今日の記事がどんな内容なのかを最初にザッと説明してしまえば――
「ファミレスの椅子が堅いのは、食事が終わったらさっさと帰って欲しいから」みたいな話です。
○ 永遠に終わらない『テトリス』 自分が“ゲームの面白さ”とは何か?という根源的なことを考えるきっかけになったのが、大好きなブログ
『不倒城』さんが2005年に書かれたこの記事です。読んだことがない人は、是非一読あれ。
レトロゲーム万里を往く その47 テトリス 自分は『テトリス』以前のパズルゲームをほとんど知らなかったので目から鱗だったのですが―――『テトリス』以前のパズルゲームは基本的に
“解けば終わり”というもので、そのために大量のステージを用意するなどの「飽きさせない工夫」をしなければならなったそうな。
今でも、例えば『ゼルダの伝説』のダンジョンなんかはそうですよね。
最初の1周を自力で遊ぶと、なかなか解き方が分からなくてウンウン唸ったりするのだけど―――1度クリアしたり、攻略サイトなどで調べたりしてしまえば楽に解けてしまうものです。もちろんそれでも『ゼルダ』シリーズは“操作しているだけで楽しい”ところはあるんですが、
ダンジョンの攻略ということに限定すれば1周目の面白さの比じゃないと思うのです。
そこに現われたる『テトリス』というゲーム(日本での初出は88年)。 もちろん『テトリス』にも目標(○列消せ!とか)がありますし、失敗するとゲームオーバーになるのですが……それ以前のステージクリア型のパズルゲームと違って製作サイドからステージが提供されるワケではないので、やろうと思えば永遠に遊び続けてしまえるのです。
凄い!これぞパズルゲームの大発明だ!と、いうのも確かなんですが。
逆に言うと、このゲームって1本買えばそれで十分なんですよね。 対戦が出来るようになったり、ネット対戦が出来るようになったり、という進化はしましたし。DSでも100万本以上売り上げるという快挙を成し遂げましたが。
じゃー『テトリスDS2』出すぞー!としても、『テトリスDS』持っている人は買わないワケです。『ドラクエ』買った人が『ドラクエ2』も買ってみたくなるのとは対照的な話だと思うのです。
(関連記事:
「コアゲーマー」の定義は発言者の立場によって異なるんじゃないか)
そう言えば……
『テトリスDS』のパズルモードとか、『ぷよぷよ』のなぞぷよとか、こうした落ちモノパズルゲームにもそれ以前の「ステージクリア型」のモードが入るというのは面白い話かも知れませんね。
○ 1000回遊べる『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』 当時ゲーム雑誌でこの“1000回遊べるRPG”というキャッチコピーを読んだ時、「ゲーム業界はこのソフトに滅ぼされちゃうんじゃないか」と心配になったのを覚えています。
大抵のRPGは1周、ないしは2~3周遊んだら「もうイイかな」と思ってしまうもの。そこに「1000回遊べるRPG」ですよ!単純計算で
RPG333本分のゲームってことじゃないか!と当時の僕は思いました。
もちろんそういう意味ではなかったんですけど(笑)。
先の『ゼルダ』の話もそうですし、『ドラクエ』シリーズもそうですし、
RPGというのは“プレイヤーの情報”がものをいうジャンルでした。このアイテムはどこどこにあるとか、このダンジョンはこういう構造になっているとか、この敵にはこの攻撃が効くとか―――
『ゼルダ』を作った宮本さんにしても、『ドラクエ』を作った堀井さんにしても、そうした情報を如何に得るかということも含めてゲームとして考えていたと各所で聞きますし。そこから「攻略本」がRPGを楽しむための必須アイテムへとなっていきましたよね。
しかし、逆に言うと……
RPGもステージクリア型のパズルゲーム同様に、「一度遊んでしまえば二周目は面白さが半減してしまう」「攻略本を読めば済んでしまう」ジャンルとも言えてしまうのです。キャラを育成するのが楽しいとか、二周目でしかない要素があるとか、面白さが0になるとは言いませんけど――
やっぱり「この先何が起こるんだろう」とドキドキした一周目が一番楽しいと思うのですよ。 で、現われたるは『不思議のダンジョン』というゲーム(日本での初出は93年)。 当然、元には『ローグ』というゲームがあるんですが、80年代初頭に生まれたそのゲーム(『ドラクエ』以前のRPGなので知っている人は限られていた)を90年代に復活させるにあたって『ドラクエ』の世界観を活用して大ヒットさせたという。
一定のルールはあるものの、アイテムの場所はランダム、ダンジョンの構造もランダム生成――と“情報”が重要だった当時のRPGとは違い“情報”の蓄積が出来ないようにして、
