日曜日に書いた
「RPGにレベルアップ制度は必要ですか?」という記事に想像以上の反響がありまして、様々な形で御意見を頂きました。一つ一つ大切に読ませてもらっています。ありがとうございます。
「自分とは違う意見」はもちろん、「自分の認識間違いへのご指摘」もありまして。
『ロマサガ』の話で、「ロマサガはこちらが強くなると合わせて敵も強くなるゲーム」という指摘を受けました。
やったことがあるのに知らんかったです。それだったら、あの文脈のあの例には相応しくないですね。後で『FF2』に直しておきます。
指摘して下さってありがとうございます。
さて、ここからが本文。
頂いた御意見の中で特に多かったのは、
「レベル制度があるおかげで、RPGはゲームが苦手な人でもクリアできる」というものでした。僕もそう思いますし、以前にも書いたことがあります(
これとか)。
なので、そうした意見に反対したいワケでは決してないのですが―――
それは「キャラクターが成長するゲーム」のメリットの大きな一面で、その裏側にはもう一方の大きなメリットがあるんじゃないかと僕は考えています。こっちにはあまり言及していなかったので、書いてみようかなと。
ということで……
前回の記事のまとめというか、僕自身の頭の中を整理するところから始めたいと思います。
0.前回の記事で書いたこと・ゲームには
“プレイヤーが上達する”のと
“ゲーム内キャラが強くなる”の二つの成長要素がある
・『ドラクエ』のレベルアップ制度は
“ゲーム内キャラが強くなる”を急速に普及させた
・レベルアップ制度以外にも
“ゲーム内キャラが強くなる”システムはある(『ゼルダ』方式など)
・レベルアップ制度は「プレイヤーに戦闘をさせたいゲーム」
・『ゼルダ』方式は「プレイヤーに探索をさせたいゲーム」
・多くのRPGにはその両方の要素がある
1.“プレイヤーが上達する”『スーパーマリオブラザーズ』等 当然ながら、かつてのゲームには“ゲーム内キャラが強くなる”要素はありませんでした。パックマンが相手をムシャムシャ食い始めたり、マリオがキノコでデカくなったり、ビックバイパーがオプションを従えたりはしましたが……あれはあくまで一時的な「パワーアップ」であり、永続的な「成長」ではありませんでした。
当時のコンピューターゲームはアーケードが中心だったと考えれば話は分かりやすいですよね。
今みたいにユーザー情報を登録とかが出来ない時代でしたし、お金を入れて遊んでくれるお客さんをどんどん交代させる仕組みを考えれば「成長」は重要ではなかったのだと思います。『ドルアーガの塔』はどうなんだ?というのは一先ず忘れます(笑)。
ここでは分かりやすく、より多くの人が遊んだことがある『スーパーマリオブラザーズ』を例に出します。
今日初めて『スーパーマリオ』を遊んだ人も、20年『スーパーマリオ』をやりこんだ人も、平等に同じ強さのマリオを使わなくてはなりませんよね。横からクリボーに当たれば死んでしまうし、キノコを獲れば大きくなる―――
違うのはプレイヤーの力量だけ。 こうしたゲームを遊ぶモチベーションは
「昨日より上手くなりたい」というものです。
「昨日より上手くなりたい」という言葉ではピンと来ない人のために補足説明をしますと……『スーパーマリオブラザーズ』のようなステージ制の場合は
「昨日は4-2で死んじゃったから今日はその次まで行けるようにしたいな」という目安がハッキリしていて、また多彩なステージが用意されているので
「次はどんなステージなんだろうな」と期待が持てるのです。
“目安”と“御褒美”。
そう言えば。
よく「アクションゲームが苦手だ」という文脈で「マリオですらクリアできない」を例に出す人がいるんですけど……
『スーパーマリオブラザーズ』ってクリアが目標のゲームじゃないですからね。「上手くなる」ことが目標のゲームですから。8-4をクリアしても裏1-1が始まるだけなように、クリアしたからといって特別な御褒美がもらえるワケではありません。
