、法律違反にすごく厳しいんですよ。未成年の飲酒・喫煙は厳禁なので、原作漫画にそういうシーンがあってもアニメだとキャラの年齢が引き上げられたりぼかしが入ったりして修正されちゃうくらいです。
車の無免許運転は下手に真似されたらたくさんの人を巻き込む事故を起こしかねないので、未成年の飲酒・喫煙よりももっとタチが悪いと言えます。
やむをえない場合ならともかく、このケースならめぐねえという“ちゃんと免許を持っている人”がいるのだから、くるみに運転させる必要はない―――― ということで、ここで「めぐねえには車が運転できない理由がある」→「めぐねえは既に死んでいるんじゃないか?」と気付いた人も多かったんじゃないかと思います。私はここで「流石におかしい……」と思い、この後のシーンでようやく確信しました。
しかし……あれ、こう見るとめぐねえ自身は「自分が死んでいること」は認識していないのか?でも、第2話を見れば分かる通り“彼ら”のことは認識していて……「ゆきの妄想」とは言えないので、ということは――――という辺りにしておきます(笑)。
○ くるみがめぐねえの車に乗って駆けつける 流石に私もここで確信しました。
くるみはハシゴを一人で降りて“彼ら”に囲まれつつ、何とか突破して、やっとの思いでめぐねえの車に乗り込み、ゆきとりーさんの元へ駆けつけたのだけど……
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第4話より引用> なんでめぐねえ、先に乗ってんだよ(笑)と。
ゆきの傍にめぐねえはいなかったみたいなので、ハシゴを降りたくるみと一緒に駐車場までついてきてたのだと思います。でも、くるみにはめぐねえは見えないし、“彼ら”もめぐねえのことは認識していないみたい。ただ……
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第4話より引用> キーホルダーが揺れて、くるみがめぐねえの車がどれか分かるという一連のシーン。別に「たまたま揺れた」でも説明が付くのですが、こういう作品の「たまたま」には理由があるものなので、これは
めぐねえが揺らしてくるみにヒントをあげたのかもなぁと私は思っています。
つまり、
実はめぐねえにはゆき以外の人間にも何かを伝える術を持っているんじゃないのか……【第5話 であい】◆ ショッピングモールに遠足に来た一同 基本的には「めぐねえと喋るのはゆきだけ」という今までの状況と変わらないのですが、危なっかしいゆきをめぐねえが心配して見守っている風に見せているのが上手いなあと思います。
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第5話より引用> あと、みんながファッションショーをやっている中、一人ファスナーが締まらなくて落ち込んでいる―――みたいなギャグとして描くことで「ゆき以外と喋っていない」ことをカモフラージュしているという。こういう
「お約束のギャグ」を隠れ蓑にするのは、叙述トリックではセオリーですね。視聴者の盲点を突けるので。
○ 映画館から出てきた“彼ら”から逃げ回るシーン
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第5話より引用> ハイ、3人しかいませーん。
この後のエスカレータのシーンにはめぐねえいるんだから、ここで3人しか描かない理由もないと思うんですけどね(笑)。
○ ゆきのフラッシュバック みーくんを助けるために“彼ら”と対峙したゆきが回想した映像は……
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第5話より引用> 第6話まで観た人には説明するまでもありませんが、
“彼ら”に襲われためぐねえの姿です。
しかし、第6話を観た後にこのシーンを観返すと、ゆきの行動はまた違った意味に受け取れるんですね。恐らくゆきは「めぐねえを助けられなかった」過去を背負っているから「みーくんを助けようとした」のだと思います。唐突に主人公みたいな行動を取り始めたゆきに「ど、どうした?」と思ったのだけど、彼女が見ているものが何なのかの伏線になっているのかなーと思います。
【第6話 ようこそ】 叙述トリックが明らかになるのはAパートラストなので、語るのはそこまでにします。
○ 起きたみーくんがゆきと喋るシーン
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第6話より引用> 寝ているみーくんに「ゆき」と「誰か」が喋っている声が聴こえるのですが、聴こえるのは「ゆき」の声だけです。このシーンはみーくん視点のシーンなので「誰か=めぐねえ」の声は聴こえないんですね。
こういう演出自体は「ゆきとみーくんの出会い」にスポットを当てたい時にやらなくもない演出ですし、めぐねえに「影が薄い」というキャラ付けがされているので上手く誤魔化せているのですが。
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第6話より引用> その後のシーンは“違和感”を隠す気がありません。
ゆきがめぐねえにペットボトルを渡すシーン、ゆきとめぐねえの会話では「ちゃんとめぐねえが受け取っている」ように続いているのですが……
<テレビアニメ『がっこうぐらし!』第6話より引用> 実際にはペットボトルは床にぶちまけられていて、その音もちゃんとしています。
私はこの時点ではもう気付いているので、全く気付いていなかった人がこのシーンを見てどう思ったのかを是非知りたいんですが……
「会話ではペットボトルを受け取った」ように続いているのに「効果音はペットボトルが床に転がっている」ように聴こえるというのは、映像媒体でしか出来ないネタばらしで上手いなぁって思いました。
ゆきがめぐねえに何かを渡そうとすると、それを受け取れずに床に転がってしまう――――ということで、第5話でめぐねえにプレゼントしようとしたぬいぐるみを、めぐねえは「ゆきちゃんが持っていて」と言ったのだと思います。めぐねえはあのぬいぐるみを持って帰れないのです。
ということは、めぐねえも「自分が死んでいること」は自覚していて、ゆきに合わせて話を合わせているというカンジなのかなぁと思います。
以上、めぐねえの叙述トリックに関連する「ブラフ」と「ヒント」をピックアップしてみました。一応「◆」がブラフで、「○」がヒントのつもりで分類しましたが、どっちだかよく分からないものもあるので参考くらいにしてください。
どの場面で気付いたのかは人それぞれ違うと思うので、
みなさんがどこで気付けたのかをコメント欄にでも書き込んでくださると面白いかも知れませんね。
一応言っておきますけど、
「早く気付いた人が偉い」ってことはないですからね。作り手が狙う100%の面白さを享受できた人は「みーくんのセリフまで気付かなかった人」なので、作り手からすればむしろ「最後まで気付かなかった人」が一番ありがたいんじゃないかなと思います。
なので、「なかなか気付かなかった自分は洞察力がないみたいで恥ずかしいから黙っておこう」なんて思わずにコメントを書き込んでくださると嬉しいです。我々は名探偵を目指しているワケじゃありませんから。アニメ視聴者なんですから、アニメを観て一番楽しめた人が一番の幸せ者なんですよ。
やまなしレイ(管理人)(01/23)
ああああ(01/23)
やまなしレイ(管理人)(01/22)
あ(01/22)
やまなしレイ(管理人)(01/19)
竜騎兵(01/19)
やまなしレイ(管理人)(01/11)