何周目でも1周目と変わらない緊張感を作ることが出来、永遠に遊べるRPGとして日本でも一大ジャンルとなりました(もちろん「取ってくるアイテム」という目標はちゃんと設定されている)。
ただ、『トルネコ』『シレン』『チョコボ』『ポケモン』……
『シレン』を除けば、
既存のキャラクターを当てはめるしか続編を出せないジャンルになってしまったのかもなぁと思ったりはします。もちろん細かいバージョン変更はされているのでしょうし、今でもそれなりの売り上げを誇るのですが、気軽に参入して成功できるジャンルではないなぁって思います。
○ 二周目からが本番です。『弟切草』 時代はちょっと前後します。
アドベンチャーゲームが転機を迎えたのは恐らく80年代中盤あたり。
キーボードによる「コマンド入力形式」時代のアドベンチャーゲームは
“クリアに時間がかかる”非常にマニアックなゲームだったそうなのですが、堀井雄二氏による『オホーツクに消ゆ』『ポートピア連続殺人事件(ファミコン版)』などで「コマンド選択方式」が主流になり、逆に
“短時間でクリア出来てしまう”ジャンルになってしまったそうです。
この辺、当時の自分はまだゲームを知らない頃なので想像するしかない話なんですが……
任天堂がこの後にディスクシステムでアドベンチャーゲームを展開するなどの試みを見る限り、「短時間でクリアできてしまう」アドベンチャーゲームの展開を各社試行錯誤していたのかなーと思います。まぁ、そんな悩みを吹っ飛ばすように『スーパーマリオ』と『ドラゴンクエスト』の超ヒットでアドベンチャーゲーム自体が下火になってしまうのですが……
ところがどっこい、そこに現われたるが『弟切草』(92年)。 こう考えると、チュンソフトという会社は日本のゲーム史に物凄く重要な功績を残した会社なんだなぁと思いますね。ファミコン版『ポートピア』や『ドラクエ』を開発してて、『弟切草』でサウンドノベルを、『不思議のダンジョン』でローグライクRPGを定着させたという。
アドベンチャーゲームは「一周遊んだら終わり」。 普通はそうですよね。ゲームオーバーやり直しというバッドエンドはありますが、基本的には正解ルートがあってそこに向かえばエンディングというジャンルだったと思います。もちろん小説を何度も読み返すように、アドベンチャーゲームを何周も遊ぶ人もいるでしょうが、やっぱり一周目の面白さには適わない云々という文言を今日は何度書いたことか。
一方、この『弟切草』には複数のルートがあり、複雑にフラグ管理がされていることで、様々なストーリーが展開されるようになっています。流石に『不思議のダンジョン』のように「遊ぶごとに違うダンジョン構造」みたいなことはありませんが、
10数本のストーリーが楽しむことが出来るということで、従来のアドベンチャーゲームが抱えていた短時間でクリアできてしまう」ジレンマを打破することが出来たという。
また、「一定の到達度でピンクのしおりが出る」という目標も“何周も遊ぶぜ!”という欲求を刺激してくれたことでしょう。
そんなこと言っているくせに僕は出せませんでしたが。周回プレイって苦手なんですよ……スーファミ版はその辺のゲームシステムがまだ未成熟でしたし。
○ 「長く遊べるゲーム」の功績と罪 「永遠に遊べるゲーム」というのは夢物語です。
どんな素晴らしいゲームだっていつかは飽きるワケですから、そんなものは存在しません。
でも、「長く遊べるゲーム」というのは沢山あります。
上に挙げた3本は
「そのジャンルを“長く遊べるようにした”」ソフトだと思います。
上の3本――『弟切草』はちょっと手法が違いますけど、基本的には
「遊ぶ度に違うことが起こる」ことが大きいですよね。『テトリス』でブロックが毎回同じ順番で出てきたらちっとも面白くないことでしょう。でも、『スーパーマリオブラザーズ』の敵の配置は毎回一緒。その哲学の差が興味深いです(敵の配置がランダムだったら『マリオ』も難易度上がりそうですよね)(ちょっと遊んでみたいけど)。
こうしたランダム要素――
自分はやったことがないのでおっかなビックリ書きますけど、
『ポケモン』とかでも重要なところですよね。それぞれのプレイヤーによって育てているポケモンに個体差があるとか。
『どうぶつの森』もその系譜。村の形、住民、店に出やすいアイテムなどはランダムで決まっていてプレイヤーによって異なります。だからこそ、プレイヤー同士が交流することで補完し合えるという。
『ドラクエ9』の宝の地図なんかもそうか。
この3本も「ひたすら長く遊べる」ゲーム。
ランダム要素というのは、製作者から提供されるものだけではありません。
“対戦プレイ”だって、相手が変われば戦い方も変わるというゲームデザインです。
『ファミスタ』も
『ストII』も