「クリアしなければそのゲ-ムを味わったことにならない」みたいな話は、ストーリー重視のRPGなんかには当てはまりますけど、こういう「上手くなる」ことが目標のゲームには当てはまらないと思うのですよ。だから、「クリアできない」ことを恥じる必要はありませんよ。
話を戻して。
“プレイヤーが上達する”ゲームは、今も昔も人気があります。
『スーパーマリオ』以前のシューティングゲーム全盛の時代や、90年代の格ゲーブームや音ゲーブームとか、最近で言えば『脳トレ』や『Wii Fit』だって“プレイヤーが上達する”ゲームです。こういうゲームが30年間も人気なのだから、
人間というのは“上達する”ことそのものに快感を覚えられる生物なんだと思うのです。
でも、「ちょっと待てよ、やまなし」という声が自分の内から聞こえてきます。
「今オマエが挙げたゲームのジャンル、ほとんど衰退してね?」と。性格悪いね、俺の中の俺。流石俺。
“プレイヤーが上達する”ゲームって瞬間的には物凄く人気になるのだけど―――
その人気を持続するのは非常に難しい、というのが今日の本題になる予定です。
1-2.“上達したプレイヤー”をターゲットにした『スーパーマリオブラザーズ2』
1-3.“上達していないプレイヤー”をターゲットにした『Newスーパーマリオブラザーズ』 『スーパーマリオブラザーズ』は“プレイヤーを上達させる”ゲームでした。
もちろん全てのプレイヤーには個人差があるので、“上達具合”というのは千差万別だったと思います。8-4までクリアできた人、4-2で死んでしまった人、1-2のグラフィックが怖くて泣き出してしまった人、相変わらず最初のクリボーが越えられない人、そもそも『スーパーマリオブラザーズ』をやったことがない人。
さて、これだけ様々な“上達具合”に分かれてしまって、
続編はどの辺りをターゲットにしましょうかね? もし同じ難易度のゲームを『スーパーマリオブラザーズ2』として発売した場合、8-4までクリアできた人はもう“上達の余地”がないんですよ。いやまぁ、縛りプレイとかすりゃイイんだろうけど、上手くなってもそれを披露する場所がないのです。
なので、『スーパーマリオブラザーズ2』というのは前作を8-4までクリアできた人をターゲットにしました。つまり“上達しきった人”をターゲットにしたワケですね。その結果、2Dマリオ史上最難のゲームが誕生し、生半可な気持ちで手を出した人はこぞって脱落してしまいました。
そう考えると、『スーパーマリオブラザーズ3』『スーパーマリオワールド』の方向性が見えてきますよね。難易度自体は初代『スーパーマリオブラザーズ』と同じくらいにして、
アクションやステージ構成の方を多彩にしたワケです。 初心者には“上達する”楽しみを与え、熟練者には新しいアクション(しっぽマリオとかヨッシーとか)で新鮮さを味わってもらいたい―――と。
でも、その結果として「ゲームが複雑になってしまった」。
2Dマリオの場合はそれが数字には出ませんでしたけど、シューティングにしろ格ゲーにしろ音ゲーにしろ、
複雑になりすぎて初心者お断りなジャンルになってしまった例は幾つも思いつきますよね。『スーパーマリオワールド』以降、2Dマリオがしばらく出なくなったのもそれを危惧してのことだったのかなーと思います。
で、DSで出た『Newマリオ』ですよ。
十数年ぶりの新作2Dマリオは、初心者でも楽しめるマリオを目指しました。『スーパーマリオブラザーズ2』とは逆に、下の方にターゲットを合わせたワケです。
結果、熟練者からは「難易度が低すぎる」と批判されまくるハメに。 まー、難易度を除いても疑問符の残る作品だったとは思いますが(マメマリオとかコウラマリオとか)、あそこまで批判をされてしまうと、アクションゲームのシリーズものって大変だよなぁとちょっと同情的になってしまうというか。
“プレイヤーが上達する”ゲームというのは、ずっとこの問題を抱えていくのかなーと思ったのです。