『Wii Sports』も「対戦相手」がいてこそ長く遊べるゲームですし、永遠に「対戦相手」を提供してくれるのがオンライン対戦ですよね。これらもまた「長く遊べる」ゲーム。
「長く遊べるゲーム」は中古市場への戻りが少なくてメーカーにとっては嬉しい商品ですし(『ドラクエ9』なんかは中古の戻りを如何に少なくするかが焦点だったそうです)、ユーザーにとっても買ったソフトが「長く遊べる」ことは嬉しいですよね。6000円のソフトが1時間で終わってしまうのか100時間遊べるのかではコストパフォーマンスが違いますし。
だから、「長く遊べるゲーム」を否定したいワケでも批判したいワケでもありません。
何も間違っていない、限りなく最良に近い選択だったと思います。
ですが、
「何かを選ぶ」ということは「何かを捨てる」ということなんです。 全てが万歳オールOKなんて選択肢はありえないし、そんなことを言う人がいたら基本的にその人は詐欺師です。
「長く遊べるゲーム」が増えて、そこに資金が投入されて、そういうゲームが売れれば、当然
全体の売れる本数は少なくなりますよね。 人間の時間は無限ではありませんから。
「ゲームは一日一時間」……とするとまた怒られそうだから(笑)、「ゲームは一日二時間」だとしますか。1年は365日ですから、365×2=730時間を1年間に費やすとします。数字にすると途方に暮れるような……まぁ、イイや。
1本のゲームが「20時間楽しめる」時代ならば、36.5本のゲームが遊べたワケです。
1本のゲームが「50時間楽しめる」時代ならば、14.6本のゲームが遊べたワケです。
1本のゲームが「100時間楽しめる」時代ならば、7.3本のゲームが遊べたワケです。
1本のゲームが「200時間楽しめる」時代ならば、3.65本のゲームが――以下省略
ちなみにウチの母は『ドラクエ9』のプレイ時間が600時間を越えました。 1本のゲームが「長く遊べる」ようになったからと言ってプレイヤーの余暇時間が延びるワケではありません。そうなれば、全体的な「売れる本数」は減るのが当然だと思うんですよ。
自分も時間を見つけて今でも『スマブラX』を起動していますし、試しにオンラインに繋げてフルボッコにされて「流石に2年やっている人達はレベルがちげえ…」と打ちのめされるんですけど。
発売から2年経っても『スマブラX』のオンライン対戦をしている人はいますし、「スマブラ楽しいー他のゲーム要らねえ~」って人は「ゲームの売り上げ本数」の数字からは見えませんし、
“ゲームを沢山買う人=ゲーマー”という定義の人からすると「夢中になって2年も同じゲームを遊んでいる人」はゲーマーにはならないんですよね。どれだけゲームで遊んでいても。
○ 「結論」を出さないのが結論 こういうことを書くと「じゃあキサマは長く遊べるゲームが悪いって言うのか!」とお怒りになる人がいらっしゃるんでしょうけど、
ですが、「何かを選ぶ」ということは「何かを捨てる」ということなんです。
全てが万歳オールOKなんて選択肢はありえないし、そんなことを言う人がいたら基本的にその人は詐欺師です。 というだけの話です。
「全てがOK」という選択肢がないのと同様に「全てが失敗だった」という選択肢もないと僕は思っています。
長く遊べるゲームが増えたことでものすごーく沢山の人を幸せにしたけれど、風が吹いて桶屋が儲かった的に、
「売れるゲームと売れないゲームの差を広げることになった」と僕は思っています。
だから、
「中古を使わなくなったら云々」の記事繋がりで言えば、中古市場の存在があって、そのために中古に売られないようなゲームが作られて、結果的に「売れるゲームと売れないゲームの差が広がった」って思っています。
前の記事では、中古市場を否定するから「売れるゲームと売れないゲームの差が広がった」って書いていなかったか?と自分でも思うんですけど(笑)。
両方のことが言えると思うんですよ。
だから僕は、中古市場に対して賛成も反対もしません。
恩恵を受けるソフトもあれば、打撃を受けるソフトもあるだけだと思っています。 ただ……今のパッケージソフトはボリューム地獄に陥っていて窮屈だなぁと思うところはあります。かと言ってダウンロードソフトの感想なんかを読んでも「800円で全10ステージじゃ少な過ぎる!」みたいな批判が書かれていて。結局のところ、「長く遊べるのが当然」と染み付いちゃったのかなぁと。
個人的にはダウンロードソフトはもっと気軽に「2時間しか楽しめません!」「でもその2時間はすげー楽しいよ!」ってくらいのボリュームでイイと思うんですけどねぇ。
やまなしレイ(管理人)(01/23)
ああああ(01/23)
やまなしレイ(管理人)(01/22)
あ(01/22)
やまなしレイ(管理人)(01/19)
竜騎兵(01/19)
やまなしレイ(管理人)(01/11)