続編は“上達した人”に合わせるべきか、“上達していない人”に合わせるべきか――― もちろんどちらの人も楽しめるように、様々な工夫がされてきましたけど(難易度設定や隠しステージなど)。それでも批判はありますからね。『Newマリオ』は「クリアだけなら簡単だけど、オールクリアは難易度が上がる」ゲームでしたけど、「クリアが簡単すぎる!」と叩かれていましたし。
そう考えると……Wii版『Newマリオ』に「ヘルプ機能」(ガイド機能?スキップ機能?)を付けるというのは必然的な選択と言えるのかも。初心者を熟練者に引っ張り上げようとする策。実際に見てみないと何ともコメントしづらいですが。
2.“ゲーム内キャラが強くなる”RPG 日本製ゲームで初めて「成長」の概念を取り入れた作品が何なのかは分かりませんが、世間一般に最も普及させたゲームは『ドラゴンクエスト』で間違いないだろうってのは前の記事に書いた通りです。日本では「成長」のあるゲームを「RPG要素もあるよ!」と言うようになったほどですからね。
歴史というのは、後から考えると“そうなることが当然”かのように見えるもので。
永続的な「成長」が重宝されるゲームが出てきたのは、(アーケードでは出来ない)家庭用ゲームならではのソフトが求められたとか。パスワードやバッテリーバックアップが出てきたことにより、手軽に「前回の続きから遊ぶ」ことが可能になったとか。『ゼビウス』以降の「友達同士で隠し要素を教えあう」「隠し要素が雑誌に特集される」文化を見事に受け継いだとか。アクションやシューティングが苦手な人が楽しめるコマンド式だったとか。
『ドラゴンクエスト』シリーズというのは、全く新しいものを生み出す作品というよりは、既にあるものを最大限に活かしてその魅力を伝える作品とも言えて(『ドラクエ9』の「すれちがい通信」とかもそうですよね)。
パスワードだってバッテリーバックアップだって、別に『ドラゴンクエスト』が発明したワケじゃないのですが。恐らく最も重宝されたのは『ドラゴンクエスト』や、その後に続いたRPG達だったんじゃないかと思うのです。『ドラゴンクエスト』がなかったらゲームの歴史はどうなっていたんでしょうね。
「レベルアップ制度」というのもその一つ。
生み出したのは『ドラゴンクエスト』ではないのだけど、その魅力を伝え、最も恩恵を受けたのは『ドラゴンクエスト』とそれに続いた各RPGだったのだろうと思うのです。
その恩恵の一つに
「ゲームが苦手な人でも(時間さえかければ)クリア出来る」ということがよく言われる―――という話は冒頭に書きました。しかし、もう1つ大きな恩恵があるという話をここまで引っ張ってきたワケなんですが(ここまで読んで下さったアナタは偉い!)。
それは、
どんなにゲームが上手い人でもレベル1から始めなくてはならないということです。
あー、えー、たまに初期レベルが1ではないRPGとかもありますが。
「どんなプレイヤーでもスタートラインが一緒」という意味です。『ドラゴンクエスト』をクリアしたからと言って、『ドラゴンクエスト2』がレベル30から始まるワケではないですよね。“ゲーム内キャラが強くなるゲーム”は、基本的には主人公が弱さMAXのところから始まるんですよ。
※ 最近ではデータ引継ぎ出来る作品とかもありますけど、あれって“成長を味わえない”という意味で自分の首を絞めていると思うのだけど……自分はそうしたソフトは買わないのでよく分からん。 だから、「成長している」という実感が味わえる。 “プレイヤーが上達するゲーム”―――喩えば『スーパーマリオブラザーズ』と比較すると対照的で、
“プレイヤーが上達するゲーム”は1度上達しきってしまうとレベル1には戻れないんですよ。「成長している」実感が味わえるのは人生に1度だけ。だからアクションゲームはシステムの独自性が求められるのです。
もちろんRPGだって「頭を使う」し「プレイヤーのスキルが向上する」ことはあるんですけど。
ラスボスを倒して、「やったー!世界を救ったぞー!」と物凄く強くなった気になって。2周目を始めたら序盤でいきなり苦戦して戸惑うことってあるじゃないですか。
世界を救えたほど成長していたのは、俺じゃなくてゲームのキャラだったのか!みたいな。
レベルアップ制度のRPGは「ゲームが下手な人」でも楽しめる万人向けの作品―――というのは確かにそうなんですが、
「ゲームが上手な人」でもレベル1からの成長を実感出来るという意味でも万人向けの作品じゃないかなぁと思うのです。
『ドラゴンクエスト』が大ヒットして、後のシリーズソフトも大ヒットして、そこから多くのフォロワーが生まれて『ファイナルファンタジー』を始めとする大ヒットシリーズもそこからバンバン生まれていくワケなのですが。
それは“ゲーム内キャラが強くなる”という成長要素を持っていたからじゃないでしょうか。 逆に言うと、“プレイヤーが上達するゲーム”……アクションでもシューティングでも格ゲーでも音ゲーでも『脳トレ』系ソフトでも、『ファイナルファンタジー』のように大ヒットするフォロワー作品が生まれなかったのも仕方がないんじゃないかと思うのです。
いや、音ゲーは微妙か。
何が『ドラゴンクエスト』で何が『ファイナルファンタジー』なのか良く分からないし。最も売れた音ゲーって、ひょっとして『リズム天国ゴールド』?だったら衰退自体していない気もしますね。メインはアーケードだって人も多いから、家庭用1本辺りの売上げで比較するのも違うか。それを言い始めると、格ゲーもそうだけど(笑)。
○ とりあえずの結論というか余談というか ゲームには「長期的な目標」と「短期的な達成感」があって。
“プレイヤーが上達する”のも“ゲーム内キャラが強くなる”のも、「短期的な達成感」の一つだと思うんですけど。
“ゲーム内キャラが強くなる”実感はどんなプレイヤーでも平等に味わえるのに対して、
“プレイヤーが上達する”のはプレイヤーによっては味わえたり味わえなかったりするのかなーと。
自分は『脳トレ』や『Wii Fit』は「長期的な目標に向けて」「トライ&エラーを繰り返して上手くなっていく」ゲームだと思っているので、物凄く「ゲームらしいゲーム」だと思いますし、あれを「あんなのはゲームじゃない」と言う意見はピンと来ないというのは以前にも沢山書きましたが……
喩えば『脳トレ』買ってきていきなり脳年齢20歳が出ちゃった人とか、『Wii Fit』を買う前から継続的な運動をしていた人とかにとっては、
RPGをレベル99から始めるようなもので。“上達する”実感が味わえなくても仕方がないのかなーと思ったのです。
後はまぁ、“上達している”証というか目安みたいなものがあるかどうかってのも大きいか。
『スーパーマリオブラザーズ』の「昨日は4-2まで行ったから今日はそれを超えたい」とか、ハイスコアを狙うゲームとか、レースゲームでタイムアタックを目指すとか、俺より強かったアイツに勝ったとか。こういう目安がないと継続的に楽しみにくいですよね。
RPGのレベルアップ制度は、その「成長」が分かりやすく数値化されたシステムとも言えて。
「レベル20」より「レベル21」の方が強いと誰もが思うワケですよ。実感はなくとも、数字が上がっただけで「強くなった」「成長した」と積み上げた気になれるのです。シミュレーションゲームや育成ゲームにも同じことは言えるんですけど、RPGのレベルアップ制度はその中でも究極の分かりやすさとも言えます。
何か、レベルアップ制度サイコー!!みたいな記事になってしまいました(笑)。
でも、逆に言うと。作品ごとにレベル1から積み上げ直さなきゃならないのが面倒だと思う人は多いだろうし、現在のRPGが「人気シリーズ以外は売れない」「携帯ゲーム機じゃないと売れない」ジャンルになってしまったのも必然というか。
そしてRPGが据置ゲーム機では売れないので、RPGが市場を引っ張ってきた日本では「据置ゲーム機に元気がない」となってしまうワケです→
あぁ、据置ゲーム機はお先真っ暗だ! と、毎度毎度の結論になりましたとさ。
とりあえず今日の記事を書きまして、何となく「次は“ゲームの御褒美”について考えようかなー」と考えてみたり。
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